故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.1.328 「高速鉄道(新幹線)」のお話。

2017年08月19日 | 日記

教え子と再会すること(大慶市で王威さん、ハルビン市で李心雨さん)。新設された大慶市までの高速鉄道(新幹線)に乗り、温泉を楽しむこと。今回、関係者のご支援により、私の中国旅行のこの目的は達成することができた


この日、高速鉄道で「泰康駅」から「ハルビン駅」まで1時間12分の列車の旅を楽しむことになった。完成して間もない「泰康駅」の駅前トイレは建物はできていたが、設備が完備せず、使用禁止となっていた。


次の「大慶西駅」までは油田地帯だけあって、車窓からは稼働している「原油の掘削機」の姿が街のあちこちで見られた。掘削機から集められた原油は、約1.000㎞のパイプラインで港まで送られるという。


帰りの列車も各駅停車のためか、期待した≪時速300㎞を超えるスピードを体験することができなかった。日本のJR鉄道と同じように「ハルビン駅」には定刻に到着した。「ハルビン駅」構内は勿論、駅前も来年の完成を目指し、大工事が始まっていた。



「泰康駅」の駅前トイレ(右側)は設備が完備せず、使用禁止。

車窓から稼働している「原油の掘削機」の姿が街のあちこちで見られた。

「泰康駅」近くの商店の看板にはモンゴル文字も見られた。

車内で食べた「アイス」と新しい「ハルビン駅」の完成写真。




No.1.327 「富裕正潔寺」のお話。

2017年08月18日 | 日記

朝食後、私は午前10時過ぎに高速鉄道の「泰康駅」を出発し「ハルビン駅」へ戻るため、ホテルの部屋で荷物の整理をしていた。しかし当初計画になかった蒙古族が信仰しているラマ教の「富裕正潔寺」を見学できることになり、出発時刻を早めて迎えの車に乗り込んだ。


一般の自動車道を高速道路並みのスピードで30分ほど走ると、茶色と黄色を基調とした新しい寺が私の目に入ってきた。拝殿には金色に輝く巨大な“千手観音が私達の目の前に立っていた。


説明によれば「室内の“千手観音としてはアジアで最大!!」とのこと。続いて拝殿の左側の部屋に入った。そこには右手に青い色の刀を振り上げている巨大な“文殊菩薩像”があった。


続いて右手の部屋に入った。そこには青紫色の大きな仏像が目に留まった。最後に訪れた奥の拝殿には、早朝のお経が流れていた。この黄金に輝く巨大な寺は、人々の浄財により建設されたという。深い感動を覚えた「富裕正潔寺」であった。


蒙古族が信仰しているラマ教の「富裕正潔寺」の正面。

「室内の“千手観音”としてはアジアで最大」との説明があった。

右手に青い色の刀を振り上げている巨大な“文殊菩薩像”。

拝殿の右手の部屋にある青紫色の仏像が目に留まった。

拝殿には、早朝のお経が流れていた。

ホテルを出発すると蒙古族の住居「パオ」が見えてきた。




No.1.326 「蓮池」のお話。

2017年08月17日 | 日記

新潟市内にある“白山公園の中にも美しい淡いピンク色の花を咲かせた「蓮池」がある。しかしこの日、早朝散歩で見学した“連環湖に隣接している「蓮池」はスケールが全然違う。


野球場を10個くらい合わせた広さがあると思う。その池に一面に“蓮が植えられており、一斉に花を咲かせている姿は壮観であった。池の入口にはこの“蓮の花を小船に乗って間近で観察できるコースもある。


私は池に架けられた木造の橋を渡り始めた。このような橋が池の周辺に何カ所も作られていた。早朝のためか中国人観光客とほとんどすれ違うこともなく、静かな雰囲気の中、ゆっくりと散策させてもらった。


