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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

神と歴史

2025-05-27 23:16:01 | 文学


ナオミは譲治によってメリイ・ピックフォードそっくりの女に仕立てあげられた時、天才的な娼婦性を発揮する不良少女になるのである。そして晩年の『鍵』になると、「西洋」は軽薄な尖端的風俗をつきぬけて、保守的な大学教授の家庭にまで侵入し、貞淑な教授夫人を「娼婦」に変える。[…]谷崎が『刺青』でいちはやくとらえ、以後晩年まで一貫して追い続けた不安とは自己分裂の不安である。和服を着た「母」、たとえば『瘋癲老人日記』の卯木督助の夢にあらわれる「鼠小紋ニ黒縮緬ノ羽織」をまとい、「素足ニ吾妻下駄」をはいて、「髪銀杏返シ、珊瑚ノ根掛、同ジ珊瑚ノ一ツ玉ヲ挿シ、蝶貝ヲ鏤メタ鼈甲ノ櫛ヲサシ」た「母」は農耕文化の安定したサイクルのなかにいて、心にやすらぎをあたえてくれるが、そこに定住するかぎり「西洋」の約束する官能は永久にわがものにはならない。しかし母性の安息を捨てて「西洋」によって「娼婦」に変身させられた女たちに没頭するとき、そこに待っているのは破滅と死、つまり完全な「自然」の枯死である。この分裂のなかで、谷崎が結局『蓼喰ふ虫』のお久や『細雪』の雪子のような和服の「母」たちよりは、『痴人の愛』のナオミや『鍵』の郁子、あるいは『瘋癲老人日記』の颯子のような洋装の「娼婦」たちを選んだのは、彼が逆に自分の記憶の奥底にひそむ「母」のイメイジの強靭さを信じていられたためかも知れない。[…]昭和三十年代は、まさに日本全国が「近代化」、あるいは「産業化」の波にまきこまれて、ついに近代工業国に変貌をとげた時代である。この全面的な産業化の過程で、一番大きな心理的原動力となったのが、「置き去りにされる」不安だったことはいうまでもない。 エリクソンは、あらゆる女性的な不安のなかでもっとも根源的なものは、この「置き去りにされる」不安だといっている。

――江藤淳「成熟と喪失」


江藤淳の「喪失」は、小島信夫など、空虚そのものをエンジンにしたいような、つまり凧というより、風船みたいな作家たちの作品が根拠になっていた。彼らは江藤淳ほどしょぼくれてはいなかったとおもう。アメリカによる空虚の強制すら喜んでいた節があると思うのである。いまやアメリカが空虚を抱えるこの時代、空虚すぎてブラックホールと化した日本にいまこそはじかれた人々を吸い込むときである。ハーバード大学が留学生を断るなら、日本の地方大学にその留学生、ハーバード大に嫌気が差したインテリたちを吸収すればよいのである。中には、西洋が嫌になった?ハーンやケーベルみたいな人材が混じっているかもしれない。

すなわち、ハーバード大学が香川大に留学すればよいのではないだろうか。而して、どさくさに紛れて我々の研究費も上がるのではないだろうか。

教育は一生懸命やればやるほどうまく行かなくなる逆説がある。おれはいっぱい善い子どもを育てたみたいな、「オレが育てた型教師」が案外棄てたものではないのは、――あまりに馬鹿なので子どもがあまり言うことを聞いていないからである。子どもは鈍感なので、その空虚さえも無視できる。「置き去りにされる不安」はあっても、自分に対して好意的な行為に対しては反応がよくない。日本浪曼派の小説なんかには、自分が空虚故に荒ぶっているので神もあらぶっているみたいな小説がある(先日触れた「白日の書」なんかがそんな感じだった)けど、神はそこまで俺たちに相即的であろうか。神はだいたいに子どもみたいなものではなかろうか。神が中身が空気の人形のように偶像化したときにはそんなキャラクターがせいぜい想像されるわけである。熟慮するんだったら、人間並みだと言うことである。対して、歴史はもっと機械的に残酷である。

例えば、虎ノ門事件で昭和天皇(皇太子)が暗殺されていたらどうなっていたかとも思うが、犯人の難波代助の父親(衆議院議員)が餓死したあと、地盤をついだのが松岡洋右というのがなんというか。ちなみに、難波代助が使った銃は伊藤博文が倫敦で買ってきたものだったらしい。運命は認識され使えるものなら何でも使う、AIみたいな奴なのである。

風に従わず

2025-05-24 23:51:53 | 文学


夕方、私が屋根部屋を出てひとり歩いてゐたのは、まったく幸田当八氏のおもかげを忘れるためであった。空には雲。野には夕方の風が吹いてゐた。けれど、私が風とともに歩いてみても、野を吹く風は私の心から幸田氏のおもかげを持って行く様子はなくて、却って当八氏のおもかげを私の心に吹き送るやうなものであった。それで、よほど歩いてきたころ私は風のなかに立ちどまり、いつそまた屋根部屋に戻ってしまうと思った。 こんな目的に副はない歩行をつづけてゐるくらゐなら、私はやはり屋根部屋に閉じこもって幸田氏のことを思ってゐた方がまだいいであらう。忘れようと思ふ人のおもかげといふのは、雲や風などのある風景の中ではよけい、忘れ難いものになつてしまふ。――そして私は野の傾斜を下りつつ帰途に就いたので、いままで私の顔を吹いてゐた風が、いまは私の背を吹いた。さて背中を吹く風とは、人間のうらぶれた気もちをひとしほ深めるものであらうか。私は一段と幸田氏のおもかげを思ひながら家に着いたのである。

――尾崎翠「歩行」


尾崎翠は、空気よりも風に従うからスキである。そうではなく、だいたい空気に従うのが通俗的な我々の性質で、例えば、外国に行ったら急にナショナリストに変貌したり、よりインターナショナリストになったりするのがそれである。彼らの頭は、右と左、あっちとこっちみたいな思考しかない。英語で授業みたいなことすると、それに近いことがおこるに決まっている。だいたい外国いったくらいで認識が精確になるんだったら世話はない。わしなんか、新興旅行で疲労のあまり、ヴィニスの海に船から落ちそうになったので、小豆島行きのフェリーが余計怖くなったぐらいのものだ。わたしの運命の勘の良さなのか、普段、日本は海でニューヨークに繋がっているから戦争は日本に有利だとか言っていた馬鹿がいた時代の文献ばかり読んでいるからか、――同じ海に墜落することで、ナショナリストでもインターナショナリストでもないわけだ。

