
もっとも水蔭のごときは、他に相当の原稿料をかせぎながら酒色に濫費し、たえず窮迫していたらしいが、新聞社勤めもできなかった他の作家の生活は、悲惨をきわめていた。当時文壇ゴシップの大半はかれらの貧乏物語なのである。たとえば小栗風葉はゆかたを一枚しかもっておらず、それが乾かなかったので外出できなかったという話がある。しかし風葉の生活は放縦をきわめ、自業自得の嫌いがないでもない。 また、広津柳浪は金がなくてお菜がかえず、金魚をすくってきて子どもたちに金魚のフライをたべさせたが、これなども若干の ユーモアで救われている。しかし何とも陰惨なのも数多く、たとえば有名なのでは、石川啄木は貧乏ゆえに肺病の手当てができず、家内中、感染したというのなどは、一文士の待遇の問題をこえたことであろう。
――多田道太郎「芸術家の待遇の歴史」(『複製芸術論』)
きのうテレビで「おっ、ジブリに影響を受けたシュールなアニメやってる」と思ったら「君たちはどう生きるか」だったわけだが(――映画館でこの映画を観ていたが細部を忘れてたのだ)、この映画は案外、宮崎監督が作っているとはいっても「おっ、ジブリに影響を受けたシュールなアニメ」みたいに創られたのではなかろうか。いままでのジブリとは違った動きのところもあるし、宮崎監督の自己模倣みたいな、そして模倣になりきっていないところもあるからである。のみならず、本質的に私アニメなので、自己を模倣しながら自己から空想的に遠ざかる側面が顕著なのだ。そして、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の昭和12年的状況からの逃避的想像という面でも理解することも出来るわけであるわけであるから、そのシュールさの本質は、二重の逃避としての空想というべきかもしれない。宮崎アニメというのはそもそもそういう面を抱えていたわけだが、その空想を子供のためというロマンという理由で支えなくてもよいと思いはじめた宮崎監督が、自分の逃避とのみ向き合っている感がつよい。こういう内省は「内部世界」というシュールさを帯びる。
宮崎監督は、戦時下で育ちながら、父親が兵器をつくっていたためかよい暮らしを経験していたらしい。これにくらべると、上の文士たちは悲惨である。おそらく、貧乏というのは、逃避が許されない。金を持つようになっても貧乏であることは続くのである。
アイディアルに生きる文士を多田は肯定している。しかし留保条件として、一応飯を食えること、その目処のあることが重要とのべ、「そのためには、文名高しといえど、女房を働かす、その他の工夫が必要である」と述べている。わたくしなぞ、文名低し、女房を働かし、自分も働いている。さいしょのところが少し違うが、私の本質が貧乏文士である所以である。
しかし、文士がかように貧乏であるのは、原稿料が安い、酒と女に使いすぎという理由以外にも原因がある。本読みだから働く暇がないのだ。いま本読みの利点として考えられていることも、よく考えてみると、貧乏の原因になりかねないことばかりである。例えば、まだ読んでねえ重要作があるというだけで死ぬわけにはいかない、と思う本読みの思想は一見かっこよくみえるがそうではない。人間記憶力はだいたいたいしたことないから一度読んでも忘れる。で、読み直すしかなくなる。ドストエフスキーなんか作品の区別がよく分からなくなるので、いずれ全部読みなおさないと逝けなくなってしまうのである。本読みがだいたい読まない人を蔑視しているようにみえるのは、自分が頭がいいとか思っているというより、「源氏物語読まないとか生きてて恥ずかしくないの?」とか「空海ぐらい読んどけよ情弱が」とか「ドスエフスキー読んでないとかほんとに人間なのか」とかいう声が本棚から聞こえるからにすぎない。むかし田島正樹先生が、ブログで、ドストエフスキー読んでないひとは人間ではなく猿並、とほんとに書いていた。わたくしはこの意見には反対だ。猿並ではなく小学生の頃の私並みというべし。
そして、本読みのあれなのは、ドストエフスキーがスキとかいっているだけでなく、コンビニで売っている雑誌なども本だからという理由で収集し始めかねないというあれである。周囲の人間はたまったものじゃないと思う。