《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の階級的性格と日本労働者人民の課題を考える(その2)

2022-03-11 13:20:51 | 世界の政治・軍事・経済―世界の動きⅠ
プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の階級的性格と日本労働者人民の課題を考える(その2)

(承前)
(Ⅱ)ウクライナ侵略戦争を第三次世界大戦過程にしてはならない


▲ロシア軍がザポロジエ原発を攻撃(3月4日)

1)プーチン体制による侵略戦争の恐るべき危険性

 2月24日からロシア軍によって開始された戦争は、「大ロシア民族主義」(※後述)を掲げたロシア・プーチン体制によるウクライナ侵略戦争である。しかも、プーチン体制の大ロシア民族主義と米帝バイデン政権の「専制主義国家と民主主義国家との戦い」という世界大戦路線とが激突するならば、核戦争をほんとうに現実化させかねず、ヨーロッパ大戦―第三次世界大戦を必然化させかねない。
 率直にいって、ソ連崩壊以後のヨーロッパ・ロシアのパワーポリティクスが軍事と対抗の論理で動くとき、ただでさえ不安定なEU・ロシア間の均衡が一気に破られ、予想もつかない破滅的な世界戦争=核戦争に突入するかもしれないという世界史的転換点がいま到来してきた――この認識をもたなければならないのではないだろうか。
 この点で、ロシア軍がチェルノブイリ原発とザポロジエ原発を攻撃、占拠し原発を戦争の手段にしていること、戦場の真っただ中に置かれるにいたった原発がいつ電源切断の事故を起こし原子炉が暴発するかもしれないという危機的現実にあることは真に戦慄すべきことだ。
 また、2月27日にスウェーデン、28日にフィンランドが相次いでウクライナへの武器供与に踏み切ったことは衝撃的である。両国ともNATO非加盟で、長年にわたって紛争地への軍備供与をしてこなかったのを大転換したのである。

 他方、アジアをみると、ミャンマー軍事クーデター権力はロシアのウクライナ侵略戦争についていち早く支持すると公式に表明した(2月25日)。対して、NUG(挙国一致政府)は敢然とウクライナ侵略に反対の声を挙げた。ミャンマーのクーデター軍と、それに武器供与しているロシア・プーチン体制との結託はいっそう強まっている。
 じつは、ウクライナの親米政権と国営および民間軍需企業は15年以降、ミャンマー軍に航空機エンジン、船舶、航空監視レーダー、装甲兵員輸送車、軽戦車、船舶などを送ってきたのである。
 ロシア・ウクライナ問題とミャンマー問題は重なり合っている。

 かくしてヨーロッパの政治軍事力学とアジアの政治軍事力学が連動し、そのなかで中国・習近平(シー・チンピン)体制が防衛的=攻撃的に動くなら、第三次世界大戦への歯止めははずれてしまう。
 ミャンマー人民への支援・連帯とウクライナ人民・ロシア人民への支援・連帯、そしてパレスチナ人民への支援・連帯を一体でたたかおう! ロシア人民を先頭に21世紀の新たな国際反戦闘争を創造しなければならない。 


2)「2・24」はまぎれもなく不正義・理不尽な侵略戦争

●プーチンの二つのテレビ演説の重大性
 すでに世界中の人々が日々現認しているように、プーチン体制によるウクライナ侵略戦争は、プーチンのいう「軍事作戦」ではなく、旧ソ連から独立したウクライナへの国境を越えた明白な侵略戦争である。前述したように、それは軍事施設のみならず州政府庁舎、民間住宅、民間医療施設、学校、幼稚園、つまり民間人を攻撃する無差別戦争の様相を呈している。そしてあろうことか原発を攻撃・占拠するという常軌を逸した戦争となっている。さらに、プーチンは2月27日、米欧の制裁にたいして、その「抑止」と称して核兵器運用部隊(6200発の核兵器を所有)を臨戦態勢に入れる「特別軍事作戦」を命令した。
 かくも恐るべき、プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の政治的・軍事的性格をみきわめるべく考えてみたい。

