但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者には・さるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言を・とげんとこそをぼすべきに其の義なきは我が身・法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし。
Eli, Eli, Lema Sabachthani? とは誰でも言いたくなることはあるであろうが、本当にまずいときには事態の打開のため神よりもそこらの道具や人間を使うものである。日蓮もそういうときにお経を使ったのだ。これは日蓮が思想を道具として使ったからダメだというのではなく、むしろ思想とは道具だということに気付いたことに日蓮の慧眼がある。
例えば書類の誤りが多い組織は会議も民主的手続きもいいかげんであるのが普通であるが、なぜだめかというと、書類というものが思想的な道具であることを軽視しているからである。こういうものを手放した組織は、かならずいじめや同調圧力に頼るようになる。ボスのお気持ちに忖度する輩が増えるもんだから、ボスはボスでお気持ちを強く表明する必要がでてくるのである。
実態をよくみるべきで、最近は大学教員の正義の味方ップりが憂き世離れっぷりとして批判されることもますます多くなってきたが、大学の組織が上のような状態になると、まさに正義の味方であるはずが、実態は盛儀の味方もどきになっているのであった。「労働者」なんてかっこいいものじゃない。
以前授業で、「ある時代というものを考える場合、オウム真理教がSDGsをしているようなような状態を考えなければならぬ」という暴言を吐いてしまったことがあるが、間違えた。「ある時代」ではなく、「ある組織」であった。我々はそんな場合、案外遊びのつもりだったみたいな、感覚に陥っている可能性がある。部屋に引きこもって何かに熱中する体の遊びではない。閉じ込められているが故に外に出られなくて暇だから遊んでしまうあれである。
柳田國男の大正十一年ごろの日記を読んでたら、毎日トランプやって遊んでいる。よくみたら、彼は船上にいたのであった。ゲームやって遊んでいる人は現代社会の人生という船に乗っているのであろう。いや、乗ってる訳ないだろう。さっさと勉強するほかはあるまい。すべては完全なる勉強不足からはじまっている。暇を踏みつぶして根性で勉強である。
まづ、最初に、nih 一類の語から考へて見る。第一に思ひ当るのは、丹生である。「丹生のまそほの色に出でゝ」などいふ歌もあるが、此は略、万葉人の採り試みた民間用語に相違ない様である。山中の神に丹生神の多いのは、必しも、其出自が一処の丹生といふ地に在つた為と言はれぬとすれば、此を逆に、山中の丹生なる地が神降臨の場所であつた、とも言ひ得られる。江戸時代に発見せられた天野告門を読んだ人は、丹生津媛の杖を樹てたあちこちの標山が、皆丹生の名を持つてゐるのに、気が附いたことであらう。私には稲むらのにほが其にふで、標山のことであらう、といふ想像が、さして速断とも思はれぬ。唯、茲に一つの問題は、熊野でにえと呼ぶ方言である。此一つなら、丹生系に一括して説明するもよいが、見遁されぬのは、因幡でくまといふことで、くましろ又はくましねと贄との間に、さしたる差別を立て得ぬ私には、茲にまた、別途の仮定に結び附く契機を得た様な気がする。即、にへ又はくまを以て、田の神に捧げる為に畔に積んだ供物と見ることである。併し、此点に附いては「髯籠の話」の続稿を発表する時まで、保留して置きたい事が多い。
――折口信夫「稲むらの蔭にて」
横道誠氏の『発達界隈通信』を読了した。ツイッター界隈――ツイッタランドなどというのは国に見えないけれども、本はなんとなく国に見える。少しちがった国を旅した気分である。ある種の権利獲得のために共同体が必要というのは本が必要だという意味に近い。
わたしは古びた木造建築で育ち学びはじめたが、道路も舗装されてない道も周りに沢山あった。これが小学校低学年までにおおかた違うものに切り替わった。もっとも、わたしに感覚として残っているのは変化ではなく破壊である。変化が激しい時代とか軽く言う人間はあとを絶たないが、大した変化を経験せず想像もしていないんだろうなと思うばかりだ。