これにくらべると、最近『日本近代文学館』に「クレジットカード……作らなきゃ……」という文章を書いていた新井素子なんかは、その文学と1ミリも関係ない文章で、あいかわらず文学をやろうとしているから、まだ上の二分法から遁れている。オタクの可能性はこういう處にしかなかったが、オタクたちは成長して二分法へ帰って行く傾向がある。荻原浩の「ああ美しき忖度の村」は愉快な作だが、これは忖度社会をからかったものではなく、忖度をからかう行為みたいなものも忖度の一部なのである。そこに気付いているかどうかがオタク気質の未来をきめる。大友克洋の『彼女の思い出…』には彼のユーモアが顕れているが、どうみてもあまり面白くはないので、大友の場合はそれに救われたのだ。このユーモアは面白くないから却って自分では超克できない心理的滞留をもたらす。小林よしのりなんかは面白いから、その面白さを自分でコントロールできるのが危険であった。

一方、論理性でその滞留性を作り出すてもあるようなきがする。わたくし、都留文科大学国文学科の学生だったころ、国文法の授業が苦手で教科書もよくわからなかったんだが、最近その教科書読んでみたら、けっこうわかる。わたしが苦手だったのはその独特な論理性だったのである。昨今の論理国語とかセンスが狂ったものよりも、ただひたすら国文法を、生徒たちにいやがられてもやったほうが「論理」的になるのではないだろうか。そして、この論理性は頑迷で空気によってはなかなか動かない。もっとも、某国文法学者のように妙な右翼なることはあるのであろうが。

中学生か高校生の頃、たぶん今から三〇年前ぐらい前に、NHKFMで、大坂万博のサウンドスケープの音楽をやってて、日本の前衛音楽について学んだ。最近も「現代の音楽」で特集していておなじ曲を流していた。昔聴いたモノラルの雑音交じりの衝撃にはかなわない、クリアーな音であった。これらの音楽ははたしてナショナルな音楽なのか、インターナショナリズムな音楽なのか、分からない。少なくとも、そういう問いを誘発することがよいことであった時代だったことは確かである。いまはそうではない。

因果応報の起源

2025-05-23 23:15:04 | 文学


柳氏は書物のなかの詩人について私に話してくれた。彼女はいつも屋根部屋に住んでゐた詩人で、いつも風や煙や空気の詩をかいてゐたといふことであった。そして通りに出たとき氏はいった。
「僕の好きな詩人に似てゐる女の子に何か買ってやらう。いちばん欲しいものは何か言ってごらん」
そして私は柳浩六氏からくびまきを一つ買ってもらったのである。
 私はふたたび柳浩六氏に逢はなかった。これは氏が老僕とともに遠い土地にいつたためで、氏は楢林の奥の建物から老僕をつれだすのによほど骨折ったといふことであった。私は柳氏の買ってくれたくびまきを女中部屋の釘にかけ、そして氏が好きであった詩人のことを考へたり、私もまた屋根部屋に住んで風や煙の詩を書きたいと空想したりした。けれど私がノオトに書いたのは、われにくびまきをあたくし人は遙かなる旅路につけりといふやうな哀感のこもった恋の詩であった。そして私は女中部屋の机のうへに、外国の詩人について書いた日本語の本を二つ三つ集め、柳氏の好きであった詩人について知ろうとした。しかし、私の読んだ本のなかにはそれらしい詩人は一人もなかった。彼女はたぶんあまり名のある詩人ではなかったのであらう。


――「第七官界彷徨」


アンガーマネジメントとかやるから病むわけで、そもそも感情をコントロールすることなんか無理なのだ。向谷地生良の『ぺてるな人々』にでてくるように「喧嘩をしそうになったとき「研究しよう」という暮らし方、生き方こそが、最もシンプルな当事者研究」というべきだ。しかし、わたしがひっかるかるのは、尾崎翠の場合だって、一種の「研究」だったはずであって、より悲惨なことになりはしないかという懸念があるからだ。尾崎翠の場合もそうだが、自分が感覚される現象の世界をみつめつづけると何かがおかしくなるのだ。そのおかしさは、周囲の物質的な変化に容易に崩壊させられてしまう脆弱さである。

人文学者にかぎらないが、学者の大学での言動を見ていると、「環境」は誰かが用意してくれるものと考えているらしき人たちがかなり居ることが分かるけれども、実際の「環境」は人が煩雑なやりとりをして危うく現状が維持されている。権力や言説の研究で、そこにはいろんな歴史的な事情があるのは解析されてきてはいるが、――その事情には、「環境」に無頓着な我々の赤ん坊じみた振る舞いも入っている。常識とか権力構造とかマジョリティの圧力だけではない。

知を扱う組織の運営にはいろんな外圧や忖度が関わっているので簡単に現状の説明はむずかしいが、いざ何かが決まる段になって、一年か二年前にかんがえておくべきことを急にかんがえるような行動が事態を悪化させていることはたしかで、しかも、その1、2年前に当該の呼びかけはなされている場合が多い。研究は計画的にやるべきだというのは納得しているくせに、組織の問題に関してはそうではないのは、興味が研究にしかないからではない。研究の五か年計画的計画は、そういうみずからの拠って立つ環境や時勢に対する無視によって成り立っているからである。民主主義には一夜漬けは向かないという自明の理は、社会でも大学内でも崩壊している。忙しいからではない。考え方がおかしいのだ。小学生の一夜漬けとおなじく、そういうときにだいたい賢しらな態度になるのもより事態を悪化させている。

商人達の既得権益批判に眉をひそめた知識人たちは多かったが、――ぼくよりも点数とってずるいぞ既得権益だ、とかそういう類いもおなじである。案外学者のなかにはそういうタイプが多い。既得権益というと悪に見えるが、それを穏やかに人材育成といってもよいが、
その人材とやらには、既得権益とおなじく、社会的な連関を含んだものを切り捨てたうえで想像される架空性に向かっている。だから、一生懸命その育成に向かおうとすると、その切り捨てた性格に気付いている人間以外の、せいぜい半分ぐらいの人間しか従ってこない。いろんなものを後回しにせざるを得ないとかいう理由をつくるような喫緊の課題――が多すぎる民主制国家と似てくる。だいたい投票で1対1になって強く言った方が勝ちという政治がエスカレートして行く。人材育成を目標とする学部がいつも半分しか育成できないのもたぶん同じ理由だ。

そういえば、強かったドラゴンズは、どこと当たっても1点差で勝つみたいな試合が多かった。御嶽海もどの番付でも八勝七敗ぐらいになる傾向があった。とうぜんそのやり方では横綱とかになれない。御嶽海は野球の方が向いているのではっ。

――閑話休題。切り捨てたものは忘れられたのではない。いまだに日本人に広範に共有されて居る倫理は、因果応報とか天罰とかだが、その回帰してくる罪はだからこそ回帰しているのである。だいたい、若者?が五時に帰りまーすとかいうのも、女性?がわちきも自由にさせろ、みたいなのも目の前にいる人間に対するよりも、なにかの天罰とか因果応報がなにかの観念に向かっている感じなのだ。また切り捨てたものが回帰して大変な事になるに違いない。共依存ではない親孝行はあるのかというお題で授業をしたことがあるが、むろん共依存的でない親孝行はない。いまの親孝行の消滅はそのために起こったことだ。