 プーチンは2月21日、ウクライナ東部の親ロシア派支配地域のドネツクとルガンスク(いわゆるドンバス)の「共和国」としての独立を承認し、両共和国との友好相互援助条約、つまり相互軍事条約を締結した。そして、ロシア国内に向けて1時間を越えるテレビ演説をした。24日当日も、長いテレビ演説をした。両方とも「自衛の論理」を狡猾に振りかざしたもので、ほぼ同じ趣旨である。だが、21日の演説が中世から現代までのロシア史についてのプーチンの歴史観あるいは政治的総括を詳しく述べ、そこからウクライナ侵略戦争の必要性を正当化するものであるのにたいして、24日の演説は同じ論旨ながら、ロシア国内向けであると同時に米欧に向かっての「自衛」の名による先制攻撃の宣戦布告の意味をもつものである。
 じつはプーチンはすでに21年7月に論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」を公表している。「ウクライナの真の主権は、ロシアとのパートナー関係の中でこそ可能になる」というもので、ロシア軍の必読文献にされている。若いロシア兵士たちはこのプーチン論文を徹底的に叩き込まれている。
 では、二つの演説から浮かび上がってくることは何か。


●「大ロシア民族主義」の復権をかけた侵略戦争
 プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の第一の政治的・軍事的性格は、プーチンがその政治的登場(00年5月)以来掲げてきた大ロシア民族主義の復権をかけた侵略戦争だということである。大ロシア民族主義とは、(a)カソリックやプロテスタントと並ぶキリスト教の教派であるロシア正教を、スターリン主義ソ連崩壊以後の新たな国家統合理念とし、(b)大ロシア人(この用語はほとんど死語化)を中心にスラブ民族――言語学的にスラブ語系とされるウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人、スロバキア人、チェコ人、ポーランド人、クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など――を包括し、(c)第4期プーチン政権発足にあたっての「年次教書演説」(18年3月)で全面的に打ち出した、米帝・NATOに対峙しうる超軍事大国・核大国化をめざすものである。

 2・21プーチン歴史総括演説いわく。大事なところなので、長くなるが引用(一部意訳)する。

ウクライナは、私たち自身の歴史、文化、精神的空間の、譲渡できない不可分の一部。」「これらは、親戚や血縁、家族の絆で結ばれた人たち。」「太古の昔から、歴史的にロシアの地であった場所の南西部に住む人々は、自らをロシア人と呼び、正教会のキリスト教徒と呼んできた。」
現代のウクライナは、ボルシェビキ、共産主義のロシアによってつくられた。レーニンとその仲間は、ロシアの地であるものを分離し、切断した。レーニンはスターリンの民族問題の計画を批判し、(諸民族の)民族主義者―ナショナリストに譲歩することを提案した(註:いわゆる「レーニンの最後の闘争」)。レーニンの考えは、ひとつの連邦国家、そのもとで最大では分離を認める民族自決の権利を意味する。これがソビエト憲法に刻まれた。しかし、なぜ民族主義者をなだめる必要があったのか。民族主義者の野心を満たす必要があったのか。恣意的に形成された共和国諸国に広大な領土を移譲することに何の意味があったのか。レーニンの連邦国家建設の原則は、単なるまちがいよりもひどいもの――醜悪なユートピア的幻想――だった。ウクライナは“レーニンのウクライナ”と呼ぶことができる。ドンバスもレーニンによってウクライナに押し込まれた。」
「(ゴルバチョフの時代1985~1991年末に)レーニンの原則を復活させ、民族主義的な感情を扇動し、党内のランクの高い民族主義的エリートの野心に迎合した。各共和国に主権国としての権利、ソ連政府への異議の権利、居住者の市民権の承認という致命的な文書を出した。われわれの統一国家の崩壊、歴史的なロシアの崩壊は、異なる時期(レーニンの時期とゴルバチョフの時期)に犯された過ちによってもたらされたものである。」

 プーチンは、6世紀のキエフ・ルーシに起源をもつロシアとウクライナの長きにわたる錯綜した歴史関係をきわめて単純化している。その上、「諸民族の牢獄」と呼ばれた広大な多民族国家=帝政ロシアをプロレタリア革命によって転覆したこと、そのなかでレーニンが、どのように連邦制を創造するのか試行錯誤を重ね、苦闘したこと、しかしそのなかでも確固として諸民族の民族自決を擁護したことを全面否定し、それを「醜悪なユートピア的幻想」と切り捨てている。何よりも、「ウクライナはレーニンの過ちの産物」であると断じているのだ。

