★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

勤行の後先

2020-05-31 18:18:44 | 文学


いとあやしきことにもあるかな、いかにせん、こたみはよにしぶらすべくもものせじと、思ひさわぐほどに、我がたのむ人、ものよりただ今のぼりけるままにきて、天下のことかたらひて「げにかくてもしばしおこなはれよと思ひつるを、この君いとくちをしうなりたまひにけり。はや、なほ物しね。今日も日ならばもろともに物しね。今日も明日もむかへにまゐらん」など、うたがひもなくいはるるに、いと力なく思ひわづらひぬ。
「さらば、なほ明日」とて、物せられぬ。


どうも様子がおかしい、こんどは有無を言わさず連れ戻すだろうと落ち着かない思いでいると、便りにしている人(父)が、赴任先から京に上った足できて、いろいろなことを喋ったあげく「ここしばらく経を読んで勤めるのがよいと思っていたが、この若者(道綱)がやつれてしまわれた。早く下山なさい。今日も吉日なら一緒に帰ろう。今日も明日も迎え来こよう」と、なんの躊躇いもなく言うので、力なく途方に暮れる蜻蛉さん。

ついに、父親まで出てきて蜻蛉さんを説得にかかる。その際に、子どもがやつれてるからという必殺技を繰り出す。こういうやり方は、非常に遺恨を残すのだが、父親は父親で世間体というものがある。――結局大した父親ではないのである。

それにしても、精神的に追い込まれたときに、お経を読みまくるとか、――そういうことに本当に効用があるのであろうか。わたくしはやったことがないから分からんが、直感的には、たぶん効果がある。

今日、宮嶋資夫を少し読んだが、この人は大正農民文学の主力メンバーで第四階級文学論の一角を担ってたりしたこともあるのだが、結局1930年代に出家してしまうのだ。三木清、吉本隆明など、最後は宗教だみたいな人は多いのだが、かっこをつけないで勤行すれば「転向」とか呼ばれずに済んだのではないかと思うのである。三島由紀夫だってそうだ。

彼は一人で盃を手にしながら、落着いて牢獄に行った松田の心を考えていた。そして、友達のために人を殺して牢獄に行く松田には、自分のように生煮えな卑劣から受ける苦痛がないであろうと思った。ケチな安逸を貪る自分を、独りして憎んでいた。けれども、孫根まで松田を送って行った萩野が帰って来た頃には、彼はへべれけになって、茶屋の土間に寝込んでいた。

――宮嶋資夫「恨なき殺人」


三島だって、こんな気持ちになったこともあっただろうと思うのである。思想以前に重要なことがある。

ものに怖じける/羨む

2020-05-30 23:23:34 | 文学


物語のついでに、「おほくは殿の御もよほしにてなんまうできつる。「ささしてものしたりしかど、出でずなりにき。又ものしたりともさこそあらめ。おのが物せんにはと思へば、え物せず。のぼりてあはめたてまつれ。法師ばらにも、いとたいだいしく経をしへなどすなるは、なでふことぞ」となんの給ヘりし。かくてのみはいかなる人かある。世中にいふなるやうに、ともかくもかぎりになりておはせば、いふかひなくてもあるべし。かくて人もおほせざらんとき帰りいでてゐたまへらんも、をこにぞあらん。さりとも今ひとたびはおはしなん。それにさへ出で給はずばぞ、いと人笑はへにはなりはて給はん」など、物ほこりかに言ひののしるほどに、「西の京にさぶらふ人々、「ここにおはしましぬ」とて、たてまつらせたる」とて、天下のものふさにあり。山のすゑと思ふやうなる人のために、はるかにあるにも、身のうきことはまづおぼえけり。

妹を送ってぼんやりしているとなにやら、賑やかな集団が車に乗ってやってきた。お布施、僧達に贈り物などを配りまくる人々。ボンクラの指令でモノを使った作戦に出てきたのである。使いの老女がいきなり説教。「これらは殿の言いつけで参ったのです(←知ってるわ)。『先日はこうして迎えに行ったけど全然でてけえへんで、また行っても同じだろうサ。行ってもダメだと思うのでもう行かない(←はあ?)お前が行って小言を申しあげろ。坊主共にも、不届きにも経をを教えるとは何事か。』とおっしゃるのです。こんなことをばかりしている人がどこに居ます?(←ここに居るわよ)世間の噂の言うように、もうすでに尼になったのならしかたないです。(以下略)」

