父親的生活

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もうすぐ20000ですので

2004-07-29 22:13:52 | 出産・育児
帰り道の車からは月が見えた。
首を傾げたような月が行く先の右上に見える。

月明かりに照らされて、周りの雲もうっすらと見える。
明日台風かも知れないのに。

さて、さて、明日当たり和歌山県にも台風が直撃するかも知れません。
さらに今夜半から明日にかけて、もしくは明日の正午前後私のカウンターも20000カウントを記録しそうです。

と、言うわけで、キリバンの方に吉報です。
もしもキリバンをGETされた方は、画像をハードコピーして頂けると有り難いです。
WINDOWSの方は「Ctrl」と「PrintScreen」キーを同時に押して、ペイント等の画像ソフト上で右クリックし「貼り付け」を選択して下さい。MACは知りません。

で、見事キリバンをGETされた方には、うちの会社の、ありだみかんを送ってしまいます(必要ならね)
ぜひコチラまで連絡下さい。

お知らせでした。


新しいおもちゃ

2004-07-29 21:59:14 | 出産・育児
最近良くおもちゃで遊ぶようになった一成。
一人でもグズグズ言わない時間も増えたので、本当にいい子だ。
妻も随分楽になってきたみたい。

と、言うわけで少し余裕が出てきたので、新しいおもちゃで遊んでみました。
出産祝いに沢山頂いたので、まだまだ隠し財産はありますが、とりあえず新しいおもちゃです。

一成も見慣れないおもちゃに興奮気味。
DSC022412.JPG

そしてうつ伏せのときも目の前におもちゃ。
DSC022472.JPG
何を観察しているのでしょうか??
「そんなに近づいたら目を悪くするよ~」と思わず言いたくなりますね。

サービス、もう一枚!
DSC022482.JPG

黄色いおもちゃもお気に入りみたいです。



母との夏

2004-07-29 09:59:44 | 出産・育児
体中のだるさで目が覚めた。久しぶりの脱力感。
だが一成に起こされる。子どもは元気というが、本当に驚く。
手足のばたつかせ方や声に更に力がついた様だ。

眠い目を擦って出勤。私は夏休み中の通勤は大好きだ。通学途中の高校生が少ないから。
彼らは自転車で並列するから、和歌山の狭い道では少し危険。

そんな中、今日は子どもたちの集団に出会った。
夏のキャンプかな、大きなリュックに水筒、帽子。大きな笑顔。
何年かすれば一成もこういう格好をして元気に家を飛び出して行くのだろう。

夏には私も色々な思い出がある。
キャンプに参加した事もあった。前夜母と用意した懐中電灯。でも、根性なしの私は、肝試しにどうしても行けず、先生と本部で待機していた事もあった。

学習塾の夏季講習会に行った事もあった。毎朝母がお弁当を持たせてくれる。一人だけ部外参加だった私は、いつも一人外でお弁当を食べた。夏休みだからと、おかずはいつも好きな物ばかりだった。鉢巻を締めた周りの子どもたちとの明らかなギャップ。取り残されたような寂しさ。結局成績はすこぶる良かった様で、最後の試験も1番だったが、熱心に入塾を勧められても二度とは行きたくなかった(あの時入塾していれば人生は変っていただろうか・・・)。弁当は嫌がる私の事を考えた母の思いやりだったのかも知れない。

水泳教室に行った事もあった。観覧席で日傘を差した母が見える。嬉しくて嬉しくて、その夏初めて25メートル泳げるようになった。
どんな思い出にも母の影が見える。

母の実家は多分名家の部類に入ると思う。ひいおじいちゃんの代までは爵位もあったと聞く。お嬢さんとして育った母、白黒の古い写真にはバレエを踊る姿や、花を活ける姿が多い。そんな母がいわゆる”商売人”の父と見合いし、私たち3人を産んだ。体が小さかったからか、兄も姉も2000g あるかないかの超未熟児で生まれ、小さいときから入退院を繰り返していたらしい。私は生後すぐからしばらく、親戚の家を転々と預けられていた。

だから母は、母なりに私の教育には熱心だったと思う。「やりたい」と言えばやらせてくれたし、良いと思える事は色々と申し込んでいた。私は怖がりでお調子者、内弁慶で甘えん坊の典型的な末っ子で、一人でどんどん開拓しては進む兄と比較しては、心配をしただろう。仕事を持っていた母は、そんな私に色々と世話を焼いたと思う。

母は子どもの私が見ても”上品”であった。いつも白い日傘を差し、レースの付いた長いスカートをはき、冗談一つ言わず、いつも優しく微笑む母。
遠足の前の夜、子どものお茶を凍らせてあげようと魔法瓶に入れたまま冷凍庫にお茶を入れ、何も知らず湯気の上がるお茶に閉口した私。そんな常識知らずな母。
「アナログ」と言う言葉がどうしても覚えられず、「アナグロ」と言い私たちを笑わせた少しコミカルな母。
身体障害者の方を見つけ「あの人しんたいしょうがいしゃだよ」と言った私を、人前はばからずビンタした厳しい母。

数年前に母方のおばあちゃんが亡くなって、遺品整理に行った時、普段おばあちゃん以外は開けない箪笥に、母の子どもの頃の手紙や浴衣、洋服、そして母が送った贈り物などが丁寧に片付けられていた。
私はその話を聞き、母の優しさの根本を知った。私の実家にも大切に畳まれて、私の浴衣や服が残されている。

母の優しさは姉が上手く受け継いだのだろう。姉は子どもたちに優しい母親になったと思う。小学校6年生になる甥っ子と2年生になる姪っ子が今でも姉にべたべたくっつく姿を見て私は安心する。「ああ、私もそうだった」と。
そして妻にもそんな優しさの雰囲気を感じる。私が妻を見て一目ぼれしたのは、そんな雰囲気を感じ取ったからなのかも知れない。
一成と遊ぶ妻を見るにつけ、一成がそんな妻の優しさに気が付くのは何時だろうと考えたりもする。

らっくっこ☆ぴこりんさんの「もうすこしこのままで・・・」、MARU-LOGさんの「保育園ではなかった長い夏休み」,だるだる日記さん「母になれている?」にトラバです