無意味で平和な未亡人

2025-05-22 23:04:44 | 文学


 棍棒に打たれて朦朧とした記憶のダイアグラムを自分の中に固定し、それを範例にして、再利用できる事例を探し求めることはできない。私の知人の一人は、学位を取得した後に少しだけ放浪していたが、その後学習障害者のための国家機構で働き始めた。同世代の誰もが市場を開拓しに出かけていき、どれだけ遠く、どれだけ高く、自分たちが山を登れるかを考える事に向かう中で、彼の仕事は立派で、積極的で、寛大なものだ。しかし数年後、彼は辞職した。誰でもそうするさ、と彼は言っていた。大勢の人々に対して甘いパパでいたり、サンタクロースでいたり、イエス・キリストでいるということは、魂にとっておかしなことなんだ、と言っていた。 辞職しない人については、あいつらは、揃いも揃って「大いなる看護師」なのさ、と言っていた。
 状況が求めるままにそこにいると、第三の眼のようなものが、何となくなすべき正しいことを見つけ出してくれる。すると、考えているときにアイディアがひらめくように、その正しいことが骨格に張りついて、範例のようになる。難しいのは、次の機会に、無知でいると同時に関心を持ち、なおかつ怖れを抱くということである。その無知と、関心と、恐れからだけ、善い行いや、勇敢な行いはやって来るだろう。 次の日には、空しい気分に取り残される。善い行いは栄光というよりも重荷であり、その栄光は、間違いなく重荷なのである。力が強まることもなく、ただ抑制された力だけが残されている。 時が満ちて、新しい力、正しい力が現れるかどうかも分からない。 再び善い行いができるようになるためには、悪意を知らねばならないのかもしれない。


――アンルフォンソ・リングス「善い行い」(『変形する身体』小林徹訳)


確かに、善意の降臨がずっとおなじ職場にいると起こりにくくなるのはわかる。リングスの論法は、我々が短いスパンで悪意による罪にまみれることを合理化しているようでそれはそれで納得いかないわけではあるが、確かに、善意も悪意もない人間というのはだいたいバカになって行くのは自明の理である。なぜか教育の業界にいると、そういう当たり前のことが分からなくなってゆく。

物理と私とどっちが大切なのよ、みたいな大学院入学を煽り立てるポスター(大阪大学)があったと記憶するが、大学の教員のなやみはもはやそういう決断を迫る入営的青春にはない。もっと内面化された悩み――学問と大学とどっちが大切なのだ、という戦争的問いである。で、結局自分の健康をとったり、人によっては酒をとったりする。それで辛うじて平和的に死ぬか生きる。

今年は、野間宏を卒業論文のゼミであつかっているので、彼の小説のなかの「未亡人」の扱いは興味があるところだ。カストリ雑誌や林芙美子を読んで、当時の未亡人に思いをはせるのもいいが、私はさきほど、「豆腐屋の雞が首を締められた未亡人のようなときをつくつた」とかいう科白がふとんの中の頭に降ってきたので、安部公房のSカルマ氏の犯罪のなかの一節であることを突き止めて起きてしまった。

安部公房がよいのは、無意味で平和な未亡人を書いたからだ。野間の未亡人には戦争の意味がありすぎる。

Tremendous English

2025-05-19 23:18:15 | 文学


「何だつてはなを啜るんだ」
そして三五郎はすこしのあひだ私の顔をながめたのち、初めて私のみてゐる地点に気づいたのである。三五郎は頭をひとつふり、やはりたたみの上をみてゐて呟いた。
「どうも僕はすこし変だ。徹夜の翌日といふものは朝から正午ごろまで睡っても、まだ心がはつきりしないものだらうか。僕は大根畠の排除にちっとも気のりしないで、却ってぼんやりと蘚のことを考へてゐたくなったんだ。女の子と食事をしてゐるときふつとそんな心理になってしまったんだ。しかし、たたみのうへにこぼれてゐる頭髪の粉つて変なものだな。 ただ茶色っぽい粉としてながめようとしても決してさうはいかないぢゃないか。女の子の頭髪といふものは、すでに女の子の頭から離れて細かい粉となつても、やはり生きてゐるんだ。僕にはこの粉が生きものにみえて仕方がないんだ。みろ、おなじ粉でも二助の粉肥料はただあたりまへの粉で、死んだ粉やないか。麦こがしやざらめ砂糖と変らないぢゃないか。しかし頭髪の粉だけは、さうはいかないんだ」
 三五郎は何かの考へをふるひ落す様子で頭を烈しく振り、そしてふたたびノオトに向った。


――「第七官界彷徨」


尾崎翠が立派なのは、横文字をふりまわさないことである。そうであるのに、なにか文章に光が差しているのはすごいと思う。うんこが満ちあふれる小説なのに。花田清輝なんか「ぱとろぎい・です・めるへん」とか題し、「やぽんまるち」とか題する人と同じくいろいろ工夫はするわけであるが、なかなかその光がでなかったような気がする。

わたくしななぞ、最近は絶望して、横文字をそのまま放り出す方がよいのではないかと思うくらいだ。

ところで、国文学などをいじくっていると、専門家と名乗る人ほど、読めない漢字も意味が分からない言葉がある事態には自覚的である。学校教育的な意味で簡単なものを間違えたりする人も馬鹿にはしないし、かようなことで人を蔑んだりはしない。が、間違いを指摘されたりすると「お前たちは英語で論文書いてないだろ」みたいなことを俄に言い出す人もいて困ったものである。英語で書いたり読んだりすることの不完全さを自覚する専門家はさすがにそういうことをあまり言わないんじゃなかろうか。

東大の工学部がオールイングリッシュで授業をするとかいうニュースがもたらされ、また定期的な炎上がおこなわれている。だいたい、そこに適応する人はともかく、ほとんどは不完全すぎる英語の実力が壁になって学修が圧倒的におくれるのがなぜ分からないのであろうか。すなわち、そのほとんどは何の成果もなく、下手すると工学部の「坊っちゃん」が「うらなり」君みたいになり、わたくしのような赤シャツ気質に虐められるだけであろう。確かに、そのなかで漱石みたいに精神を病みながら文豪になるやつが一人ぐらいでるかもしれない。東大工学部の人はぜひ田舎の英語の教師になっていただきたい。

確かに、学者同士のコミュニケーションもコミュニケーションみたいになってきていることは確かで、素敵なとか刺激的なとか評してくる学者はだいたいやばい奴と決まっているにもかかわらず、結構な頽廃が進んでいる。授業でも、スライドを使いながらトレメンダスとか言ってれば人気がでたりするのであろうか。私も、今日の授業では、ジョン・ケージのテレビでの「ウォーターウォーク」のパフォーマンスと、マイケル・ジャクソンの「ブカレストコンサート」を並べて、二〇世紀に於いて観客とは、観客と一緒に創るとはいかなる事態か、みたいな与太を展開しているのだから話にならん。バルトが言っていたように、音楽においても読書においても、そこには戦争状態があって、ケージは観客と和解し、マイケルは戦争に勝っただけだ。私の場合は、――わからない。