 さらに、親ロ派のヤヌコーヴィチ大統領打倒運動(2013年11月~14年2月。マイダン革命と呼ばれる)によって、親米欧派のポロシェンコ大統領、次いでゼレンスキー大統領が登場したが、それにたいしてプーチンは罵倒してやまない。

2014年はクーデターである。ウクライナの当局者たちは、われわれを結びつけているすべてのものを否定した。ウクライナに住む人々のすべての世代の精神と歴史的記憶を歪めようとした。」
「ウクライナ経済はボロボロになり、国民からは徹底的に略奪する結果となった。ウクライナは外部(米欧)からのコントロール下に置かれた。」
「キエフ(政府)は、ウクライナがモスクワ総主教に属しているのに、そのウクライナ正教会の破壊を準備し続けている。」

 かくて、プーチンは、第一に、ドンバス地方を含むウクライナはレーニン=共産主義の過ちによって生まれたものであり、それゆえウクライナは本来のロシア正教会を軸とする「歴史的なロシア」として「ロシアの不可分の一部であるウクライナ」に戻らなければならないと主張しているのである。
 したがって第二に、独立したドネツクとルガンスクに軍隊を派兵するだけでなく、友好相互援助条約を結んでいるわけもない首都キエフにロシア軍隊を送り込むのは、同じ「ロシア」への進軍であって、侵略でも戦争でもなく、「軍事作戦」であるとしている。
 第三に、プーチンのいう「ロシア」とは大ロシア人を国家・国民の上位に置き、ロシア正教を国家統合の理念とするヨーロッパの軍事大国=帝政ロシア――レーニンとボルシェビキを先頭にかちとられた1917年ロシア革命によって転覆、解体された帝政ロシア――のことなのである。「ソ連の再建」でないことは、明らかである。
 第四に、そうであるいじょう、ロシアのウクライナ支配はジョージア(グルジア)とモルドバへの支配につながっていくとみなければならない。

 プーチンは、ゴルバチョフを追い落としたエリツィンに指名されたNATO担当の情報将校である。プーチンは、エセ共産主義であるスターリン主義が崩壊し、その一国社会主義路線および平和共存政策と諸民族抑圧・同化政策が完全に破産した後、それに代わる国家統合の理念をロシア正教に求めたのだった。実際、昨年9月、プーチンは、ロシア正教の「聖人」とされているアレクサンドル・ネフスキー(1221~63年)の生誕800年祭を催し、記念碑を建立し、「愛国主義の模範」と称えた。
 あまりにも独善的で荒唐無稽な中世的な軍事大国主義プラス核兵器主義であるが、崩壊し去ったスターリン主義の瓦礫の上に立つプーチン体制にとって、それ以外にないのである。(そのようなプーチンにゴルバチョフが「自分のことを神の代理だと思っているようだね」といったというエピソードもある。ちなみにゴルバチョフは母親がウクライナ人、妻もウクライナ人である。)
 そのプーチン体制にとって、4400万人が住み、日本の約1・6倍の面積を持つ広大なウクライナを支配することは「歴史的ロシア」を取り戻すことであり、いかに無謀な暴挙であろうとも、2・24をもって、そのための戦争に踏み切ったとみなければならない。

●核先制攻撃戦略を発動
 プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の第二の政治的・軍事的性格は、「自衛」の名による敵中枢先制攻撃戦略、それも核先制攻撃戦略を発動したことである。
 まず前提的に確認しておくと、ドンバス地方にかんして、ロシアとウクライナの間で、14年9月と15年2月の2次にわたるミンスク合意が結ばれた。第2次ミンスク合意は、最初の合意が破れた後、ドイツとフランスの仲介で実現した。内容は、①ウクライナ東部での包括的停戦、つまりウクライナ側と分離独立派双方の武器使用の即時停止、②ウクライナ領内からの外国部隊の撤退、③ドンバスの「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」 の特別な地位に関する恒久法の採択および選挙の実施、④ウクライナ政府による国境管理の回復などである。
 このミンスク合意をウクライナ政府は履行してこなかった。米帝が自己の関与なしにドイツとフランスのイニシアティブで結ばれたロシア寄りの合意であるとしてこれを認めなかったことが背後にあった。つまり、米帝はドイツとフランスの頭越しにヨーロッパ政治に強引に介入してきたのである。しかもゼレンスキー政権は21年10月、東部の親ロ武装勢力にトルコ製攻撃無人機ドローンで攻撃をかけた。それらのことがロシア側に軍事介入の口実を与えたのである。