小さい頃の時代や環境の変化は、破壊として認識されていることがある。発達障害も、環境とか受けた教育によってかなり違った様相をみせるものであると横道氏の本を読んでみても思う。
柳田國男が有名な「山の人生」で、「人生」という言葉を使った事の意味は大きい。柳田は空想よりも「隠れた現実の方が遙かに物深い」と言っている。隠れた現実とは破壊され忘れ去られた現実のことで、そういう次元に「人生」はある。これを逃すと、我々は空想じみた「人生みたいなもの」に突入してしまうのである。北村透谷の人生論の時代はまだ突入しかけだったので、芸術は人生に相渉るものでよかった。われわれの社会は、本格的に「人生みたいなもの」を強制する社会である。
既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし。
このあと、法華経をはじめとする引用が怒濤のように並べられ、なぜ日蓮がこんな目に遭っているのか、その根拠が日蓮伝ではないお経によって証明されるのである。これは奇妙なおかしいことのように思われるけれども、われわれにとって生きている意味の証明とは、われわれが何かの特別な復活であることによってなされること屡々である。これに比べると、サイエンスの再現可能性などは、みんなに再現されてしまうことなのであまり意味を持たない。我々の苦難とは、まさに嘘のようにみえるのであって、釈迦の苦難も我々の苦難も嘘じみた趣においてあり、しかもありえなそうな復活によって意味を持つのである。
とうとう二十年来の肩の重荷をおろしましてほっといたしました。ふりかえってみますと、私が十五歳の折り、内国勧業博覧会に「四季美人図」を初めて出品いたしまして、一等褒状を受け、しかもそれが当時御来朝中であらせられた英国皇太子コンノート殿下の御買上げを得た時のことを思い合わせまして、今度皇太后陛下にお納め申し上げました三幅対「雪月花図」とは、今日までの私の長い画家生活中に、対照的な双つの高峰を築くものだと考えます。自分の口から申すのも変ですが、今度の「雪月花図」こそは、それほど私がありったけの全精神を注いだ努力作品なのでございます。
――上村松園「あゝ二十年――やっと御下命画を完成した私のよろこび――」
対照的な二十年というのはこういうものだ。日蓮の二十年が寸断された弾圧の時間であり、長いというよりも爆破したい一種のものと化しているのに対し、上村松園の二十年は時間である。上村にとって天皇は時間を与えるものである。
日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。これを一言も申し出いだすならば、父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等にこの二辺をあわせ見るに、いわずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕つべし、いうならば三障四魔必ず競い起こるべしとしんぬ。二辺の中にはいうべし。
大事なのは、日蓮ただ一人が真実を知っていることであった。しかしここでそのことを「一」言しゃべってしまえば親や兄弟、師匠からは止められ、国主からも処罰がくだるにちがいない。しかし言わなければ自分はまさに慈悲なきものだろう、と悩んで、法華経・涅槃経などに照らし、この二辺――「二」つの道をくらべてみる。と、言わなければ今生では無事でも後生では必ず無間地獄に落ちるであろう、言ったなら「三障四魔」などの迫害が襲いかかるのは明らかである。わたしは二辺のうちの言う道を選んだのだ。
あれかこれか、の二辺を検討するうちにどちらもとんでもない困難が待ち受けていると知った。で、それならば真実の道を、と言うわけだが、――わたくしはやはりここでは「一」というのが自らの自己同一性であるかぎり、「二」辺はだめだし、「三」障「四」魔はもっての外なのだ、と言っているように見える。親や兄弟、師や国王も数えるまでもなく、五、六どころのはなしではないであろう。はやく「一」に帰らねばならない。勇気が自己同一性と区別がつかない状態というものはあるのだ。
