しまね分かち合いの会・虹

自死遺族自助グループ
『分かち合いのつどい』
と『J交流会』

もう一つの家族  2

2022年04月08日 | 



2007年~08年頃、分かち合う場所があると知り、全国の集いをさ迷い訪ね歩いていました。
関西には当時、自死遺族たちが集える場所が9ヵ所ありました。
その頃は、行政主導だろうがボランティア支援の会だろうがお構いなしに行っては胸中を話していました。
自助グループは、大阪府枚方市の「ふきのとうの会」しかありませんでした。
結局、自助グループの集いが一番落ち着き、関西ではそちらに通うようになっていきました。

今日、何年ぶりかに神戸の遺族の方から電話がありました。
神戸の「風舎」という、ボランティアが主導される分かち合いの集いで知り合った方からです。
「風舎」や「リメンバー神戸」で出会った遺族の方々と、集いの後のお茶や夕食の一時が楽しみでした。
色はモノトーン、食べ物の味はよく判らず、雲の上をふわふわ歩いている感覚だったのに、泣いたり笑ったりしながらの交流……
「初めて会ったのに家族みたいだったよね。あちこちに帰って行くのが寂しくてこのままずっと一緒に居たかったよね」と。
「分かち合いの場は卒業したけど、コロナが落ち着いた時に神戸で同窓会しない?」とも。

生きる望みをもらえた全国の遺族の方々に、もう一つの家族と言える方々に、元気なうちに会っておきたいと思います。


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もう一つの家族

2022年03月20日 | 

県内各地域でパネル展をやっていると、たいていの会場で新しい出会いがあります
「今回のパネル展、今日で三回目です。家に帰ると、またパネルの皆さんに会いたくなって来てしまいました」
「今が旬の、今朝採れたてのワサビの茎と葉っぱを軽くサッと湯を通した物だけど、食べてみて」と、今日も足を運んでくださった方。
セルフヘルプ(自助)グループは、「もう一つの家族」と学んだことがあります。
はじめての出会いなのに、ずうっと前からの知り合いだったり家族のような感覚になる時があります。
また、同じ戦地で戦った生き残りのような……同じ釜の飯を食べた戦士のような……
はじめての出会いなのに、会場で一緒に泣いたりハグしあったり……
そんな多伎図書館でのパネル展も、あと一日となりました。
24日からは松江市のいきいきプラザ島根です。

 


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パネル展会場で……

2021年09月28日 | 


パネル展会場には、これ見よがしの大きな募金箱が置いてあります。
一人の中学生が「あっ、財布持って来ててよかった~」と声をあげ、気持ちを入れてくれていました。
大人は見ない振りをしてかなかなか出来ない事を、素直に協力してくれた中学生。

その子のご家庭や日原中学校、本当に素晴らしい情操教育をされていると感じました。
優しさや思いやりが欠けはじめている今、本来の学校教育.家庭教育を見直すことが大事ではないかと改めて気づかされた瞬間でした。

 

 

かわべミニ講演会 開催されました

かわべミニ講演会 開催しました。 – 日原にぎわい創出拠点 かわべ (nichiharakawabe.jp)

 


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14年目の夏の終わりに

2021年09月03日 | 


「しまね分かち合いの会  虹」を、2008年8月30日に立ち上げた。
今から13年前の夏、息子を喪ってから1年と8ヶ月の時。。。

自死問題、右も左も分からない… そして自分自身がまだフワフワと雲の上を歩いている感覚。
自死遺族に助けられた思いが、「何かをやらねば!」という一途な強い意志に傾いていったようにおもう。

「いのちの電話相談員」と「自死遺族自助グループ設立」の二つに挑戦していた。
当時は両立出来ていたのだが、並行がだんだん難しくなり相談員を降ろさせてもらった。
その後は遺族たちが生きやすいようにと、無我夢中な13年を走っていたようにおもう。

定例の分かち合いの場所を県内5ヵ所に拡げ、均等な距離感と行きやすい会場を選ぶことを可能にした。
「自さつ」は亡き人や遺族を深く傷つけるから、県の行政用語を「自死」に変えて欲しいと何度も県に切望し、実現できた。
県内各自治体の自死対策連絡協議会に遺族を参画させて欲しいと要望し、先ずは県に、今は4市1町1圏域にも地元遺族が委員として入らせてもらえている。
人権問題にも切り込ませてもらい、県民の皆さんに理解を深めてもらうための行政主導研修会等も広がりつつある。

基本である分かち合い(自助)を通して、遺族の方たちが繋がり支えあう(互助)関係は築けていると感じる。
しかし中には、あの時の想いは抱えつつ「楽しい事だけでいい!」と仲良し遺族だけを集めようとしている人もいる。
まっ、元気になってもらえたのならそれに越したことはないが、たまには顔を出したり手伝ってね… と喉元まで出かかっている。

継続にはそれなりのエネルギーが必要だ、しかし弱気になったり年齢的にもかなりキツくなっている。
「おかん、もうそろそろいいよ!」と、いつになったらあの子は言ってくれるのだろうか。。。


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雑感

2021年07月04日 | 

県の自死対策窓口の職員が、7月1日付けで異動された。
あと一年間だけは大丈夫!と安心しきっていただけに、かなりショックだった。
6月30日、2年と3ヶ月の間、大変お世話になったことへの御礼にメンバーと行った。

「虹」を立ち上げた当初の健康福祉部長は「桑原は県行政(遺族支援)を批判するから、支援しない」と発言されていたと、ある方から聞かされた。
組織がそう言わせたのか、人柄(人格)なのか?
そのうち部長や担当者が代わり、私たちの意見や要望(切望)が受け入れてもらえるようになった。
特に、「自さつ」から「自死」に行政用語を変えてくださった時の課長や担当者たちは、まるで神さまのような人たちに思えた。
そういえばあの時も、記者会見が終わるのを待ってメンバーと涙ながらに御礼の挨拶に行ったなぁー、ということを思い出した。

他府県の自死遺族の方々が、遺族支援が進まないことを嘆かれていることを不思議に思う時がある。
また、遺族の中に議員などがいるグループは、話がトントン拍子で進むらしい。
何のコネもない「虹」は、自力でコツコツ動き働き掛け続けるしかなかった。
それを受けとめ理解を深めてくれた島根県には、少なからず感謝をしている。

県や松江市の自死対策のある窓口の担当者たちは、私たちの姿が見えなくなるまで見送ってくださる。
このような状況は、最近の島根県(県内各自治体)の姿勢なのか?
あるいは、各組織の長の考え方なのか?個人の人柄(人格)なのか?
それとも…


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あなたは

大切な家族を 自死で突然失う衝撃 誰にも話せず胸がつぶれそうな日々 一人ではとてもかかえきれない想い このつどいでは 悲しみ苦しみ怒りなどを分かち合っています 涙しています 聴いています あなたのとなりには 同じおもいの自死遺族しかいません 安心して分かち合っています 新しいつながりが きっとあなたを待っています 一度いらしてみませんか (会場等に自死自殺の文字は使用していません安心してお越しください)