さすがにインターネットで紹介されている「蓮池」だけあって、思わず「凄~い!!」と声が出た。とても1時間では見学しきれないほどの広さであった。


池の入口にはこの蓮の花を木造の小船(右下)に乗って間近で観察できるコースもある。

“連環湖”に隣接している「蓮池」に向かう散策路。

ホテルの朝食。



No.1.325 「早朝散歩」のお話。

2017年08月16日 | 日記

中国・黒龍江省大慶市の郊外にある“連環湖温泉”に宿泊した私は、いつものとおり午前6時に散歩に出かけた。昨夜は夜遅くホテルに到着したため、部屋の窓から外を眺める余裕もなかった。


早朝、カーテンを開けると目の前に「連環湖」が広がっていた。最初にその湖のほとりまで散策することにした。昨夜入浴した露天風呂と温水プールの脇を通り、ビーチバレーのネットの張ってある砂浜に出た。


湖に突き出た桟橋を渡り、南国風の小屋に設置された椅子に座り、周囲の景色を楽しんだ。湖は雨の影響か期待した透明度はなく、茶色く濁っていた。創業8周年を迎えたこのホテル周辺では、植物園や遊覧船も楽しめる観光地となっていた。


昔、何もなかった場所に温泉を掘りあて、リゾート施設を新たに建設した。聞けば氷点下20度を超える冬でも「温泉」と「スケート」、それに湖の氷に穴をあけての「魚釣り」で観光客を呼び込んでいるという。


ホテルのすぐ裏にある「プール」と、その奥には「連環湖」が見える。

中央に見える建物が、私が宿泊したホテル。

私が宿泊したホテル「四季温泉会館」。

遊覧船や貸自転車があり、それに別荘なども建てられていた。








No.1.324 「温泉」のお話。

2017年08月15日 | 日記

“徳力格尓蒙古”で見学時間が大幅に伸びたため、夜遅くホテルに到着した。私にとって中国大慶市の「ボルボド蒙古自治県」にある“連環湖”の湖畔の温泉を初めて体験することになった。


ここの温泉は“水着”着用が条件となっている。男女別々の入口から入るが、同じ大きな温室で合流する。そこで10箇所ほどの「湯舟」に男女一緒に温泉を楽しむことになる。


「湯舟」にはお湯の温度が43度、41度などとそれぞれ表示されており、温泉従業員が飲み物のサービスもしてくれる。夜9時を過ぎていたが、私達は屋内のほか、屋外の温泉も楽しむことにした。


こちらはやや熱いお湯が出ていた。別料金を払うと漢方薬を入れた「湯舟」にも入ることができる。この温泉は24時間オープンしている訳ではなく、夜11時から朝の7時までは「湯舟」の栓が抜かれてしまう。


そのため残念ながら私の好きな「朝風呂」は楽しむことができなかった。


大きな温室の中にある「湯舟」。

漢方薬を入れた「湯舟」にも入ることができる。

掘削井戸1.800mの地点から温泉が自噴しているという。







No.1.323 「蒙古部落」のお話。

2017年08月14日 | 日記

私達の今回の旅行目的のひとつである「温泉」に向かうことにした。高速道路をしばらく走ると左側に蒙古族の“組立式住居である白い「パオ」が見えてきた。


私は一昨年、旅行した「内モンゴル自治区」の大草原と同じような光景を思い出した。驚いたことに高速道路の分離帯の切れ目から私達の載った車はUターンし、その「パオ」のある“徳力格尓蒙古”へと向かった。


説明によるとこの周辺は、昔から「内モンゴル自治区」と接続していた場所であった。中国政府の指導で、農村部の経済発展を図るため、黒龍江省人民政府や大慶市旅游局などの職員が3年間、これらの地区に転勤し“地域おこし”を行っているという。


ハルビン市などから観光客を呼び込み、収入のアップの支援をしている。内では“ラクダ”や“馬”に観光客を乗せていた。また「パオ」の中では名物の蒙古料理や、歌手が民族歌謡を披露してくれた。