さっき、大学生における自己肯定感に関する論文を読んだ。わたしが自己肯定感のような議論にあまり乗れないのは、それが上のような多を拒否する人間を無視して、他人との協調を自己肯定の栄養としてしまう人間を褒めているような気がするからだ。
かわいい二本のレールは、乱雑に積み重ねられた伐材の中に消えていた。あわてて二、三尺の赤土をかき登ると、思いもかけなかった大道がかなりの急カーヴを描いて目の前にあった。大雨の跡をしのばせる水たまりが諸所に光って、湿った白砂の上には太いタイヤの跡が……。大平街道だ。道ばたの切石に腰をおろして、こうした山歩きの終わりにはだれもがするように悠々とパイプに火を点じて、FINE の煙文字を蒼穹に書いた。
われわれの物ずきに近い足跡を語る前に、まずその地理について説明を加えなければならぬほど、そこは辺陬に属する場所であり、同時に山の持つ秘密な境地であったかもしれない。……中央アルプスを思い切って南下する大平街道は、木曾と伊那とが有機的につながりを持つ唯一の廊下だ。
――細井吉造「二つの松川」
細井は新聞記者で登山で遭難死したために友人が『伊那谷木曽谷』という遺稿集を編んでいて、その冒頭に掲げられているのが上の文章で、まるで山に埋没してゆくような愉快な文章のひとである。こういう人にとっては、自分の人生の分かれ道は、登山のなかで突然現れる街道みたいなものであって、悩みのすえにでてくる道とはまた違ったものであったにちがいない。
此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年・辺土に生をうけ其の上下賤・其の上貧道の身なり、輪回六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、大小乗経の外凡・内凡の大菩薩と修しあがり一劫・二劫・無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬべかりし時も・強盛の悪縁におとされて仏にもならず、しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか、法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。
この部分は、虐げられた者=疎外された者の復活、疎外されたものにこそ真実があるというレトリックであるようにみえる。自らの生まれと仏になれぬ事態をもたらしているものは、この世の中から同じく疎外されている者にしかありえないようにみえる。
マルクスもフェミニズムもだから、運動の最盛期にあたっても自らの権力を持つ姿を想像はしていないし、持つ必要がない。しかし、自らは円の外側に居たのではなく、周辺のない円の中で何かに衝突していたのである。すくなくとも、その観点を失うと我々は力のいれ具合を人に対して間違える。
かう法華経は信じがたき上、世もやうやく末になれば聖賢はやうやく・かくれ迷者はやうやく多し、世間の浅き事すら猶あやまりやすし何に況や出世の深法悞なかるべしや、犢子・方広が聡敏なりし猶を大小乗経にあやまてり、無垢・摩沓が利根なりし権実・二教を弁えず、正法一千年の内、在世も近く月氏の内なりし・すでにかくのごとし、況や尸那・日本等は国もへだて音もかはれり人の根も鈍なり寿命も日あさし貪瞋癡も倍増せり、仏世を去つてとし久し仏経みなあやまれり誰れの智解か直かるべき、仏涅槃経に記して云く「末法には正法の者は爪上の土・謗法の者は十方の土」とみへぬ、法滅尽経に云く「謗法の者は恒河沙・正法の者は一二の小石」と記しをき給う、千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたからん、世間の罪に依つて悪道に堕る者は爪上の土・仏法によつて悪道に堕る者は十方の土・俗よりも僧・女より尼多く悪道に堕つべし。
「開目抄」は真に生まれ変わった日蓮が書いた未来記みたいなものである。われわれは如何にして未来をみるであろうか。日蓮に敵対する者が地獄に墜ちることが彼には怖ろしくもありありと見えていた。これは真の見え方であろうか。