そういう事――つまり戦争の推移だけを問題にしていても仕方がないのは無論である。読者のうごきに対する考察は、その実作品の読みに関わっていて、それができないと読者がどう感じていたかなんか推測できるはずがない。で、出来ない場合は何かに統計に頼るとういうことがありうるが、ありうるだけである。のみならず、統計的なものの不確かさは結論ではない。まだ、マイケルのコンサートは宗教儀式だとか言っている方がましな場合すらある。

立派な魂について

2025-05-18 23:41:20 | 文学


「減ろびるならばかく激しく、来たるべきものならばかく速やかに――」
 その時、私はふいに意外なものを見とめてぎよつとした。おゝ、泣き叫ぶ人びとの間から、一人の、二人の、三人の、そして数人の人間が、まるであやつり人形のやうな、奇妙な恰好をして空へ昇りはじめたではないか。それは忽ち、あつちからこつちからと段々数を増してゆき、ふらりくと月光美しい空へ向って泳ぎ昇つてゆくのだった。瞬間、私は何かはげしい眩惑を感じ、思はずよろめくと息をのんだ。
――おゝ、昇天してゆく、地上一千メートルの彼方、神の子らが昇天してゆく。
 頭上にはげしい一撃を受けたやうに、私は再びよろめいた。驚異からではなかつた。今宵はこのことも當たりまへ事のはずだつたのである。あゝ、今わたしをよろめき倒さんとするものは、いきなり奇怪な幻想に襲はれたやうな、得体知れぬ一つの不安だった。 思ひがけぬその不安は、いつか、昂然と復讐の成就に肩をはる私の姿勢を崩し、やがて底知れぬところまで落ちゆくと、それは忽ちあの嫌悪と焦燥を翳りたて、征服の絶頂に立つてみた私は、もはや絶望の穽を足もとにみたのだった。


――横田文子『白日の書』


明日は、これと尾崎翠の「第七官界彷徨」と比べてなにか妄想を話すつもりであるが、二作はまるで双生児のようなものだ。尾崎翠は横田の小説がでたころ、もう東京から島根に連れ去られたあとであったと思う。だから、尾崎翠が昭和10年代においても書きつづけていたら横田みたいになったのでは、――といったことを想像しがちであるが、時代は違ってもあちらとこちらのような作品はあるものだ。同時代性というのは時代を超えてあるものである。

尾崎翠の小説は、見掛けよりもインテリ小説である。インテリにこき使われる少女がおかしくなっている小説とも言えるのである。苔の恋愛とかなんとか「きれい」(花田清輝「ブラームスはお好き」)な場面が多いのであれなのであるが、案外彼女は忙しいのである。あまりやることが多すぎると却って非効率になるみたいなのは、一見真実を示しているように見えるが、単にそのひとが能力がなさ過ぎるだけの場合があるのは当たり前である。テクノロジーのおかげでこういう自明の理がわからなくなるのも現代社会のあれであるが、尾崎もたぶん横田も生活に忙殺されているに違いない。いかにデカダンスであっても忙しいのであった。なぜかというと、おそらく生活に関する単純な作業がやや苦手だからだ。

しかし彼らが別に生活者として敗残していったとは思わないのである。我々は、初読の印象が強いために青春の文学だと勝手に思い込んでいるものがあるが、「第七官界彷徨」とかもむしろ中年から初老の文学だと思う。わたくしも生活に疲れてはじめてそのモードを理解したように思う。考えてみると、職業人にはやいうちになった村上春樹なんかも案外そうではないかと思うのだ。そうでないとコマル。わたしがこれから読むからだ。

学生ははやく職業人となるべきだ。それだけでどこかしら立派に見えることは確かだし、実際立派になる。確かに働いたら負けという側面はあるし、正直人生はそこでいったん終わるが、立派になる。立派になった眼で見ると、――乱暴な議論なんだが、「負け組」と「マイノリティ」の関係が常に混乱する、この現状をあまり軽視すべきでないと分かる。「負け組」とは、民主主義の多数決で負けた人々と一緒で根本的にマジョリティなのでそれだけでは魂がない。横田と尾崎の違いを考えるときに、どちらに魂があるのかみたいな議論が必要だ。大学院生のわたくしは尾崎をマジョリティとみなしていた。

チャットGPTみたいなものでいくらか遊んでみたが、さまざまな人が指摘しているように、――「中とって」とか、「綜合すると」とか、「より適切な」とか、「そのことを考え合わせて」みたいなことを答えてくる傾向がある。これには魂がない。尾崎の小説が泣けてくるのは、その寄せ集めみたいな文体にもかかわらず、魂みたいなものあるからだ。人間がある事柄を一〇年考えてぎりぎりなことを言い出す側面がある。チャットなんとかにはいまところそれはない。言うまでもなく、そういう欠落を客観的な論理的能力と錯覚が大手を振って歩くのが我々の社会である。そういう能力は、文学や思想にはほとんど役に立たないばかりか、《ジャーゴン知ったか野郎》みたいな状態を長く続ける可能性が出てきて非効率だ。

大人の変形譚へ

2025-05-16 23:56:14 | 文学


じゃ、私の将来は? 皆様もご存じのとおり、
自分の事は一番気になるもの!
見える、見える!けれども言えません。
その時になったら、さっそく申し上げますがね。
ではいったい、この中で一番幸福な人はどなたでしょう?
一番幸福な人? こりゃすぐ見つかります!
それはおっと、うっかり言えません――
どうやら、悲しい思いをする人がたくさんありそうです。
だれが一番長生きか? そこの婦人か、あそこの紳士か?
いや、こんな事を言ったら、なおいけない!
ではこれにしようか? だめ!あれにしようか? だめ!
では、これは? ああ、何がなんだかわからなくなってしまった。
だれかのごきげんをそこなわないかと心配です……


――「幸福の長靴」(大畑末吉)


戦後文学の「変身譚」の系譜を講義したうえで、澤西祐典「貝殻人間」を演習で扱っている。アンデルセンの童話のほうが、最初から大人の問題を扱っているような気がしないではなかった。戦後の変形譚がちゃんと人間への復帰を主題にし続けないから。。。とわたくしは思っている。

