★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

文章としての絵

2019-06-29 23:10:00 | 漫画など


宮谷一彦の『性蝕記』はCOM増刊のものをどこかで買って持っているのであるが、読み終わるのに結構時間がかかった記憶がある。「太陽への狙撃」という当時の学生運動をネタに描いたものなんかも、『共犯幻想』などがスピードを持って読めるのに、宮谷氏を読むのは時間がかかる。漫画の世界を変えたといわれている宮谷氏の絵であるが、たぶん漫画を読む時間を変えてしまっているのである。一つ一つの絵を文章を読むスピードで読まなければならないのがこの人の絵なのである。いまよむと、せりふやト書き風のせりふに取り立ててすごく意味深なことが書いているわけではなく、どちらかという絵の方が文章なのである。

今読んでみると、蒸気機関車と自動車と老婆と女の世界を描きながら、自らのふわふわしたユーモアでそれらから身を引きはがしていこうとするあがきが見えなくはなく、それは氏なりの「生」きることだったように思えてならない。

それにしても、応援メッセージを寄せている田村泰次郎の文章は気の抜けた感じである。もっとも、この時期に田村泰次郎に頼めば、こんなことになるのは目に見えている。当時の若者たちは、戦中派のふがいなさに憤っていた面もあるのであった。