Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§54「国盗り物語」(明智光秀) 司馬遼太郎, 1965.

2016-10-01 | Book Reviews
 「如何ほどに忠義と讃えられようとも、謀反とそしられようとも、人生五十五年、夢から覚めてみれば、自らの信念に忠実であったことに他ならぬ」(明智光秀 辞世の句より意訳)

 美濃守護大名 土岐氏の流れを汲むとされる明智光秀は、美濃守護大名を乗っ取った斎藤道三の正室 小見の方が伯母であり、斎藤道三の娘 濃姫をめとった織田信長は幼き頃からのライバルだったそうです。

 織田家の重臣としての活躍や立身出世とは裏腹に、守護大名の盟主として足利義昭を征夷大将軍に擁立し、戦国の世を鎮めてみせるという信念があったのかもしれません。

 本能寺の変の直前、美濃守護大名 土岐氏の流れを汲む自らが、天下に号令するのは今であることを示唆した明智光秀の一句、

「時は今 雨が下しる 五月哉」

 足利義昭を備中 鞆に匿った毛利家、そして自らの重臣・斎藤利三の縁戚を嫁がせた長宗我部元親は、来るべき再興の為に護らなければならぬ勢力と考えていたのかもしれません。奇しくも本能寺の変により長宗我部討伐軍の派遣を延期させたことは、自らの信念に忠実であったことを示唆しているのかもしれません。

初稿 2016/10/01
校正 2020/12/07
写真 明智光秀公辞世句碑(戒光山 西教寺)
撮影 2016/09/26(滋賀・近江坂本)


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