Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§156「考える人」 池田晶子, 1998.

2022-07-24 | Book Reviews
 人間が科学という言語を介して語る世界観は、観測できる事象を物理的な存在として認識できるはずという考えなのかもしれません。

「自分が考えなくても、ものごとが在ると信じ込んでいるからだ」(p.118)

 一方、観測できる事象であっても確率的な存在としてしか認識できないのではないかという考えも、もう一つの世界観として語られています。

「不確定性原理は、科学が、思惟と存在との奇怪な結託に気づき始めたその皮切り」(p.124)

 ある出来事や物事のかたちやありようについて、それがそこに在るとはいかなることかという問いかけを、人間が言葉という言語を介して語り合うことが大切なのかもしれません。

「言葉と考えとは、誰のものでもなく誰をも巡るものだから」(p.107)

 とはいえ、池田晶子の言葉と考えは、約九十年前の小林秀雄にも相通ずるような気がします。

「人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有することは出来ない」※(§154)

 ひょっとしたら、ある出来事や物事のかたちやありようという事象そのものについて、関わり合う人々が分かち合える言葉と考えというものが存在の意味と価値なのかもしれません。
 
「人間が言葉を語っているのではない。言葉が存在を語っているのだ」(p.82)

初稿 2022/07/24
出典 池田晶子, 1998. 「考える人ー口伝西洋哲学史」中公文庫
出典※ 小林秀雄, 1962.『Xへの手紙・私小説論』新潮文庫, pp.57-83.「Xへの手紙」p.79
写真「考える人」オーギュスト・ロダン, 1902頃.
撮影 2022/07/10(東京・アーティゾン美術館)

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