 いま一つの前提はNATO東方拡大問題である。プーチンは、1990年東西ドイツ統一の際にゴルバチョフと米ブッシュ政権の国務長官ベーカーとの間で交わされた口約束――「統一ドイツのNATO加盟とヨーロッパにおける米のプレゼンスを維持すればNATOの現在の軍事管轄権は1インチも東方向に広がらない」(1990年2月9日)――を米・NATOが破ったことを挙げ非難してきた。
 プーチンは二つのテレビ演説で、「NATO東方拡大はロシア敵視である」「ロシアにとって根源的脅威だ」「だまされた」「見捨てられた」「国際関係の原則に反する」「NATOはアメリカの対外政策の道具だ」と猛然と弾劾している。
 実際にゴルバチョフ・ベーカー会談での「口約束」は秘密公式記録に残っている。ベーカー回顧録にも記されている。口約束ではあるが、米帝も数年間はそれを履行してきた。その間の米ロ交渉のジグザクは省くが、後述するように、米帝は1997年以降、一転してNATO東方拡大を推し進めてきた。プーチンが反論する絶好の口実を提供しているのである。
 ロシアとウクライナ・米帝の間の最大の争点であるドンバス問題とNATO東方拡大問題では、国際政治史の上で明らかにプーチンに理がある。もちろん“盗人にも三分の理あり”の類であるが。
 なお、コーカサス問題など他の争点は略する。

 だが問題は、プーチン体制がそれらの争点をもって「自衛」の論理のもと一線を越境した敵中枢先制攻撃戦略を発動したことである。プーチンの2・24先制攻撃演説でそれを確認しよう。

アメリカとNATOが軍備をさらに拡大し、ウクライナの領土を軍事的に開発し始めることは、ロシア封じ込め政策であり、わが国にとっては生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来にかかわる問題である。私たちの国益にたいしてだけでなく、わが国家の存在、主権そのものにたいする現実の脅威だ。それこそ、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。」
「きょう、これから使わざるをえない方法の他に、ロシアを、そしてロシアの人々を守る方法は、私たちには一つも残されていない。断固とした素早い行動が求められている。」

「第二次世界大戦の1940年から1941年にかけて(註:独ソ不可侵条約締結の1939年8月以降ということ)、ソ連は戦争を停めようとしていた。ぎりぎりまで潜在的な侵略者(ナチス・ドイツ)を挑発しないよう努め、避けられない攻撃を撃退するための準備に必要な、もっとも必須で明白な行動を実行に移さず、あるいは先延ばしにした。そのため最後の最後で講じた措置は、すでに壊滅的なまでに時宜を逸したものだった。侵略者に取り入ろうとしたことは、国民に大きな犠牲を強いる過ちであった。ナチス・ドイツの侵攻の最初の数カ月で、私たちは戦略的に重要な広大な領土と数百万人の人々を失った。私たちは同じ失敗を二度は繰り返さないし、その権利もない。」

 上記に明らかなように、プーチンは米帝・NATOの東方拡大とゼレンスキー政権のNATO加盟動向をもって、「レッドラインを越えた」と断じている。話し合いや合意はすべて無駄だった、だまされたとトーンを上げている。だが、それだからといって、なぜ「ほかに方法はない」「素早い行動が求められている」となるのか。そこには明確に越境=飛躍がある。
 要するに、プーチンは「やられる前に先に攻めろ」と公言したのである。この論理的飛躍はきわめて乱暴、粗雑であって、いっさいの外交的努力を放棄するものであり、何の説得力もない。