の看板の上には串焼きのような「モンゴル文字」がみられた。

ジンギスカンの銅像。

白いマフラーと違い、青いマフラーは貴賓用のものだという。

高速道路の入口「杜尓伯特(ドルボド)」。

蕎麦粉100%の「蕎麦」と蕎麦の皮で包んだ「餃子」は美味しかった。

アルコール度42%の「蒙古醇」と蒙古民謡を歌う歌手。




No.1.322 「大慶石油館」のお話。

2017年08月13日 | 日記

昼食後、見学した観光スポットが「大慶石油館」である。この建物は2010年に開催された“上海万博”に出展したパビリオンを万博終了後、2011年に大慶市にそのまま移設したもの。


水色の四角の建物も、石油繊維から作られているという。私達はエスカレーターで2階まで上がり、スロープを下がりながら展示室をゆっくりと見学できるコースを歩き始めた。


中国語であったが、美人のガイドさんが館内を特別に説明してくれた。中でも世界一のダムと言われている“三峡ダム”を建設した時に活躍した、直径が3mを超える「タイヤ」や「宇宙服」など、石油を原材料とした製品が特に目を引いた。


多忙の中、私達を丁寧に案内してくれた教え子の王威さんと日本で再会することを約束し、ここ「大慶石油館」でお別れすることになった。王威さんには本当にお世話になった。心から感謝申し上げたい。


世界一の“三峡ダム”を建設した時に活躍した、直径が3mを超えるタイヤ

中国語であったが、美人のガイドさんが館内を特別に説明してくれた。

大慶市内の至る所で原油の「掘削機」がみられる。





No.1.321 「昼食会」のお話。

2017年08月12日 | 日記

教え子の王威さんが私達を大慶市で有名な豚肉料理店「一口猪」へ招待してくれた。中国語の「猪肉」は、日本語に訳すと「豚肉」となる。この店は近くに自分の養豚場を経営しているため、常に新鮮な「豚肉」を提供できると説明してくれた。


自慢の豚肉料理のほか、ジャガイモや豆などを使った地元ならではの“郷土料理”が次から次へとテーブルに運ばれてきた。私が驚いたのは、この店一番の名物料理が登場した時のこと。


食堂の中が破裂しそうな大きな“鐘”を鳴らしながら、日本の「お神輿(おみこし)」のようなものに乗って運ばれてきた「豚の丸焼き」料理で、よく見ると豚の顔がハッキリと分かる料理であった。


この肉を野菜と一緒にトウモロコシの皮で包んで食べるのである。ボリュームもあり、なかなかおいしい料理であった。教え子である王威さんの温かい気持ちが伝わってくる「昼食会」をゆっくりと楽しんだ。


“鐘”を鳴らしながら「お神輿」のようなものに乗って運ばれてきた料理。

豚の顔と分かる「豚の丸焼き」料理

上の写真の肉を野菜と一緒にトウモロコシの皮で包んで食べる。

右から教え子の王威さん、筆者と大島先生。



No.1.320 「教え子と再会」のお話。

2017年08月11日 | 日記

高速鉄道の「大慶西駅」で私達を笑顔で出迎えてくれた若い男性が、黒龍江大学大学院の教え子の王威さんである。大慶市出身の王さんはこの街に就職していた。


仕事で日本語を使う機会が少ないため、日本から放送されるテレビなどを見て日本語学習を続けているという。命を懸けて大慶の石油の産出に尽力され「鉄人」と呼ばれた王進喜氏を讃えて作られた“鉄人・王進喜記念館”を案内してもらった。


また王さんからは「中国石油文化の都 =大慶=」という“記念誌と、原油を最初に産出した≪1号井戸から採掘された油が一滴入った貴重な“記念品を頂戴した。


私は大島先生と長身の王さんと一緒に記念写真に納まった。この“記念館”は、私にとって2度目の訪問であったが、懐かしさが甦って来た。

 