今日は、午前中、「クリスマス・キャロル」についての従業を拝見して、久しぶりに飜訳をめくってみたが、けっこう感激したので、わたしにはまだ清い心が残っていたといへよう。ディケンズは31歳でこの作品を書いている。この作品にふれたときわたくしは中学生で、1984年の映画によってであった。NHKが放映してたのである。わたくしはとても感激した。しかし、今思うと、確かに若いやつが書いたという感じがしてくる。
未来の自らの死を精霊によって見せられた老スクルージは、現在に帰ってきて「私は過去現在未来に生きるだろう」と決心する。まず、すくなくとも、これが終活みたいなセコイ形にならないのはいい。このセコさがなくならないかぎりSDGSとか無理だろうに。。。それはともかく、未来をみてしまった彼がなぜ現在からその未来を変えられると思ったかと言えば、自らの中に「精霊」がいるからである。「精霊」がみせたのは未来だけでなく彼の人生であった。つまり精霊とは人生を視る精神のことであった。それとともにあれば、未来がどうなってもよいのである。スクルージは人生と離れた生き方をしていたのである。彼が従っていたのは、自らの利益という自我であって、人生ではなかった。そして、人生は自分よりも他人の人生と相互的に繋がっている。
わたしは、日本の大河ドラマが人生を描いているとは思わない。まだ彼らの生は目的とか利益に従属している。義仲でさえ源氏の天下というつまらないものに従属していた。わたくしは、やはり、義仲どのや巴様に泣いておるようでは我々は自らの生を転回出来ないと思うのだ。もういっそ、大河ドラマの主人公を後土御門天皇あたりにしてやっと違う段階に進むのではないかと愚考する。応仁の乱以降、神性を失った天皇の歴史は頭ではそう理解できる。しかし死後一ヶ月近く放置されていたと言われる後土御門天皇の未来を描く勇気が我々にはないのだ。未来の精霊に託す他はない。これを描くには、スクルージとともにある精霊が必要だ。そして、精霊との離別が更に必要である。
He had no further intercourse with Spirits, but lived upon
the Total Abstinence Principle, ever afterwards; and it was
always said of him, that he knew how to keep Christmas
well, if any man alive possessed the knowledge. May that
be truly said of us, and all of us! And so, as Tiny Tim
observed, God bless Us, Every One!
かうて・かへりみれば華厳経の台上十方・阿含経の小釈迦・方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は・此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮べ給うを・諸宗の学者等・近くは自宗に迷い遠くは法華経の寿量品をしらず水中の月に実の月の想いをなし或は入つて取らんと・をもひ或は繩を・つけて・つなぎとどめんとす、天台云く「天月を識らず但池月を観ず」等云云。
プラトンの「洞窟」のなかで映る影法師を引くまでもなく、われわれは屡々本体ではないものを視ているからイカンと言いがちであり、ここでも「華厳経の台上十方・阿含経の小釈迦・方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経」などは月の姿が大小の器の水に映っているようなものだと言っている。
確かに本体ではないが、洞窟の影法師はなんか面白い動きをしてそうだし、器の月の歪みからは、なにか器と月の輪郭の関係が哲学的ななにかを感じさせる。
月影とは、月本体でもあれば月の光でもあり月が映し出すものであったりすることもあり、――月の光の弱さがそうさせるのか、月本体はそこそこの存在をやめることができない。
ふたりは、水を覗いた。お由利はだまって、帯の間から、ふた包みの薬を出して、右門へその一つを分けた。
「……毒?」