 法律の専門家でもあるプーチンは百も承知のはずだが、第一に、ブルジョア国際法上、「先制的自衛」(そんな自衛権があるわけもないのだが)が認められるためには、(1)敵側からの明白で切迫した軍事的脅威について、(2)防衛の側が具体的に立証しなければならない。ところが、そのような具体性のひとかけらも、プーチンにはない。
 第二に、「先制的自衛」は核戦争を想定したものである。敵が核のボタンを押す前に第一撃を先制的に加えるという、第一撃核先制攻撃戦略が報復戦略からの転換的エスカレーションとして明示に打ち出されたのは、1977年以降の米帝カーター政権においてであった。つまり、それ以前からもあったとはいえ、その先制攻撃の論理は明らかに核戦争を前提とする戦略思想であるのだ。プーチンがウクライナ侵略戦争において核戦争での先制攻撃戦略とその論理をもちだしたことは、あまりにも重大な飛躍なのである。
 この点では、プーチンが「現代ロシアは世界で最大の核保有国の一つだ」「わが国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者にたいしても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろう」と強調していることは恐るべきことであり、決して政治的ブラフではないのである。
 第三に、ロシアの人々にとって生々しい悪夢であり続けている独ソ戦のおびただしい血の犠牲をとりあげ、その歴史的教訓として「同じ失敗を二度と繰り返さない」、ゆえに「先制攻撃である」と正当化していることは、あまりにも飛躍した強弁である。しかし、それは、今次のウクライナ侵略戦争を独ソ戦に比すべき文字どおりの国家総力戦として遂行するという宣言として、決して過小評価してはならない。
 このように、プーチン体制の2・24には核戦争の論理と戦略が込められているのだ。

●国際政治に侵略戦争の合法化を持ち込む
 プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の第三の政治的・軍事的性格は、国際政治に侵略戦争の合法化を持ち込むものである。
 プーチンは、“米欧NATOはNATO域外のベオグラードへの軍事作戦(1999年3月のユーゴスラビアへの空爆)をやったではないか、その後もイラク、リビア、シリアに軍事作戦をやったではないか、それらは国連憲章第51条(国連安保理決議にもとづく集団自衛権の行使を規定したもの)に違反するものだったではないか”と声を大にする。だからいま、ロシアも国連安保理決議抜きで国連憲章第51条に規定する集団自衛権行使としてウクライナへの特別軍事作戦を実施するというのである(2・24先制攻撃演説)。
 結局のところプーチンは、米欧NATOは国連憲章第51条にもとづかない域外への侵略戦争をやっているのだから、ロシアも同じこと=国連安保理決議抜きの集団自衛権行使という名の侵略戦争をするまでだというわけである。
 その意味で、2・24侵略戦争は、国際政治の無法時代、無秩序時代の全面化への留め金をはずすものといわなければならない。


●限定なきウクライナ支配を狙う
 プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の第四の政治的・軍事的性格は、戦争目的に「ウクライナの非軍事化と非ナチ化」を掲げていること、親ロ政権でっち上げを公言するに等しいということである。
 プーチンの2・24先制攻撃演説では、「特別軍事作戦の目的」として、①「ジェノサイドにさらされている東部ドンバス地方の人々の保護」、②「ネオナチがウクライナで政権を掌握しようとしている。ゆえにウクライナの非軍事化と非ナチ化」、③「数多くの血なまぐさいジェノサイドの罪を犯してきた者たちを裁判にかける」。④「ウクライナに住むすべての人々がどのような生活を送っていきたいかという選択の権利を行使できるようにする」という4点を挙げている。この第4点は見過ごされがちであるが、「クリミヤ半島のクリミヤとセバストポリがそうしたように」「歴史的な祖国であるロシアと一緒になることを自分たちで選択」せよといっているのである。
 