とまあ、偉そうに言っているところに、滅多にない豪華なモノがたくさん届いた。山の中に引きこもろうとする蜻蛉さんにとってはそれが「はるかにある」と思われてしまうのであった。ここが、蜻蛉さんの権威主義的な(泣)ところで、相手の繰り出す豪華さにくらべて自分はもうイイデス、みたいな態度である。吉本隆明なら、文学者とは、こういう豪華さを本気で羨む心を肉体化した者だけだ、とかなんとか言うところだ(「石川啄木」)。そんなやつなら、ツイッターや5ちゃんねるにたくさんいる気がしないでもないが――、いっこうに石川啄木は出現しないようである。

西日をうけて熱くなつた
埃だらけの窓の硝子よりも
まだ味気ない生命がある
正体もなく考へに疲れきつて、
汗を流し、いびきをかいて昼寝してゐる

まだ若い男のロからは黄色い歯が見え、
硝子越しの夏の日が毛脛を照し、
その上に蚤が這ひあがる。

起きるな、起きるな、日の暮れるまで。
そなたの一生に涼しい静かな夕ぐれの来るまで。

何処かで艶いた女の笑ひ声。


――石川啄木「起きるな」


吉本は、最後の三行だけを引用してたので、何か「起きない」ことが抵抗であるかのような気がしていたが、前の方から読んでみると、なんだがデカダンスのようである。

自明なもの

2020-05-29 23:14:04 | 文学


木陰いとあはれなり。山かげのくらがりたるところを見れば、ほたるはおどろくまで照らすめり。里にて、むかしもの思ひうすかりしとき、「二声と聞くとはなしに」と腹だたしかりしほととぎすもうちとけて鳴く。くひなはそこと思ふまでたたく。いといみじげさまさる物思ひのすみかなり。


わたくしは、蜻蛉日記はもう少し日記の書き手が描く昆虫や動物たちが活き活きとしているのかと思っていたが、わたくしが期待した程ではない。ある意味で、ボンクラとの心理的抗争は、彼女にとってはボンクラの心理を含めて明々白々なのであって、少しも不可思議なところはないのだ。だから、彼女の眼に映る風景は、彼女の心理を補強することはあっても、心理が風景に吸い込まれ、――パースペクティブ主義ではないが、虫の目が彼女に注がれることはない。

今日、東京では、戦闘機?が医療現場への感謝だかなんだかで、飛んでいたという。

たしか、映画の「プライベートライアン」だったと思うが、最後に友軍の飛行機が頭の上を通っていったときに、一気に戦局ばかりか、戦場の見え方がかわってしまう。ちょっと違うかも知れないが、日本武尊の白鳥の場面もそうであって、この場面がなければ日本神話はほんと空から何かが降りてくるお話であるにもかかわらず、まったく閉じた感じの話になっていたはずである。視点の無根拠な変更を余儀なくされる出来事がある。芥川龍之介「龍」にはそこまでの事件が起こらなかった。芥川龍之介の作品は、なかなかそれが起こらなかった。芥川龍之介の目の前では、出来事が見えたり見えなかったりを繰り返す。我々はどことなく、芥川龍之介的逡巡を知的だと感じることもあって、カール・シュミットの所謂「龍を仰ぐ人々」にすらなりにくい部分がある、とおもっていたらそうでもなさそうである。

我々の物事に対する感覚は、もっと言語的というか、統一的な平板なものになりつつある。

「トップガン」とか、あるいは「ラピュタ」でもいいが、飛行機に乗ることの快感を描く作品がある。わたしは、飛行機に乗るのがいまでもすごく恐ろしいのだが、こういう作品をたくさんみてもその感覚はかわらない。「プライベートライアン」的なものと、この二つはまったくうまくかみ合わない。宮崎駿の「風立ちぬ」の最初に、主人公の0戦の制作者が紙飛行機にのって「墜落」する夢を見るところがあるが、やはり宮崎は問題に自覚的だったのだ。「風たちぬ」では、恋愛の過程で飛行機遊びがただの飛行機遊びになり、彼の「墜落」の恐怖を無化してしまうのだが、――その代わりに、彼のつくった戦闘機はすべて墜落し、彼は最後の場面で、草原にたたずんでいる。死んだ妻が「生きて」とか言ったような気がするが、このあとの彼の人生は、もう空への夢を「絵空事」にとどめるしかない(宮崎のアニメーションのことである)。