「魂と蛸」必要論

2025-05-15 23:45:13 | 文学


もしもこの時、魂が帰って来て、自分のからだを東通りに捜しに行ったとして、もしそれが見つからなかったら、さぞおかしな事が持ち上がったでしょう。たぶん、まっさきに警察へ行くことでしょう。次には、落とし物広告をしてもらうために登記所へ行くでしょう。そして、いよいよ最後には、病院へ。けれども、そんな心配には及びません。魂というものは、自分だけで、何かする時は、たいへん賢いものですから。魂がまなことをやるのは、みな肉体のせいなのです。さて、前にも言いましたように、夜警のからだは病院に運ばれました。そして消毒室に運びこまれました。消毒室で人々がまず最初にしたことといえば、言うまでもなく、長靴をぬがせることでした。そこで、魂はいやでも、戻って来なければなりませんでした。さっそく、魂はからだのある方角をさして飛んで来ました。そして、たちまち生命が男のなかによみがえりました。夜警は、こんな恐ろしい夜は、生まれてはじめてだ、いくらお金をもらっても、もう二度と、こんな思いはしたくない、と言いました。ですが、どっちみちもうすんでしまったことでした。その日のうちに、夜警は病院を出されました。


――「幸福の長靴」(大畑末吉訳)


左翼や右翼は両翼なので、どちらかがだめになると中間にある翼以外も墜落する。墜落しないためには魂が必要だったのだ。つまり、左翼や右翼も生活者に寄り添っているからだめなのだ。とりあえず、現体制や現生活者を打ち倒してなんぼじゃなかったのであろうか?――いや、考えてみると、右も左も確かに物理的な破壊よりも精神的な破壊を目指しているようでもある。脳天を砕くのがむかしの革命勢力だとすれば、いまは脳髄を砕こうとする、小林秀雄の初期みたいなかんじなひとたちが革命勢力なのである。これを小林は、自殺の論理(自殺するのは蛸だった)につなげていったようにみえる。

中沢新一の『レンマ学』のなかで、タコの皮膚にたくさんの脳が、みたいな議論が出てきたと思う。自分が流石醜いと感じる人たちは、蛸になったほうがよいのかもしれない。小林を右だと思う人々は、蛸を自殺させないために中沢新一を読むべし。

悲しみは、いつも自分一人で

2025-05-14 23:57:40 | 文学


そこで、私たちはそのあいだ玄関へ出てみることにしましょう。そこには、外套やステッキやこうもりがさや長靴が置いてありました。そして、そこに女中が二人すわっていました。ひとりは若く、もうひとりは年をとっていました。ちょっと見ると、どこかのお嬢さんか未亡人のおともをしてきたらしく見えました。けれども、もうすこし気をつけて見ますと、ふつうの召使でないことが、すぐわかりました。召使にしては、手が華奢ですし、ものごしも上品でした。それに、着物の裁ちかたにも、ふつうとは違った思いきったところがありました。この二人は、じつは仙女だったのです。若いほうは、もちろん幸運の女神ではありません。女神の侍女の一人に仕えている小間使でした。小間使とはいっても、ちょっとした幸運の贈り物を持っていました。もう一人の年をとったほうは、ひどくまじめな顔つきをしていました。これは悲しみでした。悲しみは、いつも自分一人で仕事に出かけます。そうしたほうが、うまく仕事が運ぶということを知っていたからです。

――アンデルセン「幸福の長靴」(大畑末吉)


悲しみが召使いを連れて歩くとは、現代の親子たちを見るようだ。親子関係の桎梏がやっかいなのは、それが目的化することでその外部性を失うことである。「新世紀エヴァソゲリオソ」がその地獄を描いていたし、古くは白樺派の一部がそうであった。親が長生きする時代になって社会全体がそうなってきている。親と社会とは両立できないというのがわたくしの感覚である。

現代の子供とは、老人の連れ合いであって、子供ではない。もう一回「赤い鳥」からやり直さないといけないきがする。ちょっと歳をとってくると、偉そうな口をきいて部下たちや若者を働かす者に童心がないことは明らかだが、ついでに心も失っている場合がある。野間宏の小説に屡々見られるように、物体からの引力で人の心なんか簡単に失われる。その力が権力でもコミュニケーション能力(笑)でも同じだ。窮余の策に過ぎない慣習の積み重ねだけで誰もが納得するわけではないのが分からない馬鹿がいるのはなぜであろうか。おそらく「赤い鳥」の地点が失われたからである。理屈をいうときにこそみずからの正当性がなく、その実、ルサンチマンのはけ口ととしての弱い者いじめとしての理屈しか行わない変態がいない、――そういう地点である。

白昼夢と文化資本

2025-05-10 23:51:08 | 文学


 ストーブの暖い、上の水皿から湯気のぼうぼう立つまわりに、大勢成人や自分くらいの人々がい、独りぼっちで入って来た自分を驚いたように見る。――自分が試験されるのだから、母などは、ついて来るものとも思っていなかったのである。が、この光景を見ると、自分は急に心淋しくなった。そして一そう成人ぶった顔もし、眼の端から泣いて何か母親に訴えている娘や、心配そうに本を出して見ているリボンの後姿を眺めた。――
 第一日の試験に出来たつもりの算術が大抵ちがっていたのを知って、自分はどんなに涙をこぼしただろう。また、到底駄目に定ったと思って銀座へ遊びに行き、帰って玄関の暗い灯で、手に持った葉書を何心なく見、それが入学許可の通知であると知ったとき、歓びは、何に例えたらいい程であったろう。
 十三の少女の心に、それほど鋭い悲しみや歓びを感じさせながら、受け入れた学校は、それから十九まで私に、どんな感化を与えたか、自分を中心にし、主観で見れば、そこには限りない追憶と、いろいろさまざまな我が姿がある。けれども、人生を深く広く客観すると、一生の最も基礎となる五年を、夢とほか過せなかったのか、という疑問が起って来る。


――宮本百合子「入学試験前後」


とつぜん大学の頃を思い出したりもするのだが、――1年生のある授業で「自治会で徹底したディベートの練習をした方がいい」とか主張したのが一生の恥だほんと生まれてスミマせんとしかいいようがない。それでも、これは日中思い出すだけだから大したことはなく、御飯をたべればなんとかなる類いである。

しかし、夢に何回も出てくる試験最中というのがあり、「いままでの人生は夢でした」という趣向の夢はそうはいかない。大学の先生たちは、案外こういうのをみる。宮本百合子の場合はどっちだったのであろう?私も「博士課程から現在はまでは夢でした。いまは修士論文提出の前日です」に加えて「大学入試以降は夢です。明日はセンター試験です」とかいう夢を現在でもときどきみる。もはや現実感という意味では、起きているときよりもリアルなので、いまの現実のほうを疑っているくらいだ。で、その試験が終わってからも「2次試験の数学で1問もわからないけど、そういえば、センター試験でもほとんど解けなかったのでは?そういえば英語もほとんどがあやしいぞ」みたいな0点に向かって突進して行く趣向が続いて行く。――そういえば、こういうのを起きている今記述できると言うことは、その実、それが夢の記憶が白昼夢と化しているといってよく、その0点状態への恐怖で、私は、仕事や研究にひとより五分ぐらいははやく着手してると思う。はやく取りかからないとまったく脳が空白であるような気がしているのだ。