 ところで、スターリン主義ソ連の崩壊以後、独立したウクライナは1990年に「共和国主権宣言」を出し、「恒久的な中立国、軍事ブロックに加わらないこと」を国是として出発した。だがその「中立」は実際には多義的なもので、揺れ動くパワーポリティクスのなかで、その時々の政権によってさまざまな政治的様相を示してきた。それが14年以降の親米ポロシェンコ政権や現在のゼレンスキー政権では中立は国是ではなくなり、米帝・NATO陣営への参画を直接にめざすものに変えられている。
 それにたいしてプーチンは「ウクライナの中立化」ともいうが、「非軍事化、非ナチス化」を対置している。そして「ロシアと一緒になることを選択せよ」という。こうなると、ウクライナはロシアの属国となれということしか意味しない。すなわちプーチン体制によるウクライナ侵略戦争の戦争目的には限定なきウクライナ支配がはっきりと据えられているのである。


●ウクライナにおけるネオナチ問題
 またプーチンが何度も強調するように、ウクライナにネオナチ集団、極右民族主義団体があることは事実である。14年の親ロ政権打倒の際にヘゲモニーをとったのはアゾフ連隊と称する数千人規模のネオナチ、白人至上主義者であり、それが内務省のお墨付きで数々の残虐なテロをふるった。アゾフ連隊はその後、内務省直轄の国家親衛隊(国家警備隊)の一部隊となっている。
 全ウクライナ連合「自由」という極右反ユダヤ主義団体もいる。
 さらに、ウクライナ東部では、ネオナチ集団が義勇兵として親ロ武装勢力と戦ってきている。東部にはヨーロッパ各地から反ロシアの旗のもとに多くの右翼が集結してきている。
 つまりウクライナでは、ヨーロッパやアメリカなど国外から参入した部分を含む極右ネオナチ武装組織が、ほぼ政府公認で活動しているのである。ウクライナがネオナチの国際的な温床になっているという指摘もある。
 現下のロシア・プーチン体制による侵略戦争にたいしてゼレンスキー政権が愛国主義と反ロシアを強調していることが、極右民族主義者やネオナチに結集と活動の場を与えているとみなしうる。

 とはいえ、ネオナチがゼレンスキー政権のなかでイニシアティブをとっているという証拠はどこでも示されていない。プーチン自身が2・21歴史総括演説では「キエフで権力を握った攻撃的な民族主義(ナショナリスト)の体制」と規定しているが、ネオナチ主導の権力とはいっていない。よく知られるようになったが、ゼレンスキー自身はユダヤ人であり、親族がホロコーストで殺されている。
 では、そのゼレンスキー政権にたいしてプーチンが「非ナチ化」を対置する意図は何であろうか。

 プーチンは米帝について、「現代版専制主義」「うその帝国」「世界覇権を求める」「極右民族主義者やネオナチを支援」などと弾劾している。
他方、米帝バイデンは前述したように、「民主主義と専制主義との戦い」路線を新大西洋憲章に盛り込んでいる。第三次世界大戦路線をとっているのである。
 こうしてみると、推測でしかないが、プーチンは、米帝バイデンの「民主主義vs専制主義」路線に対抗して、「ナチ化vs非ナチ化」の構図をつくろうと模索しているのではないだろうか。実際、プーチン体制は今や中東・イラン情勢をめぐってイスラエルと協力関係にあり、軍事強国であるイスラエルとの軍事・技術協力関係をもっている。ソ連崩壊以降、ソ連にいた多くのユダヤ人がイスラエルに移民し、そこから多くの議員が生まれている。中東における米帝の支配的位置の低下という政治的・軍事的空隙をついて、ロシア・イスラエル関係が強化されつつあるのである。
 いずれにせよ、米帝の「民主主義と専制主義との戦い」という新たな世界大戦路線へのロシア・プーチン体制の側からの対抗という、かなり強烈な要素がウクライナ侵略戦争=ウクライナ支配策動には孕まれている。



▲年金問題で大規模デモ(2018年8月28日、モスクワ)