コロナの問題でもそうだが、見え方の分裂というか乖離の問題をすごくはやく解決する人が多い印象だ。言語にあまりに頼るとそうなるんじゃないか。

病気やテロのように、闇の中に原因がある場合、9.11の政治的後始末がそうであったように、誰も「反省」しない傾向があるが、原爆なんかの問題を政治と科学の帰結に押し込めてしまったのが原因ではなかろうか。政治と科学が手を携えると、程度の差こそあれ、無責任に物事を決めるしかなくなる。この二者どちらも仮説によって動く分野なのだ。PDCAサイクルなんかも、間違いを修正してゆく科学主義で、絶対に確かなものにはたどり着かず、闇は闇のままにしながら我々がすべきことを恣意的に決定出来るのである。しかし、すでに自明なものというものはあり、――我々が何を思い浮かべ、どのように動く可能性があるのか、という自明な部分が逆に分からなくなることがある。

一昨年論文で書いたんだが、「原爆」は結局、自明なものを無視出来ない芸術によってしか真の姿をあらわさないと思うのだ。

大岡昇平の戦記なんか、その自明な部分を忘れないということだけのために書かれたようなもんだ。

「ひた心になくもなりつべき身を、そこにさはりて今まであるを、いかがせんずる。世の人のいふなるさまにもなりなん。むげに世になからんよりは、さてあらばおぼつかなからぬほどに通ひつつ、かなしき物に思ひなして見給へ。かくていとありぬべかりけりと身ひとつに思ふを、ただいとかくあしきものして物をまゐれば、いといたくやせ給ふをみるなん、いといみじき。 かたちことにても京にある人こそはと思へど、それなんいともどかしう見ゆることなれば、かくかく思ふ」と言へば、いらへもせでさくりもよよになく。

浅学のため、いままで尼になることへの世間の非難など考えたこともなかった。こういう自明なことを教えてくれるのが文学作品である。

階段の文学

2020-05-28 23:11:37 | 文学


一丁のほどを、石階おりのぼりなどすれば、ありく人こうじていとくるしうするまでなりぬ。これかれなどは「あな、いとほし」など、よはきかたざまにのみいふ。このありく人、「「すべて、きむぢ、いとくちをし。かばかりのことをば言ひなさぬは」などぞ、御けしきあし」とて泣きにも泣く。


兼家(ボンクラ)は、ほんとにお籠もりに出陣してしまった蜻蛉さんを追ってきた。しかし物忌み中である。ボンクラらしく社会的距離を守らん不届きものである。かれは石段の下に車をつけ、車からでられない(物忌みなので)というておる。で、道綱が、夫婦げんかの仲裁で、100メートルの石段を何回も往復して苦悶。ひどすぎる。侍女たちも「おかわいそう」と気弱なことばかり言う。――どうも蜻蛉さんは、とくに道綱が可愛そうとは思っていないようにも見える。完全に、ボンクラを詛うモードに入ってしまって、道綱は圏外なのであろう。道綱曰く「父上は「だいたいお前がふがいないのだ。この程度のことを取りなせないとは」と機嫌が悪いのです。」と泣く。泣くなっ。というか、このボンクラオヤジ一体お前は何を言ってるんだ。

GO TO HELL

されど「などてか、さらに物すべき」と言ひはてつれば、


宇宙一つよい「されど」である。息子が息も絶え絶え父親からも文句を言われているのに「だから何?」と言い放つ母親である。

「「よしよし、かく穢らひたればとまるべきにもあらず、いかがはせん、車かけよ」とあり」と聞けば、いと心やすし。


とりあえず、ボンクラは帰るらしいので安心である。しかし、今のように携帯電話でもあれば、道綱が苦労することもありえないのに、道綱は生まれるのが1000年早かった。

「……(階段)の人物は、あなたの想像通り、あれはあなたの――僕に映つた映像でした。僕は無意識にあれを描きました。今日、あなたの手紙を見て僕は、吾ながらはじめて気づいたわけです。あなたの映像はそれほど深く僕の胸底に沁み込んでゐたわけです。でも僕は、眼近くお目にかゝるのは今日がはじめてゞす。斯うして、お目にかゝつて見ると、あの画中の人物は一層あなたに似てゐるといふことが、僕自身にはつきり解つて来るのです。不思議でなりません。架空のつもりで描いたものが、それほどの結果になつてゐたことを思ふと僕は或る運命感さへ抱きたくなります。」