わたくしが思うに、この悪夢を白痴夢と化す受験システムが、文化資本的なものを迫害しているのである。



わたくしの文化資本は、初等教育の教師の家に生まれたことによって得られた部分がある。上のレコードなんかがそうであろう。そこにある文字や画像を含め、音声も記憶にはっきり残っている。東京こどもクラブのレコードに混じって授業用の見本ソノシートのレコードがあった。体育用とかもあった気がする。――こういうものは、試験にでなかった。東京の私大につとめている同業者は、いまどき金持ちの古風な「文化資本」なんかもう存在してませんわと言っていた。しかしまあ、アカデミシャンが文化資本とか言い始めたときに、その人も品のいいディレッタントではなくなっている。

悟空と奴隷たち

2025-05-09 19:39:22 | 文学


『近代文学』十月号の話で、平野氏は雲にのった孫悟空のように、自身をあらわしている。いまそこにある一つのことでわたしを非難したかと思うと(作家らしすぎるということで)、翻って、わたしが非難されたそれとは正反対のものであるとして(わるい意味で云われている組合の指導者)逆から非難する。このわざは、言葉のあやをかいくぐって連続的に行われているが、たとえばその足許の雲となっている一つの誤記が、誤記とわかってしまったとき、孫悟空の雲は消散して、さて一場のてんまつはどうなるだろう。
 文学のことは、それについて話したいことを話すひとのものだけではなくなって来ている。


――宮本百合子「孫悟空の雲――『近代文学』十月号平野謙氏の評論について――」


今日は「悟空」5・9の日だそうです。筋斗雲をかいてみました。

悟空にとって筋斗雲とは水泳に於けるビート板みたいなものであろうか。我々はなぜかビート板なしでも浮けるようになってしまうし、むしろ、筋斗雲やビート板はスピードを遅くしてしまう邪魔なものになってしまう。勉強やお使いだって、はじめは自立してやれているのではないが、はじめは教師や問題集や入試などが補助装置として必要なのである。

生成AIがはたしてそういうものかどうか?ビート板がそのまま舟になったような勢いではないか?

最近の歴史では、ラジオで総ファシスト化、テレビで総白痴化、ビデオで総オウム化、PCで総クズ化、スマホで総老眼化ときて、チャットGPTで総精神病化ときたので、そろそろバ化がくるのではないだろうか。

そういえば、テレビの後から始まったゲーム脳とかもあった気がする。わたしはゲームと言っても将棋とオセロでとまったからわからないし、なぜかゲームというものに嫌悪感があるのであるが、――柄谷行人のデモに対するあれ風に言えば、「ゲームをすることによって脳を変えることは、確実にできる。なぜなら、ゲームをすることによって、その人の脳は、その人がゲームをする脳に変わるからだ」としかいいようがない。

わたしもパソコンでカチャカチャやってるから人のことは言えないが、太宰とか漱石の同時代人になったつもりで読むみたいな研究者は、まずそのカチャカチャやめろと。

――それはともかく、われわれはもはや道具というもので自分たちの生活を豊かに高度にする気はない。孫悟空になるのではなく、車に乗って悟空に守ってもらうつもりなのである。火花山の猿どもは楽をしていた。生の効率化である。

昔から、若い頃、仕事の効率化を主張している連中はものすごく多くいたが、彼らが今どうなっているかというと、単に好きなこと以外の仕事をさぼっているだけのひとになっている可能性が高い。思ったよりも人の社会は効率よく出来ないのはそもそも自明だし、はじめから「効率化」は方便だったのではないだろうか。現在効率化みたいな主張をする奴隷的人間はほぼ100%人に仕事を押しつけるために仕事の意味を攻撃しているだけである。一方、管理職みたいな人々にとっては、効率化の主張はだいたい他の改革事業やらのためのバランスとも関係していたわけで、もっと欺瞞的であった。ほんとは効率化でなくて時間を取りあげて新規事業に動員したいだけであった。で、結局、省いていいものなどあまりないから、仕事量は改革すればするほど増えてゆく。奴隷からしたら迷惑きわまりない。問題は、奴隷にも自意識があるので、この現状を打開するのに、他の奴隷を虐めることで自分の自由のスペースを確保するようなやり方が常態化したことだ。

文士の悲惨

2025-05-03 23:39:09 | 文学


もっとも水蔭のごときは、他に相当の原稿料をかせぎながら酒色に濫費し、たえず窮迫していたらしいが、新聞社勤めもできなかった他の作家の生活は、悲惨をきわめていた。当時文壇ゴシップの大半はかれらの貧乏物語なのである。たとえば小栗風葉はゆかたを一枚しかもっておらず、それが乾かなかったので外出できなかったという話がある。しかし風葉の生活は放縦をきわめ、自業自得の嫌いがないでもない。 また、広津柳浪は金がなくてお菜がかえず、金魚をすくってきて子どもたちに金魚のフライをたべさせたが、これなども若干の ユーモアで救われている。しかし何とも陰惨なのも数多く、たとえば有名なのでは、石川啄木は貧乏ゆえに肺病の手当てができず、家内中、感染したというのなどは、一文士の待遇の問題をこえたことであろう。

――多田道太郎「芸術家の待遇の歴史」(『複製芸術論』)


きのうテレビで「おっ、ジブリに影響を受けたシュールなアニメやってる」と思ったら「君たちはどう生きるか」だったわけだが(――映画館でこの映画を観ていたが細部を忘れてたのだ)、この映画は案外、宮崎監督が作っているとはいっても「おっ、ジブリに影響を受けたシュールなアニメ」みたいに創られたのではなかろうか。いままでのジブリとは違った動きのところもあるし、宮崎監督の自己模倣みたいな、そして模倣になりきっていないところもあるからである。のみならず、本質的に私アニメなので、自己を模倣しながら自己から空想的に遠ざかる側面が顕著なのだ。そして、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の昭和12年的状況からの逃避的想像という面でも理解することも出来るわけであるわけであるから、そのシュールさの本質は、二重の逃避としての空想というべきかもしれない。宮崎アニメというのはそもそもそういう面を抱えていたわけだが、その空想を子供のためというロマンという理由で支えなくてもよいと思いはじめた宮崎監督が、自分の逃避とのみ向き合っている感がつよい。こういう内省は「内部世界」というシュールさを帯びる。

宮崎監督は、戦時下で育ちながら、父親が兵器をつくっていたためかよい暮らしを経験していたらしい。これにくらべると、上の文士たちは悲惨である。おそらく、貧乏というのは、逃避が許されない。金を持つようになっても貧乏であることは続くのである。

アイディアルに生きる文士を多田は肯定している。しかし留保条件として、一応飯を食えること、その目処のあることが重要とのべ、「そのためには、文名高しといえど、女房を働かす、その他の工夫が必要である」と述べている。わたくしなぞ、文名低し、女房を働かし、自分も働いている。さいしょのところが少し違うが、私の本質が貧乏文士である所以である。