右門の手はふるえた。お由利はにっと笑って、もう包を開いていた。そして、あっと思ううちに、嚥みくだしていた。
「さ。……右門様、御一緒に」
思慮にただしてみる遑もなく、右門もあわてて毒を嚥んだ。ふたりは抱き合って、橋袂の崖のふちに立った。
「あっ、待て」
「右門ではないかっ」
誰なのか、後ろから迅い跫音なのだった。その声に、かえって、右門は突きのめされたように、ざぶん――と河面の月影を砕いて自分を投げ入れてしまった。
刹那――お由利は、片手を柳の枝につかまって、岸の上に身を残していた。そして飛沫と一緒に、ばたばたと逃げ走った。
旅拵えの武士が二人、一足おくれに駈けつけて来た。十兵衛と又十郎の兄弟であった。
「右門は、わしが救い上げる。又十郎、お由利を追え、お由利を」
十兵衛は、橋の下流に繋いであった小舟へ跳んだ。救い上げはしたものの、右門は水を嚥んでいた。しかし、かえってそれが僥倖であった。舟べりで兄の十兵衛に背を叩かれて、右門は、夥しい水と共に、毒もきれいに吐いてしまった。
――吉川英治「柳生月影抄」
どんな話だった忘れたが、――月影はざぶんと壊すことができ、それが月に対して何かしたように思わせることができるが、太陽はそうはいかない。太陽の光は我々をもともと包んでしまっているからである。
昨日、なにか研究会か学会か何かで、文体とは何ぞやという議論のなかでわたしが、作家の字の汚さについて的外れなことをいいまくって会場がざわついてきたので焦って「開目抄」を最初から捲し立てるという怖ろしい夢を見たのであるが、みなさんいかがお過ごしですか。というわけで、「開目抄」の続きである。
弥勒菩薩・涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を仏・爾して乃ち之を教化して初めて道心を発さしむ等と・とかせ給いしを疑つて云く「如来太子為りし時・釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり、是より已来始めて四十余年を過ぎたり世尊・云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作したまえる」等云云、教主釈尊此等の疑を晴さんがために寿量品を・とかんとして爾前迹門のききを挙げて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏・釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等と云云、正しく此の疑を答えて云く「然るに善男子・我実に成仏してより已来無量無辺・百千万億・那由佗劫なり」等云云。
久遠実成、つまり釈迦はその生涯で悟りを得たのではなく、五百塵点劫の過去世において既に成仏していたのであった。釈迦を疑い質問したのは弥勒菩薩である。よくわからんが、このかたがいつかわからないが我々を救いに来るので、なにをしてても良い感じがするし、もしかしたら塵レベルの我々であってももしかしたら釈迦のように既に成仏していて、いつかそれを自覚するかもしれないのであった。案外、我々はちょろい人生を生きているのではないだろうか。
――そんな罰当たりの人間が多い昨今、一回やはり全員地獄に落ちた方がいいと考える人も多いであろう。先ほど、昭和7年版の『無の自覚的限定』を引っ張り出してみてみたら、前の持ち主の勉強ぶりがすごかった。昭和初期の西田主義者の大学生なのか、一生懸命線を引いて勉強している。この学生はしかし、やがてひどい世の中をくぐり抜けなければならなかった。
今日は早速、檜垣立哉氏の『バロックの哲学』の九鬼論と西田論の一部を参考に、「永遠の今」問題を授業で扱った。柳田國男をやっていたつもりがこんなことになっている。やっていることは抹香臭いが、講義は迷走している。我々の講義は、この季節、エアコンで冷えた部屋の中で、閉ざされている。わたしが一番長大な論文を書いたのは卒業論文である。あれは、クーラーも扇風機もない下宿でほぼ裸で執筆していたから、壮大であったのであろうか。わたしは西田ではないが「周辺のない円」となり、下宿に私の内部は拡張し、下宿の大きさに成り、いつもの能力より全てがあがっていたのではないだろうか。