――牧野信一「階段」


しばしば階段は文学的シーンを形作る。階段は、山のようでもあり、人生のようでもあり、なんというか――実景と観念があわさったような気がするからだろう。ツイッターには、階段マニアたちが楽しそうに会話している。だが、階段をつくること自体は、道綱の運動よりも更なる苦行なのである。わたくしの同級生の土木屋は、山の斜面にコンクリートの階段をつくっていたときに、何か天啓を受けたことがあるらしい。

のどかにたのむとこのうへを

2020-05-27 23:22:11 | 文学


返り事には、「よろづいとことわりにあれど、まづいくらむはいづくにぞ。頃は行ひにもびんなからむを、こたみばかりいふこと聞くと思ひて、とまれいひあはすべき事もあれば、唯今渡る」とて、
 あさましやのどかにたのむとこのうへをうちかへしける波の心よ。
いとつらくなむ」とあるを見れば、まいて急ぎまさりてものしぬ。


蜻蛉さんは、山寺に籠もろうと決心。知らせを聞いてボンクラから手紙が来た。「どこの寺に行くつもりだ。夏だから暑くて経を唱えるには不向きだ。こんどばかりは言うことを聞きなさい、止めなさい。相談することもあるから。”あきれたことだ、個々のどこかで頼むところがある私の心を裏切り、寝床をいきなりひっくかえされたようですよ。ヒドイ”」こんなせりふは逆効果っていうか、全然事態が分かっていないボンクラ。「まいて」(まして)加速して家をでる蜻蛉さんであった。

寝床をひっくり返される経験は、みんな子どもの時にあるであろう。そこで自分の至らなさを反省せず、お母ちゃんのせいにしているガキがろくなもんではないのは言うまでもないが、ボンクラは右大将になっても「まだ寝ていたい」とか言って居るのである。

人生の幸福とはよい食慾とよい睡眠とに外ならないと教えられたが、まったくそうである。ここでは食慾の問題には触れないでおく。私たちは眠らなければならない。いや眠らずにはいられない。しかも眠り得ない人々のいかに多いことよ。
 眠るためには寝床が与えられなければならない。よく眠るためにはよい寝床が与えられなければならない。彼等に寝床を与えよ。


――種田山頭火「寝床」


四民平等になると、ボンクラみたいなやつの存在を忘れ、「彼らに寝床を与えよ」という言葉には宛先がないのだ。本当はあるはずである。

石木のごとして明かしつれば

2020-05-26 23:32:44 | 文学


あさましと思ふに、うらもなくたはぶるれば、いとねたさに、ここらの月ごろ念じつることをいふに、いかなる物も、絶えていらへもなくて、寝たるさましたり。

蜻蛉さんは中年のボンクラの煩悩が分からない。せっかくボンクラが蜻蛉さんを懐かしがってやって来てしまったのに、彼女はここぞと許り思いの丈を吐くだけ吐いてしまった。これは「コミュニケーション」能力的にはあまりよくない。最近は、どうみてもクズの方が「頭の弱い僕を褒めて」と逆にすり寄ってくるところを冷たくあしらうとパワハラ認定をしてきたりする御時世である。コミュニケーションなんかたいていの場合うまくいかなくてもよいのであり、蜻蛉さんもその危険を賭して思い切り喋っているのに、ただラブラブしたいだけのボンクラがそういう必死の思いを無視してもコミュニケーションを成就させたいのである。最近、いばっているのはこういうボンクラみたいな奴ばかりである。

聞き聞きて寝たるが、うちおどろくさまにて、「いづら、はや寝給へる」といひ笑ひて、人わろげなるまでもあれど、石木のごとして明かしつれば、つとめて物もいはで帰りぬ。


こんどは蜻蛉さんがつかれて黙ると、「もう寝たの?」とすり寄ってくるボンクラ。蜻蛉さんは怒りの余り、石木のように根性で固まりながら夜を明かした。で、ボンクラは早朝帰ったのであった。