しかし、文士がかように貧乏であるのは、原稿料が安い、酒と女に使いすぎという理由以外にも原因がある。本読みだから働く暇がないのだ。いま本読みの利点として考えられていることも、よく考えてみると、貧乏の原因になりかねないことばかりである。例えば、まだ読んでねえ重要作があるというだけで死ぬわけにはいかない、と思う本読みの思想は一見かっこよくみえるがそうではない。人間記憶力はだいたいたいしたことないから一度読んでも忘れる。で、読み直すしかなくなる。ドストエフスキーなんか作品の区別がよく分からなくなるので、いずれ全部読みなおさないと逝けなくなってしまうのである。本読みがだいたい読まない人を蔑視しているようにみえるのは、自分が頭がいいとか思っているというより、「源氏物語読まないとか生きてて恥ずかしくないの?」とか「空海ぐらい読んどけよ情弱が」とか「ドスエフスキー読んでないとかほんとに人間なのか」とかいう声が本棚から聞こえるからにすぎない。むかし田島正樹先生が、ブログで、ドストエフスキー読んでないひとは人間ではなく猿並、とほんとに書いていた。わたくしはこの意見には反対だ。猿並ではなく小学生の頃の私並みというべし。

そして、本読みのあれなのは、ドストエフスキーがスキとかいっているだけでなく、コンビニで売っている雑誌なども本だからという理由で収集し始めかねないというあれである。周囲の人間はたまったものじゃないと思う。

革命をマンガで、社会を文学で

2025-04-30 23:41:30 | 文学


すべて此の世で眞に偉大なるものは、提携によつて獲得されたものではなく、常にたゞ一人の勝者が爲し遂げたものなのだ。提携はその遣り方が遣り方だから、始めから将来の分立、またはそれ以上に、到達したものをやがては喪失する萌芽を含んである。偉大な、本當に全世界を驚倒させるやうな精神的革命といふものは、そもそも單一、一體の組織の巨大なる闘争があつてのみ考へ得ることであるし、且つそれに依つてのみ實現化され得るのであつて、決して提携に依る企てとしてではない。

――「吾が闘争」(下巻、第八章)


そりゃその偉大な勝者がマジンガーZで、暗黒代将軍を倒したとか、あるいは、鄰の家のあんちゃんが隣の村の悪いあんちゃんを一瞬で殴り倒したとかだったら、むしろ称賛される勝者なのであろうが、ことはドイツ全体という大きさであった。しかしヒトラーはむしろその大きさが、一人の観念と化した勇者によって出現すると考えたし、そこは非常にいいとこついていた。良心的だが野心的な民主主義者や共産主義者たちが恥ずかしくて言えないポイントである。むかしの左翼運動からあったジレンマ、実践的にみえるやつほど観念的であるという自明の理を、なにゆえ現代の良心的な運動族が無視してるのかというと、そういうことなのである。教育界でも、実践的理論とか言うてるうちに、何もしない人々が増えているが、実践的であることは観念的であり、理論は観念的であるから、当然である。大事なのは、ただの理論、あるいはただの個人であり、それゆえ実行されやすいに過ぎない。

そういえば、昨日は昔の天皇誕生日だったが、昭和天皇はわしとおなじく蕎麦好きだったらしい。うどん好きは朝敵である。――こんなぐあいで、友敵理論だってそんな単純なところがあるにちがいない。

われわれの目指すところは、上のような悲惨しかもたらさない元気いっぱいの革命運動ではなく、社会である。どういうものかというと、香川県で蕎麦派が多いからといって、うどん好きを殲滅するのがヒトラーのやり方であるのにたいし、社会は、香川県に木曽駒ヶ岳と御嶽山を移植して、うどんと人口の半分を移動させる――そういう提携的な夢を多くのひとに見させるがごとき難問なのである。あるいは、ヒトラーを穏やかな小学校の先生にする、とか、植民地主義主義者カミュを、当時からポストコロニアリズムに転向させるような難問である。――言うまでもなく、こういう構想は特殊な文学的なものである。革命は漫画で、社会の構想は文学である。

Scambi

2025-04-27 20:08:46 | 文学
Henri Pousseur - Scambi (1957)


近年の器楽曲の中には、解釈者に許された演奏上の特殊な自立性によって特徴づけられる作品がいくつか認められる。そこでは、解釈者は、伝統的音楽の場合のように、作曲者の指示を自己の感受性に応じて自由に解釈できるのみならず、しばしば楽音の持続や継起を創造的な即興行為において決定することによって、作品の形に介入することさえ要求される。よく知られているものの中からいくつか例を挙げてみよう。

[…]アンリ・プスールは自作の『交換(スカンピ)』について次のように述べている。「『交換』が構成するのは一つの楽曲というよりはむしろ可能性の場、選択への誘いなのである。それは一六の部分から成っており、これらの部分はそれぞれ二つの異なる部分と組合せることができるが、だからと言って音響生成の論理的連続性が危くされることはない。つまり二つの部分には、同様の始まり方をして別様の展開を見せるものもあれば、同じ終り方ができるものもある。どの部分から始めることも終えることもできるため、演奏の結果として非常に多くの継時的組合せをとることが可能になる。要するに、同時に始められる二つの部分は、時間的に重ね合せられ、より複雑な構造的対位法を生じさせることができるのである。このような形式上の提案がテープに録音され、そのまま販売される場合を思い描くこともできよう。かなり高価な音響装置を駆使するなら、聴き手たち自身が録音されたものに対し未聞の音楽的想像力を働かせ、音素材と時間についての新たな集団的感受性を行使することができるであろう」。[…]

この種の音楽的伝達と、古典的伝統において我々がなじんできた音楽的伝達との差異は一目瞭然である。簡単に言えば、この差異は次のように公式化されうる。つまり古典的な音楽作品は、バッハのフーガであれ、『アイーダ』であれ、『春の祭典』であれ、作曲者が一定の完結した仕方で組織して聴き手に提示するか、あるいは作曲者が構想した形が実質的に再現されるべく、演奏者を導くのに適した慣習的記号に移し変えるかした、音響的現実の総体において存する。一方、これらの新しい音楽作品は、完結した一定のメッセージにおいて存するのでも、一義的に組織された形において存するのでもなく、解釈者に委ねられた様々な組織化の可能性において存するのであり、それゆえ、一つの所与の構造的方向で再生され理解されることを求める完成した作品としてではなく、解釈者によって美的に享受されるその瞬間に完成される開かれた作品として提示されるのである。
[…]
〈開かれた〉 作品の詩学は、プスールが言うように解釈者の中に意識的自由行為を助長させ、彼を無尽蔵の関係からなる網目の能動的中心として措定しようとする。 解釈者は、この関係のただ中で自分自身の形を創設するのであって、享受する作品の確定した組織様態を彼に命ずる必然性により、決定されるのではない。しかしながら、その概略を示した〈開かれ〉という用語のより広い意味内容に依拠する場合に、異論として予想されるのは、少なくとも、どのような芸術作品であれ、解釈者がそれを、作者自身と適合した行為において再創造しないならば、真に理解することはできないのであるから、芸術作品は、たとえ実質的に未完成なまま託されることはないとしても、自由で創意ある応答を要求する、ということである。 それでもこの異議は、現代美学が、解釈関係なるものについての成熟した批判的自覚に達してからはじめて実現した認識を構成するのであり、数世紀前の芸術家は確かに、この現実を批判的に意識するどころではなかったのである。ところが、今日では逆に、そのような自覚が、まずもって芸術家に存在しており、彼は〈開かれ〉を事実上不可避の与件として忍受するかわりに、それを生産のプログラムとして選択し、それどころかできる限り大きな開かれを助長させるべく作品を提示するのである。