●プーチン体制支配の危機突破をかけた戦争
 プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の第五の政治的・軍事的性格は、プーチンの二つの演説でけっして語ろうとしない問題、すなわちロシア国内支配体制の構造的危機の突破をかけた戦争だという点にある。
 ロシア・プーチン体制は、18年以来、年金支給開始年齢引き上げ問題、男性60歳を65歳に、女性55歳を60歳(当初63歳だったがプーチンが譲歩した)に引き上げる年金改革問題を抱えている。それに対する労働者人民の広範で激しい反プーチン反乱が続いている。28年までに段階的に引き上げが実施されるため、年金制度問題は恒常的で構造的な激突テーマとなっている。これはプーチン体制とその社会経済構成体における根底的な矛盾の凝縮点なのである。
 年金支給年齢引き上げが発表された18年には、モスクワ、サンクトペテルブルクをはじめ全国各地で公然たる大規模な反対デモが沸き起こった。集会、デモには年金問題に直面する高齢者だけではなく、多くの若者が参加した。反対署名は290万人となった。「宮殿を建てるより年金を払え」というスローガンが出たように、プーチン体制そのものへの拒絶が示された。とりわけ同年9月9日には80を越える都市で数万人にのぼる大規模デモが組織され、約840人が拘束されるという激しいたたかいとなった。反体制派のアレクセイ・ナバリヌイ氏が呼びかけたもので、彼は事前拘束された。

 プーチン体制下の年金制度問題は、直接には国家財政破綻の危機、労働人口の減少化、引退する高齢者の増加を要因としている。だがそこにはソ連崩壊以降、社会不安からの出生率の低下、それも死亡率が出生率を上回るという構造的な危機状況がある。それに重なって、現金収入が最低生活費を下回る貧困層の存在を解決できなくなっている。とくに20~30歳代の深刻な貧困、健康破壊、住宅問題があり、それが青少年の労働と生活と教育の危機をもたらしている。そのため人口の都市部への集中、地方の過疎化、全社会的な地域格差の拡大が強まっている。
 プーチン体制は、原油と天然ガスなどエネルギー資源に依拠して経済再建をはかってきた。それは一定の浮揚効果を示したが、エネルギー資源依存の経済構造に偏ったものとなっている。軍需産業と航空・宇宙産業以外の他の産業は停滞している。国家財政もエネルギー関連産業からの収入に頼っている。
 ロシア経済の土台である農業では、小麦やトウモロコシの輸出戦略に傾斜している一方で、常に国内自給の不安を抱えている。

 結局、プーチン体制の20年余は、均衡ある産業構造をつくり出すことができず、そのためエネルギー資源産業と軍産複合体と金融とメディアなどを握るオリガルヒ(新興財閥)を強権的コントロール下に置きつつもそれに依拠してきた。
 ロシア経済は全体として、2008年リーマンショックとCOVID-19による打撃が底流にあり、インフレ昂進と金利高が相乗化して景気悪化から脱出できない。加えて油田の枯渇、原油生産量の減少が今後追い打ちをかける。

 そもそもエセ社会主義であったスターリン主義ソ連の崩壊の廃墟の上に立つプーチン体制は、一方では米帝・NATOとの対峙のため膨大な軍事費を支出してきた。他方では1930年に年金制度の基盤を確立したスターリン主義の遺産を引き継がなければ社会経済と国内支配を維持できない。国家財政のなかで軍事と社会保障が占める割合はそれぞれ30パーセントを超えている。その社会保障・年金財政を削減するということは、プーチン体制の成立条件を自ら破壊することを意味する。だが膨大な財政赤字のもとで軍事大国であり続けるためには、年金制度に手をつけるしかない。
 かくして、20年余のプーチン体制はソ連崩壊以後のロシアの新たな社会経済体制の再編において破綻的危機に直面しているのである。とりわけ、全社会的な貧困問題を打開できない問題は深刻である。それゆえ、プーチン体制は、ウクライナ侵略戦争にうって出ることで、反乱する労働者人民を大ロシア民族主義的・強権的に国家統合するしかない。
 ぎゃくにいえば、18年に爆発した年金制度改革反対の全土的デモが潜在し、それを地下水脈として今日のウクライナ侵略戦争反対の激しいデモが噴出しているのである。

 以上、五点を究明してきたが、ロシア・プーチン体制の2・24戦争が不正義で理不尽きわまる、まぎれもないウクライナ侵略戦争であること、それがヨーロッパ大的、世界大的な戦争をもたらしかねないことは明らかとなったのではないだろうか。だが、それは問題の一面でしかないことも明らかとなったと考える。もう一面は米帝バイデン政権の世界支配とその戦争政策である。

(つづく)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