思うに、蜻蛉さんは有島武郎ではないが、ボンクラを「第四階級」とみなし、わたしゃわかりませんわ、と言ってしまえばよかったのではなかろうか。結局。ボンクラのことを好きなだけでなく、心底馬鹿にしてはいないわけである。精神の健康法とその後の暴力的決着の可能性において、階級論というのは便利に出来ているのである。わたくしは、いま世界で進んでいる人間や記号を含めて「モノとして観る主義」――もしかしたら、仏教などが復権してくる可能性があるが、――それがかえって我々の頭を過度に働かし飽和させてしまいやしないかと、私なんかは心配である。要するに、精神の全体主義を如何に避けられるかがポイントなのであろうが、わたくしは、蜻蛉さんみたいな真面目なインテリが彼女の脳髄へのモノの殺到によってますます苦しむことを恐れる。蜻蛉さんは、自分の石木のように認識して余計苦しんでいるのである。

表現者というのは、もともと何もかも受けてしまう傾向にあるのだ。

そうすると、非常にありうる道としては、「個的な偏見」の放置であり、社会のコモンセンスの消滅である。そこで、モノ・情報の縮減を図るのではないかと言うことだ。

墓地は、秋の虫達にとつては此上もないよい遊び場所なのでありますが、已に肌寒い風の今日此頃となりましては、殆ど死に絶えたのか、美しい其声もきく事が出来ません。只々、いつ迄もしんかんとして居る墓原。これ等無数に立ち並んで居る石塔も、地の下に死んで居る人間と同じやうに、みんなが死んで立つて居るのであります。地の底も死、地の上も死……。あゝ、私は早く庵にかへつて、わたしのなつかしい石ツころを早く拾ひあげて見ることに致しませう、生きて居る石ツころを――。

――尾崎放哉「石」


今日は、合計三時間の「スターリン主義」についての講義を収録したが、――尾崎放哉のこの気分はスターリンにも起きそうで恐ろしいことだ、と思った。

涙を湧かす火群

2020-05-24 23:34:23 | 文学


雨の脚、同じやうにて、火ともす程にもなりぬ。南面に、このごろ来る人あり、足音すれば、「さにぞあなる。あはれ、をかしく来たるは」と、沸きたぎる心をば、かたはらに置きて、うちいへば、年ごろ見知りたる人、向かひゐて、「あはれ、これにまさりたる雨風にも、古は人の障り給はざめりし物を」といふにつけてぞ、うちこぼるる涙の熱くてかかるに、おぼゆるやう、
  思ひせく胸の火群はつれなくて涙をわかす物にざりける
と、くり返しいはれしほどに、寝る所にもあらで、夜は明かしてけり。


雨をついてやってくる男に魅力を感じるのは昔からだったらしい。いまも、ざーざー降りの中を彼女の家の前をうろうろしている男がいるようなドラマがあるのかも知れない。最近はドラマをほとんど観ていないのでよく分からん……。蜻蛉さんはもうトサカにきてしもうてるので、十二月の初めにひさしぶりにボンクラが訪ねてきても衝立に隠れて不機嫌そうにしていたら「宮中から呼ばれたので」とかいうて帰ってしまったのだ。思うに、蜻蛉さんにとって不幸なのは、ボンクラがただの男ではなく、今や右大将の男だったということだ。どうみても蜻蛉さんの怒りは相手が偉くなってしまっていることと関係がある。どうみても自分の方が価値があるのに……という思いがあるに違いない。――近代人のようなそんなもんあるかいなと思われる人もいるかも知れないが、いや、あるだろう……。

上の歌は好きだ。胸の炎が涙を沸かすとは、もう――四畳半物語みたいな地点に行きそうだ。失恋に呆然としながらインスタントラーメンを沸かす大学生は多かろう。平安の恋の恐ろしさは、人によっては、男に捨てられることは飢えを予想させるものだったということだ。いまだってそういうものはある。