――エーコ「開かれた作品」(和田忠彦他訳、1990)


解釈関係というもの自覚した芸術家や模倣者がいかに自我を保つか、こういう問題はあまりエーコによって考えられていないような気がするのではある。エーコを大学時代に90年代に新しいものとして読んだわたくしのような人間が感じ取ったのは、そういうことであったような気がする。で、作品と解釈と切り離すのではなく、作品を人格化して攻撃する作法が広がっていったと思われる。これは不可避的なものである。そもそも人々は、プスールの作品を「開かれた作品」として取らず、何か、人の為業として受け取るわけだ。

にもかかわらず、学術的な公式見解としては、解釈と人を切り離す作法が言説や作品を扱うときの前提となった。で、それを機械的に小学校から教えこまれた人々が増えていった。で、人の為業にすると自分がその人にビビってしもうてる現実をみとめる場合、そのときだけ、言説が人の手によっては創られがたいことを主張するようになった。そこにAIのような空気とデータしか読めない現代人の似姿の登場である。

東★紀氏がAIのGrokをブロックしたとか言っていた。オヤジギャグではなくほんとにブロックしてそうであったが、東氏の長所は、AIでも誰かの馬鹿ツイートでも容赦なく人として扱っているところであって、われわれはこのことを忘れがちである。国家もシステムも本も学説も「人」である。ちゃんと喧嘩すべきなのであった。

死と戦後

2025-04-26 23:19:03 | 文学


コウノトリをからかわなかった子に、赤ちゃんをつれていってやりましょう。その子たちはいい子だったからね。」
「じゃ、まっ先にうたいはじめた、あの悪い、いじわるの子は?」と、若いコウノトリたちは言いました。
「僕たち、あの子はどうしてやりましょう?」
「そのお池にはね、死んだ夢を見て死んでしまった赤ちゃんもいるから、それをあの子のところへ持っていってやりましょう。死んだ小さい弟を持って行くんだもの、あの子はきっと泣きだしてしまうでしょう。だけど、ほら、あのいい子のこと、おまえたちも忘れはしないでしょう?生きものをからかうのはよくないことだ、と言った、あのいい子には、小さい妹と弟とを持っていってやりましょう。そして、あのいい子はペーターという名前だから、おまえたちもみんな、ペーターと呼ぶことにしましょうね。」
 こうして、なにもかも、お母さんの言ったとおりになりました。 それで、コウノトリはみんなペーターという名前になり、今でも、そう呼ばれているのですよ。


――「コウノトリ」(大畑末吉訳)


さきほどNHKの「プロジェクトX」で、神戸の高齢パンダの介護番組をやってた。心臓病にかかった神戸の高齢のメスパンダ(おいしいササや林檎しか食べないという人間だったら嫁のもらい手がいないやつである)の健康診断や腹水を抜く治療の奮闘記である。あまりにグルメなパンダなので、粉ミルクと林檎ジュースをまぜた小学生が喜びそうな液体を舐めるのに夢中にさせておいて、腹部から水をぬくという世界初の治療が行われた。おかげでこのメスパンダ、人間でいえば100歳ぐらい生きたそうだ。

しかし、死んだパンダの献花台で号泣するひとたちをみてて、ジュースに依存して苦しみを忘れるパンダと我々が似ていることは勿論、――昔からわれわれは獣と一緒に暮らしてたわけだからもうそういう生活に戻らないと情緒不安定できついんじゃねえかな、まじめなはなし――と思った。

パンダの気持ちはわからないが、我々の死生観がどこまでも死への恐怖が生を萎縮させる馬鹿馬鹿しい状況になっており、多く行きのこるのが正義みたいな、戦時中の、多く死ねば正義、をひっくり返しただけの思想が猛威をふるっている。人が死ぬことを人だけで考えているからおかしなことになるのではなかろうか。ハイデガーでさえ、石とかミツバチと比べて議論をしていたというに。思春期までの体験として、人の死を体験するのが大事とかはよく言われるけど、つまり、――たくさんの動物を看取る経験の上に必要とすべきじゃないかと思う。人の死に対する思考は単独では何処に飛んでいくか分からないものでまったくもって観ていられないというのが、人の歴史ではなかろうか。大衆も、左右どちらも、例えば「犬死」に観念に、実際の犬の死が全く入り込んでいない。

しかしそれは、必ずしも即物的な体験のことではなく、「犬死」における文学的な処理問題である。

戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては止り また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねばあばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑ぎに笑ぎてどよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

野ざらしのどくろさえ
カタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘


茨木のり子の「四海波静」でも扱われている、昭和天皇の「戦争責任」を「言葉のアヤ」「文学方面」に帰する例の発言についてはいろいろ研究があるんだろうが、天皇みずから、戦争責任については、政治や科学でなく、むろん責任者自身でもなく、文学方面で決着していいとの発言であり、むしろ我々にとってよろこぶべき事態である。戦後の文学的戦争責任論争の泥仕合が存在を認められたわけである。

茨木のり子は天皇の発言にびっくりしたのではなく、そこには、野ざらしの髑髏がバックの合唱隊の唸りのようにきこえているのである。それは、戦前から何も変わらないもの除夜の鐘となる。こういう人ことでないと、人は簡単に、責任と罪を分離し、戦後を謳歌できた。かかる転向犯罪者は多く、例えば、敗戦を境に価値観がひっくり返って大人たちの反対のことを言い出したというおきまりの言い方への信仰もその者達を勇気づけた。しかし、彼らは別に普遍的な何かを見たのではなく、特に学校でそれを感じた世代があったんだろうと思う。事実、価値観が文字通り「ひっくり返った」ことはないからだ。ひっくり返ったような言い方をせざるを得ないのは教育的な現場だ。いまもそうである。大岡信が茨木のり子との対談(岩波文庫『茨木のり子詩集』)で言っていたけど、その「ひっくり返った」勢いがちょうど15歳ぐらいだった連中は青春として体験されたが、茨木のような上の世代はそうではないと。わたくしの小学校のときの担任は、敗戦の時に小学校高学年で大江健三郎の世代。すると、戦後の解放と言うより、元軍人の先生とかへの恐怖みたいなものの体験が印象に残ってると言ってた。大江の小説にもそういう要素がある。だからこそ、大江の戦後は、リアルなのである。