我们乘坐高铁到了大西站。在出口,面带笑容迎接我们的是王威先生。他是{我们以前在黑江大学研究生院教过的}学生他出生在大庆,现在在大庆工作。

他说,因为工作上使用日的机会比较少,只好通过看日本的电视节目坚持学习日王先生我们参观了铁人王进喜纪念馆。王进喜是{曾经不顾一切投身于大庆油田开发的}英雄人物

王先生还分别赠送我们一本《中国石油文化之都大庆的纪念手册》,还有一个丙烯玻璃块,里面装着从第一口井里采出的一滴石油。对我们来说,这两个礼物都很贵重。

我与大和个子高高的王先生一起拍了念照。因为这是我第二次来参观,所以想起当年的情景,我感到不胜怀念。


記念写真に納まる大島先生(左)王威さん(中央)筆者(右)。

鉄人を先頭に行進している「記念館」の中の展示物。

王さんから頂戴した“記念誌”と原油が一滴入った“記念品”。

記念館前の広場。正面の高層ビルが王さんの勤務先の建物。


 

 



No.1.319 「中国の新幹線」のお話。

2017年08月10日 | 日記

昨年は黒龍江省・ハルビン西駅から遼寧省・大連北駅まで新幹線(中国では「高速鉄道」または「高鉄」という。)の旅を楽しんだ。今年は新しく開通したハルビン西駅から斉斉哈爾(チチハル)駅行きの「高速鉄道」に初めて乗車した。


乗車前にハルビン西駅の正面入口で記念写真を撮ることになった。駅周辺は30階建ての高層ビルに囲まれているが、更に新しく10棟ほどの高層ビルが建築中であった。


「高速鉄道」は日本の新幹線と比べると揺れも少ない。日本と同じように普通席とグリーン席(中国では「二等座」と「一等座」)がある。私達は一等座でユッタリとした背もたれのある椅子に、深々と腰を下ろした。


車内の気温は26度。最高スピードは≪時速241㎞。昨年、大連へ行ったときは≪時速300㎞を超えて走ったが、詳細な理由は不明であるが、今回は時速300㎞を体験できなかった。

 

ハルビン西駅の正面入口での記念写真。

 

駅周辺は30階建ての高層ビルに囲まれている。

ハルビン西駅の構内。

「グリーン車(一等座)」でも立ち席のお客が入ってきた。

 

座席の前には可動式の「テーブル」を出すことができる。 

高速鉄道のトイレ。 

最高スピードは≪時速241㎞≫。

車窓から見える高層ビル。

大慶市内に入ると原油の採掘機が随所に見られた。

 



 

 






No.1.318 「地下鉄3号線」のお話。

2017年08月09日 | 日記

私がハルビン市に住んでいた2010年ころは、地下鉄工事の真っ最中であった。そのため教員住宅の水道もたびたび止まった。事前に工事日が分かる時は、大きなバケツに水を溜めて断水に対応した。


その地下鉄1号線は全線開通となり、3号線も一部が開通した。黒龍江大学駅前から地下鉄1号線に乗り、一つ目の駅(医大二院駅)で3号線に乗り換える。3号線の終点が目的のハルビン西駅である。


交通渋滞や天候に左右されることなく、正確に目的地に到着できる。本当に便利になったものである。地下鉄や新幹線(中国では「高速鉄道」という。)は日本と違い“X線検査機で手荷物検査を受けなければならない。


私も「ペットボトル」の水が検査機に引っ掛かった。“水分分析器にかけられ、ようやく「OK」が出た。


地下鉄「黒龍江大学駅」構内にある無人の「切符売り場」。

X線検査機で手荷物検査を受ける場所。


No.1.317 「早朝散歩」のお話。

2017年08月08日 | 日記

旅に出ると「早朝散歩」が私の日課となっている。午前6時に黒龍江大学の宿舎を出発し、私が日本語教師時代、毎朝、数人の学生と一緒に散歩しながら日本語の勉強をした≪1周400mのグランドへと向かった。


そこには「黒龍江大学健康協会」に所属している先生方が既にジョギングを楽しんでいた。昨晩「歓迎会」で一緒に乾杯を重ねた先生方も、ランニングで汗を流しておられた。


また、散歩中の黒龍江大学の何穎学長さんにもグランド上で偶然お会いし、久しぶりに言葉を交わした。懐かしい先生方にお会いした後は「学生食堂」で朝食をとることになった。