わたくしは、アレクセイ・サヴラーソフ『ミヤマガラスの飛来』(1871)を思い出す。

一見、池のほとりの冬の風景に見えながら、木には多くのカラスがとまっていて、雪の上にいるやつもいる。何を啄みにきたのか、何か不気味な作品である。蜻蛉さんにとって、夫婦関係は、こんなよく見ると死が見えるような、不安定ではないが、地獄的なものになっていた。

今日、中野秀人の「第四階級の文学」を読み直したが、そこにはブルジョアデモクラットがそのままプロレタリアの精神になってしまいそうな論法があって、私は共感した。しかし、なんとなく、彼の文章には、カラスの存在がないような気がした。

ああ私は遂に第四階級の偏見に囚われて了った。けれども Into the people と云う言葉を熱愛する私には致し方がない。第四階級の文学は意地悪るでもあれば、気狂じみても居る。生存競争弱肉強食の一切の矛盾と不合理をば見守って居る。

昭和29年の『現代文学論大系』のテキストをみたら、上の「気狂じみても居る」は「モウビットでもある」となっていた。中野は、狂気と病的の間で迷っていたのだ。こういうところが、教養人じみている。

涙は行くよ、どこまでも

2020-05-23 18:30:54 | 文学


二なく思ふ人をも人目によりてとどめおきてしかば、いで、はなれたるついでに死ぬるたばかりをもせばやと思ふには、まづこのほだしおぼえてこひしうかなし。涙のかぎりをぞつくしはつる。男どものなかには
「これよりいと近かなり、いざ佐久那谷みにはゐてもくちひきすごすと聞くぞからかなるや」
などいふを聞くに、さて心にもあらず引かれゐなばやと思ふに、かくのみ心つくせばものなども食はれず。


蜻蛉さんは道綱を残してきてしまったので、家を離れたついでに死ぬ算段でもしようかなと思ったのであるが、母子の絆を思い恋し悲し。涙が枯れ果てるまで泣き尽くすのであった。という主人を尻目に従者たちは「ここから佐久那谷がちかいようだ、見に行こう、谷の口から引きずり込まれるらしいぞあぶねぞ」など言っている。佐久那谷は冥途に繋がっていると思われていたとか。どうせ、竜とか何かが出てくる類いであったのであったのであろう。かどうかは知らんが、鬱蜻蛉さんとしては「心あらずに引きずり込まれたいわ」とか思ってしまい、食欲もなし。

空を見れば月はいとほそくて、影はうみのおもてにうつりてある。風うちふきてうみのおもていとさはがしうさらさらとさはぎたり。わかき男ども
「声ほそやかにておもやせにたる」
といふ歌をうたひ出でたるをきくにも、つぶつぶと涙ぞおつる。


船で進んで行くこの場面は美しいが、従者たちが民謡か何かで「声は細く面やつれして」と歌いだすのは何となく面白い。これは恋の歌か何かであろうが――、現代人ならこんなところで恋にやつれた歌など歌わないのではなかろうか。しかし、蜻蛉さんは、別に怒らず泣くだけである。ここには、おそらく、近代のメタ的な語り手の意識とは違った、歌による個人の心から離れたアンサンブルがあるのであろう。心の倍音を歌が引く継ぐといおうか。現代の歌謡曲だって、本来の機能はそんなところにあるはずである。

新次は、一人で鎚をふりあげた。父は眼立つて面やつれがして行つた。それでも、日ごろ酒の為没交渉の父には、見舞に来て呉れる人とては一人となかつた。
 鎚をふりあげ乍ら、新次は、父はこのまゝ死んで了ふのではないかしらと思つた。――父が死んだらどうするのだ、馬右エ門は白痴だし――
 酒を買つて来た新次が、父の枕元に坐つて、
「お父つあん」と呼んだ。父は重たげに首をうごかして、
「ん」と答へた。
「酒買つて来たで飲んでくれよ」


――新美南吉「鍛冶屋の子」


わたくしはいといえば、やつれた顔というのが病人しか見えないので、上の従者たちは生きる希望というものに溢れていると思うのであった。

あはれ、程にしたがひては、思ふことなげにても行くかな

2020-05-22 23:09:39 | 文学


忍びてと思へば、はらからといふばかりの人にも知らせず、心ひとつに思ひ立ちて、明けぬらんと思ふほどに出で走りて、賀茂川のほどばかりなどにて、いかで聞きあへつらん、追ひてものしたる人もあり。有明の月はいと明かけれど、会ふ人もなし。河原には死人も臥せりと見聞けど、恐ろしくもあらず。粟田山といふほどにゆきさりて、いと苦しきを、うち休めば、ともかくも思ひわかれず、ただ涙ぞこぼるる。人や見ると、涙はつれなしづくりて、ただ走りて、ゆきもてゆく。