エアコンの風が、無常の風ではないと誰が言うことができよう。
干飯一斗、古酒一筒、ちまき、あうざし(青麩)、たかんな(筍)方々の物送り給ふて候。草にさける花、木の皮を香として佛に奉る人、靈鷲山へ參らざるはなし。況や、民のほねをくだける白米、人の血をしぼれる如くなるふるさけを、佛法華經にまいらせ給へる女人の、成佛得道疑べしや。
――日蓮「妙法尼御返事」
日蓮は、贈られた物物にさえ、民の骨とか血を想起する。ここまでくると、どういう部屋で講義をしようと関係なさそうだ。
二には教主釈尊は住劫・第九の減・人寿百歳の時・師子頰王には孫・浄飯王には嫡子・童子悉達太子・一切義成就菩薩これなり、御年十九の御出家・三十成道の世尊・始め寂滅道場にして実報華王の儀式を示現して十玄・六相・法界円融・頓極微妙の大法を説き給い十方の諸仏も顕現し一切の菩薩も雲集せり
「十方の諸仏も顕現し一切の菩薩も雲集せり」――こういうところが、われわれはたぶん好きで、空を眺めて仏みたいな雲にぼんやりしている。それが怪獣やウルトラマンになったりしているだけだ。いや、これは宇宙人に近い。戦隊をくんでやってくる何ものかにちかい。
神の国が近づいた。というキリスト教は、その点、ハリウッドのSFのように巨大なものが掩ってくる描写が好きなのではないだろうか。ただの妄想である。
キリスト教の国でも我が国でも、我々の行動が「思想」に拠っていることは確かである。そうおもわなくてもそうなのであり、いまなんかはブラックをさける、みたいな「思想」の「ために」我々は働いている。仏は雲集する。雲は、仏であろうか。そうとは限らず、キントウンのようなものかもしれない。ブラックを避けるというキントウンもあるかもしれない。キントウンとは手段である。
最近なら、ブラックの原因が部活云々に集中的に考えられていること自体がブラックさを表しているにも関わらず、部活をやめるという手段が目指されてしまう。教育指導要領的な精神が狂ってますみたいな批判ならまだ分からないのでもないが、本質に向かう方向は昨今の「思想」ではない。そういえば手段的なものには、評価という「思想」の存在もあった。仕事は雑用に見えるようなものでも誰かがやらないとまわらないものが多いが、それが「評価」から外れると雑用が必要性から外れてしまってるんでみんな一生懸命やってるのにかえって組織はなぜかうまくいかなくなる。なぜか、ではない。あたりまえである。で、労働時間の縮小とかを機械的にやろうとするとよけいにその誰かがやることによってまわっていたことがますます出来なくなって、組織はすかすかのザルみたいな状態になってしまうのである。仕事というのは手段よりももっと思想らしい「思想」でやるもんで、そうでないとタスクと雑用が分かれて見えてしまうのであった。教育業界は、その「思想」の部分に馬鹿な作文が居座ることによって、人間、いや労働者の精神を食っちまったのである。もう絶望的である。
日本の教育は、ながく、学校と塾・予備校(戦前は「家」かもしれない)の二重構造をもっていた。これはわかの序詞と和歌本体のような関係であり、我々の認識の何かを表しているとさえ思うのである。思うに、部活というのも、学習塾的な部分があったように思う。先輩がもう一度和歌をかみ砕いて暗誦してあげる、学級会的な道徳を生き方として教えるようななものである。ところが、それが完全に教師の統制下に入って意味がなくなっているのだと思う。むろん、これは内申書を入試に使うようになったからだし、勢い、子どもも部活でモノを学ぶのを諦め、授業のように上の空で過ごすことを選んだのではなかろうか。現代人が極端に受け身なのが、評価社会のせいなのか、ひ弱に育っているからなのか、――おそらくどっちもなのであろうが、無意味に思えるものが発生するときには、原因は、そのもの自体にはない場合が多い。
法華経の流通たる涅槃経に末代濁世に謗法の者は十方の地のごとし正法の者は爪上の土のごとしととかれて候はいかんがし候べき、日本の諸人は爪上の土か日蓮は十方の土かよくよく思惟あるべし、賢王の世には道理かつべし愚主の世に非道先をすべし、聖人の世に法華経の実義顕るべし等と心うべし。此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強きやうにをぼゆもし爾前つよるならば舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべしいかんがなげかせ給うらん。