この時期は夏休みのため、B区の「学生食堂」だけがオープンしていた。一皿1.5元(日本円で約25円)から3元(約50円)ほどのお粥(かゆ)や白菜を使った酸菜、ジャガイモと肉の煮込みなど、懐かしい味を思い出しながら食事を楽しむことにした。


昨晩「歓迎会」で一緒に乾杯を重ねた先生方の姿も見られた。

B区の「学生食堂」だけがオープンしていた。

青い学生カード(右上)がないと料理を買うことができない

閉鎖中のA区の学生食堂。



No.1.316 「二次会」のお話。

2017年08月07日 | 日記

私達は黒龍江大学の正門に近い「東方餃子王」というお店で、先生方から心温まる“歓迎会”を開催してもらった。十分、お酒やビールを頂戴し、美味しい料理も腹一杯、ご馳走になった。


ここから15分位の場所に美味しい「串焼き」のお店があるというお話があり、結局「二次会」に参加することになった。店の中には入らず、店の前にテーブルとイスが置いてある場所に座ることになった。


名物の「串焼き」が40本ほど一気にテーブルの上に運ばれてきた。ここで出されたビールは地元のハルビンビールではなく、中国産の“バドワイザーであった。このビールは最近、ハルビン市民の間で人気が高まっているという。


ハルビンの夏はなかなか太陽が沈まない。午後8時くらいまでは外が明るい。楽しい仲間と夜遅くまで乾杯を重ねることになった。


地元のハルビンビールではなく、中国産のバドワイザーであった。


No.1.315 「歓迎会」のお話。

2017年08月06日 | 日記

嬉しいことにこの日、私達の「歓迎会」を早朝のジョギングを楽しむ“黒龍江大学健康協会のメンバーが開催してくれた。会場は黒龍江大学の正面入口の道路を挟んで向かい側にある“餃子”で有名な「東方餃子王」。


1993年に新潟県の国際交流員を勤められた張暁光先生、大学党委の要職にある曲科軍先生など6人の懐かしいメンバーが集まり、再会を喜び合った。最初にアルコール度≪52%の白酒で乾杯し、懇談が始まった。


名物の餃子がテーブルの上に何皿も運ばれてきた。ハルビンの名物料理も登場した。乾杯を重ねながら、昔話に花を咲かせた。海のない黒龍江省であるが、遼寧省大連市から運ばれたという海の魚(イシモチ)も味わうことができた。


結局、私はコップ2杯の白酒で乾杯を重ね、更に地元のハルビンビールで喉を潤し、旧交を温めあった。


アルコール度≪52%の白酒で乾杯を重ねた。






No.1.314 「ハルビンに到着」のお話。

2017年08月05日 | 日記

私の記憶では、滅多に遅れたことがない定期航空便の「新潟・ハルビン線」であるが、この日は珍しく10分遅れで新潟空港に到着した。ほぼ満席の乗客を乗せた飛行機は、新潟空港を約30分遅れで離陸した。


トイレが最後尾にあるいつもの飛行機と違い、機体の中央部にもトイレが付いている≪A321型という、やや大型の飛行機であった。国際線到着出口には、教え子で黒龍江大学国際交流課に勤務している李心雨さんが笑顔で出迎えてくれた。


私は車窓からハルビン市内の建物などを観察することにした。私が黒龍江大学に勤務していた頃は、30階建ての高層ビルが年間に≪約500棟≫ほど建設されていたが、現在はその建設スピードも弱まってきたようだ。


それでも車窓から見る高層ビル群の姿には圧倒される。さすがに人口が1.000万人を超える巨大都市、ハルビンである。


機内で出された昼食。

ハルビン空港で教え子の李心雨さん(左)が笑顔で出迎えてくれた。

車窓から見える30階建ての高層ビル。