またボンクラが浮気をしているというので、蜻蛉さんはたまらず家出。誰にも知らせず、心一つに思い立ち走り出す。賀茂川のあたりで追ってきたものがある。ここが「にごりえ」のお力と違うところで、酌婦お力の場合は、自分の歩いている道が両脇崖、丸太橋に見え始め、雑踏の中で何かに共振始めてしまう――で、ボンクラ旦那に「お力どこへ行く」と現実に引っ張り返されるのであるが、――ここでは蜻蛉さんにはお供が追いついた。有明の月のなかで人はいないが、河原には屍体が転がっている。近代とちごうて、もう現実がすでに地獄なのである。粟田山のあたりで休むんでも、なんだか涙が止まらない。でも人にみられるのがいやなので小走りに急ぐ。

かんがえてみると、へんな脳内物質がでている状態とは言え、蜻蛉さんはちゃんと足腰もしっかりしているのであった。この時代の女房たちは、どうやってストレッチしていたのであろう……

山科にて明けはなるるにぞ、いと顕証なるここちすれば、あれか人かにおぼゆる。人はみな、おくらかし先立てなどして、かすかにて歩みゆけば、会ふ者見る人あやしげに思ひて、ささめき騒ぐぞ、いとわびしき。

やはりちょっとおかしくなりかけているとはいっても、お力とはちがって自分の「罪」がないところが、人々が自分をおかしくみるという地点でとどめている。お力の場合は、人の目からも自らの内側からも責められ挟み撃ちになっている。

あはれ、程にしたがひては、思ふことなげにても行くかな、さるは、明け暮れひざまづきありく者の、ののしりてゆくにこそはあめれと思ふにも、胸さくるここちす。下衆ども車の口につけるも、さあらぬも、この幕近く立ち寄りつつ、水浴み騒ぐ。振舞のなめうおぼゆること、ものに似ず。

面白いのは、都合のよいことに、ギリギリの精神状態の蜻蛉さんの前に、別種のボンクラがあらわれる。若狭守である。「あわれなことに、たかが若狭守のくせして身分相応に満足げに行くものであるわ、京都ではへいこらしている輩のくせに、ちょっと外に出ればこんなかんじで威勢をひけらかして行くのだなあ、と胸くそが悪い。下人どもが、車の前についているのものそうでないのも、この幕の近くに寄っては水浴びをして大騒ぎ。その無礼な振る舞いといったら、喩えるモノさえない。(クソ以下であろう)」

本物の馬鹿というのは、同じ状況になると必ず間違え何を言っても改善がみられない。しかし、そういう高級なフェーズ馬鹿のことでなく、ここではただ何とか守とか委員長とかついただけで場所をわきまえず威張りくさる下☆生物のことであった。――無論、こんな風に馬鹿に会うというのは、ボンクラがこういう少しばかりは上のような下★生物に似ているからである。水浴びは、無論裸みたいな感じになっているのであろうが、そこで想起されるのは、すぐ女人の前で脱ぎたがるボンクラである。

そのピオニェール少女のひとりが、指導者をよんで来てくれた。まるで若い共産党青年女子だ。上は制服をきているが足はむき出しで、運動靴をはいている。元気なもんだ。
 われわれは、カンカン日にてらされながら、ひろいひろい、野営地じゅうを見て歩いた。五百人のピオニェールが走っているんだそうだが、どこにいるのか、丘や林や池のあっちこっちにちらばって、一向めだたない。
 景色はなんとも云えずいい。花の咲いてる道をダラダラのぼってゆくと、樹にかこまれた大きい池がある。大よろこびで、ピオニェールたちは水浴びの最中だ。
 植物採集をやっているらしく、しきりに茂った草の中を、なにかさがしながら歩いているピオニェールの姿も見える。
 指導者のアンナさんは、われわれとならんで草の中へねころび、満足そうにそういうピオニェールの夏休みの景色を眺めていたが、急に、
「ああ、あなた。この池をさかいにして、私どもんところじゃ、大戦さがあったんですよ」
と云った。
「大戦さ? いつです?」


