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今日は、授業でシュペングラーとかニック・ランドとかゲーテとか、ビートルズとか……とりとめもなく展開……。
わたくしは、シュペングラーの「思想家には選択の自由がない」という言葉が好きである。すごい自信だと思うし、そしてこの自信が確かに妙なことを言わせているとは思うけれども、確かに自分の中から時代を抉り出してきたのである。この迫力は、日本でもいくらか書かれた他の文化形態学みたいな本にはないような気がする。
僕が読んだドイツの哲学者たち、カント、フィヒテ、ヘーゲル、ショーペンハウエル、あるいはシュペングラーが話しをする時の顔つきは、俗悪なほど深刻である。
「ねばならぬ」と言い切ることは確かに男らしいことである。しかし、たいていの場合、それは脳髄の粗漏と、田舎君子の本能的な狡さを証明するに役立つだけだ。
さて、気の利いた悪口は、僕の中に政治家にまかせておくこと。
僕は、ドイツ人の太い地声に、「明晳ならざる」ものを嗅いだのである。
――原口統三「二十歳のエチュード」
そりゃそうなんだろうが、それでも長い思索に堪えるのは大したことで、自分に対する怯懦を排さなければなるまい。逆に、原口は明晰すぎるところを狙ってやせ細っている。