朝日新聞松江総局の記者だった一色涼さんが、5月から大阪府の枚方支局へ異動になりました。
彼が松江に赴任して間もなくの2年前の6月、「島根県の『自死』という公文書に驚いたが、その事についておしえてもらえないか」という連絡をもらいました。
会って話をしているうちに、自死遺族達を取り上げた連載を書きたいと思う・・、と言う話になりました。
遺族を守らねばならないので、「あなたの過去の記事を読ませてください、それによって決めさせてください」と体のいいお断りをしたつもりでした。
彼は宮城県石巻市の大川小学校の記事を持ってきてくれ、彼の視点で書かれたその記事を読む事が出来ました。
そして・・・、「いまもそこに『自死』という死」の7回シリーズが、2014年9月に掲載されました。
その後も、私たちの活動に密着するかのように、「活字」というペンの力で、支援を続けてくれました。
私たち「虹」は、毎日新聞の金記者にも2012年から昨年の4月までの3年間、ずっと、本当にお世話になりました。
金記者も一色記者も、記者のコラムに別れの言葉を書いています。
2人とも、遺族を元気にしてくれる、心ある人だったな~と、感慨深く思っています。
全国紙の記者たちが「自死」「自死遺族」への理解を深め寄り添ってくださったことに、心から感謝しています。
また、お世話になった県の自死対策の担当職員の異動もありました。
彼は、「あと半年間この担当でいたかった、やりたかったことが心のこりです」と話してくれました。
自死対策担当は重いので早く異動があればいいと考える職員が多い中、遺族達の中にも溶けこんでくれる存在感のある方でした。
別れもあれば、新しい人達との出会いもあります。
私たちはまた一から、新しい人に、おもいを伝えていかねばなりません。
新しい人達から違う視点で、心ある「自死遺族支援」対策を、考えてくださることを願っています。
「山陰過労死等を考える家族の会」が、家族の会としては中国地方で2番目、4月22日に立ち上がりました。
代表の高木さんは、2009、9月に息子さんを亡くされています。
息子さんの勤務先や労基署、労働局の対応にもずいぶん傷付けられて来られました。
これから先、このような理不尽な思いをする人達が出てはいけないと、ご自分の体験を活かし頑張ってくださるそうです。
素晴らしい心強い、「虹」のメンバーです。