――宮本百合子「ソヴィエトのビオニェールは何して遊ぶか」


思い切って、みんな揃って☆等生物になる手もあるのだ。しかし、結局は「新しき性格感情」(坂口安吾)は生じなかったようである。当たり前ではないか。

なほいかで心として死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを

2020-05-20 23:15:07 | 文学


つくづくと思ひつづくることは、なほいかで心として死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこの一人ある人を思ふにぞ、いと悲しき。人となして、後ろやすからむ妻などにあづけてこそ死にもこころやすからむとは思ひしか、いかなる心地してさすらへむずらむ、と思ふに、なほいと死にがたし。「いかがはせむ。容貌を変へて、世を思ひ離るやとこころみむ。」と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは、世にもまじらはむ。」とて、いみじくよよと泣けば、われもえせきあへねど、いみじさに、戯れに言いなさむとて、「さて鷹飼はではいかがしたまはむずる。」と言ひたれば、やをら立ち走りて、し据ゑたる鷹を握り放ちつ。


なんでボンクラがあまり相手にしてくれないだけのことで死にたいとなるのか分からんが、この「儚くなりたい」心は自殺念慮とはちがって、創作家のスランプみたいなものにちかいのではないかと思うのである。この後で、和歌が詠まれるけれども、蜻蛉さんは和歌に依存しているのであろう。念仏や歌は心をなくす。その代わりに体が心の代わりに周りの人々を動かすように動く。音楽はそういう意味で素人にとっては心をなくす癒やしになるだろうし、所作などもそうなのである。昨日講義で、大正時代の民衆芸術論について少し語ったが――その『所作』こそが芸術みたいな考え方は、ブルジョアジーの心をなくすという意味で癒やしであったが、実際の心の殲滅とは違うのだから、最初から間違っていたのかもしれないと、――思った次第だ。「母につられて僧なんかになったら鷹狩りが出来ませんよ」と言う蜻蛉さんに対し、道綱はいきなり鷹を大空に解き放つ。

本当に病んでいるのは道綱かも知れない……

見る人も涙せきあへず、まして、日暮らし悲し。心地におぼゆるやう、
  あらそへば 思ひにわぶるあまぐもに まづそる鷹ぞ 悲しかりける
とぞ。


たぶん、母はちょっと不規則行動の息子の行動に不安になり、いそいで歌でその心のほころびを回収するのである。これは相手への歌ではなく心地としての歌であり、本当はこの文章の中で必要のないものである。しかも、道綱の行動のドラマチックな側面さえ減殺している。しかし、蜻蛉さんは詠まねばやっていられない。

鳥の使ひの帰る帰らぬを問題にした物語の多いのは、この信仰に根ざして居るものと見てよからう。鷹には鈴をつけて放すのが定りである。この鈴の音が、呪術とうらなひとに交渉を持つて居るものであらう。
扨、さうした鷹は謂はゞたましひの一時の保有者とも考へられる。だから此鷹によつて、鎮魂を試み、或はうらなひを行ふことになつた過程が思はれる。


――折口信夫「鷹狩りと操り芝居と」


思うに、道綱は鷹を放すことで魂に纏わる何かを解放しようとしているのかもしれない。鷹でなくてもいいが、少年時代、石をやたら投げていた。最近の子ども達はそんな自由もないのかもしれない。魂は適度に解放してやるひつようがある。そうでないと、我々は自分という過程をまるごと肯定することなんかできない。わたくしの印象だと、自己肯定感が低いとかいわれているのは否認の一種ではないかと思うのだ。否認の方が正しい。自分を反省してPDCA回すなんてのはばけものの呪文であり、その呪文は、決してその輪っかの外部の否認の引き替えに魔圏に我々を閉じ込めるのである。歴史に対する否認はかくして起こる。必要なのは、蜻蛉さんのように、その都度、突然のモノの襲来を回収しながら、ボンクラとの歴史を否認することでない。――とすると、蜻蛉さんの「儚くなりたい」願望は、死への念慮ではなく、その否認への強迫を避けようという心理の運動だということになるのかもしれない。それこそ死への念慮だということになるかもしれないが。