爪上の土はほんと僅かなものであろうが、それは土をいつも触っている人間の言うことであり、清潔もやしの我々にとっては、むしろ大きい何かに属しているような気がする。我々にとっては、大きいミスや小さいミスの区別すらよく分からなくなりがちである。
「しまつたしまったしまった。」彼は何辺も何辺も心の中で繰り返した。然しもうおつつかない。彼は此上もなく残念だつた。指が無意識に動いて爪を切つてゐた。爪は幾つとなく火に燃えた。……道子は笑ひながら見てゐる。
一番大きな親指の爪を三日月の様に切つて、徐ろに彼はそれをつまんで火の中に落した。ジリジリツと音を立てゝ燃えていつた。ほんのわずかな煙りがフツと昇つた。
――もうどんな仰山な真似をしたところで徒らに道子の冷笑を買ふばかりだ、と思ふと今更彼は悲しさが込み上げて来た。さう思ひながらも彼は爪をとつてゐた。道子は無論平気で菓子を食つてゐる。
――牧野信一「爪」
それを分別したり無視したりしても、いろいろなものがそこに残っている場合は、我々は発狂を免れる。物事は徐々に朽ちてゆくからだ。上の人間たちのように燃やしたりしてはならぬ。
小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆへに或は十方に仏現じ給ひ或は十方より大菩薩をつかはし或は十方世界にも此の経をとくよしをしめし或は十方より諸仏あつまり給う或は釈尊舌を三千にをほひ或は諸仏の舌をいだすよしをとかせ給う、此ひとえに諸小乗経の十方世界唯有一仏ととかせ給いしをもひをやぶるなるべし、法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違出来して舎利弗等の諸の声聞大菩薩人天等に将非魔作仏とをもはれさせ給う大事にはあらず、而るを華厳法相三論真言念仏等の翳眼の輩彼彼の経経と法華経とは同じとうちをもへるはつたなき眼なるべし。
キリストにもついに発進しようとする段階において、悪魔の囁きなるものが出現したのであるが、わたしは子どもの頃からもっと早い段階でなぜ悪魔は来ないのかと思っていたのである。しかし、歳をとってくるとその意味がなんとなく分かる。確かに、調子がいいときにきちんと悪魔が来て点検が行われる人間こそが大物なのである。普通は、来てくれないから、そのまま発進して墜落する。
日蓮は、信者たちが「天魔が仏と変じてるのじゃないか」と疑ったことなど、小乗の「十万世界には釈尊ただ一仏」という考えを打ち破るために行われた法華経の最終段階での登場に比べれば大したことはなかったと言っていると思うが、実際、大したことではある。日蓮自身の証明がそれである。信者たちの迷走がなければ、日蓮は法華経の絶対的優位を示すことはできないし、戦う覚悟を決めることは出来ない。
世の中、自己肯定的な自己生成など、かように、ありえないと思われる。
私の印象だと、三島由紀夫の日本古典の扱い方は案外ごつごつしていてつぎはぎ的な不器用さを感じるときがあるけれども、芥川とか太宰がなめらかな扱い方をしているのに対するアンチテーゼかもしれない。三島からするとそれは古典の一側面の命を奪うように思われたに違いないのである。近代の天才が古典を殺す、つまり芥川とか太宰が殺している面があるのだ。ちょっと扱い方が上手すぎるところがある。つまり、最終的に、心理的に異物であるところの古典を扱う執筆プロセスが分からないレベルで、作者のものとしての作品が磨き上げられているので、結果的に作者の心理的というか私小説的なところに小説が変成してゆくところがある。その点、三島は坂口安吾とかの不器用さに親近感を覚えていたに違いない。そうでないと、古典を生かすことにはならないからである。
三島の恐れていたのも、我々が古典という異物を失って自己生成してしまうことであったのかもしれない。もっとも、今日も授業で太宰治を読んでいたら、わたしは実に太宰的なものが好きだなと思うのであった。三島は日蓮にはなれないタチであった。