父親的生活

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アナウンサーとコメンテーター

2009-06-23 15:11:41 | インポート

最近のニュースや情報番組を見ると、コメンテーターと称して専門家や有名人が多く出ている。

この、コメンテーターとアナウンサーの関係は見ていて非常に面白い。

かつてはコメンテーターと言えば、新聞社の編集長や大学教授、研究者などその道のプロばかりだった。アナウンサーも、コメンテーターに意見を求めると言うよりは”詳しく教えてください”というスタンスで聞き役に回る事が殆どだったと思う。

ところが最近は結構アナウンサーがコメンテーターに噛み付く。そういう場面を報道ステーションのアナウンサーも結構見るけれど、最も酷いなぁと思うのは”サキヨミ”のアナウンサー。

自分の意見にあわない(であろう)コメンテーターの意見や、期待している事で無かった時の反応はそっけないし、むしろコメンテーターを正す場面も見られる。失礼極まりないし、見ていて不快。子ども達が将来あんな仕切りを会議でしたら・・・・なんて考えてしまう。

うーん。アナウンサーってそんなに偉かったのか。

思えば、ニュースキャスターの地位は久米さんあたりからイメージが随分変わった。時折見せるキツイ一言が、殺伐としたニュースや、悲しいニュースに打ちひしがれる視聴者の心の支えになったり、ふっと肩を軽くしてくれたりもしていたし、それが受けていたのだと思う。

ところが今の報道ステーションキャスターあたりの登場から、何だか彼らが一番世の中を良く知っていて、庶民の事も、政治の事も何もかも知り尽くしています感が出るようになった。同じくしてコメンテーターもレベルが下がったなぁって思う。

出てくれる人が余りいないのか、人気取りなのか、必ず芸能人も入るし、この間なんて農業ギャルがどこかの番組に出ていてびっくりした。

中にはまじめなコメンテーターを揃える番組もあり、日曜の朝の~~モーニングなんて結構キャスターとコメンテーターの良い関係が伺える。(但し、あの番組は食品の専門化が居ないので、農業系や、食品系のコメントはいただけない事が多いけれど)

もう、いい加減コメンテーターも見直したらどうかと思う。庶民派の意見が聞きたいなら、貧乏くさい芸能人を座らせるのでは無く、公募で一般人を入れれば良いし。

番組の質を上げていかないと、報道そのものがバラエティー化してしまうのでは無いだろうか。最近の例だとセブンイレブンの値引き問題のニュースなんて、ただ淡々と読めば視聴者が理解できないと言うのであれば、もっとちゃんと背景から解説すべきで、事実が少し一方的な視点で報道されている気がしてならない。

廃棄はもったいないと思うし、価格を強制するのは良くないと思う。でも長い会見の都合の良い場面だけ見せて、セブン側が100%悪いというような見せ方をすれば・・・・

公正取引委員会から是正を受けたという時点で、本部が悪いというのは判るが・・・

テレビ局に踊らされるのは非常に危険な事だと思うのだが・・・


来年もやってくれるのだろうか・・・・

2009-06-19 14:31:58 | インポート

今朝の新聞には広島(だったと思う)の生協が農業参入したと言う記事。少し前には鳥取だったかの電力会社も参入を果たしたと言う記事を見た。

最近の自分のエントリを読み直しても結構批判的な文章が多く、自分で読んでいてもなかなか気持ちが前向きにならない。

別に農業参入を否定しているわけでも無いし、農業が注目を浴びる事に全く異論は無い。人間は”食べる事”無しには存在が確立されないわけで、食べる食材の確保はつまり”生きる”そのものなのだと思う。経済の仕組みもその殆どは”食”にルーツがある筈で、食は切り離せない重要なテーマである事は確かだ。

食べ物を人間が得るには捕まえるか、取ってくるか、植えて育てるか、生ませて育てるか・・・つまり”捕獲、採取、栽培、飼育”しかない。現在の技術では全く無のものから食べ物が出来る事があり得ない以上、人間はそれらが出来うる環境で、それらを行わなければ生きていけないことになるはずだ。ミクロで見れば砂漠や南極でどうやって食っていくかと言う事であり、もう少しマクロに見れば、地球と言う事になる。そこで、昨今は環境問題が話題になっていると理解している。地球が砂漠化して植物が育たなくなったら・・・・という具合だ。

動物も、その一部である人間も、勿論、水や光、酸素や窒素等からビタミンやたんぱく質は作れない。”植物”を通して得ているのだから、環境問題というのは本当に大問題で、農業後継者どころではないかもしれない。

そんな中で、色々な人が農を含む”食材”に触れる事で、理解が深まり、環境への問題に気がつけば、今の消費量と廃棄量の問題やデフレに苦しむ生産現場の問題なんて解消されるかも知れない。そういう意味での”農業参入”は大歓迎だ。でも、これってわざわざ企業が農業に参入するしてまでする事なのだろうか・・・・

農業は気の長い営みだと思う。みかんの木なんて20~30年目位が一番仕事をしてくれて良い木だし、畑だって1年放棄すれば戻るのに3年はかかると言われている。そんな農業の世界にスピードを求める現在の企業経営がマッチするのかが不安なのである。経営者の考えがしっかりしていて、且つ耐えうる体力があるならば、数年、いや数十年先を見据えた農業参入はあると思う。怖いのはブームに乗っかって始められた農業だ。

農地法が改正されて、農業法人以外の企業でも農地を借りる事が可能になった。これで益々農地は活用されるだろう・・・・が、活用する企業が単年の損益を問ううちは条件の悪い土地は受け入れられる事は無いだろう。昨今の参入企業の殆どが、近郊のそこそこまとまった行き易く条件の良い農場で企業参入を始めている。”開墾して始めました!!”なんてニュースは未だ見たことがない。

根本が直らない限りは、今叫ばれている限界集落の問題も、農業後継者の問題も解決はなされないと考えている。

では、その根本とは何なのか・・・・・

人は、戦後の農地改革による農地所有の問題が、現在のパッチワーク的土地所有を生み、更に公共工事と底地買い上げの実例が、期待となって農地の無意味所有を助長しているというだろう。又、別の人は農協組織が生産者の手取りを引き下げ、生産者の生活を阻害し、後継者に二の足を踏ませているとも言うだろう。市場を使った流通の仕組み上起こる”積み上げコスト”の問題もあるだろうし、減反政策や所得保障のような保護政策的な姿勢が生産現場の競争力を衰えさえたと言うかも知れない。でも、それぞれには反論もあるだろうし、勿論私は学者でも政治家でも無いから答えなんてわからない。

でも、農業から”ヒト”が離れている理由は”儲からないから”だと私は思う。

残念ながら日本で生活する為に必要なサラリーを農業収入で得るには相当な苦労が必要だと思う。片や消費者、国産の有無は別にして、物の価値は同一品であれば価格という物差しにゆだねられるのは当然の事だ。残念ながら、海外産の安い農産物には勝てないのも現状だと思う。

しかし、価格の比較は”同一物であれば”という前提がある。松阪牛とオージービーフの価格差はこれだ。しかし、霜降りだったら海外でも作れるだろうし、鮮度の関係ない物だったら、むしろ海外品の方がレベルの高いなんて事も考えうる。

では、それらのものの価値を決めているのは何か、もう一つは情報だと思う。以前誰かに聞いた話の受け売りになるが、生活が豊かになるほどに人間は”五感”で食べる様になるのだそうだ。一番飢え乾いていいる状態なら、雨水だって、水溜りの泥水だって飲む。それが、お腹が満たされれば良くなり、満たされれば味を言う。そして見た目、匂い、触感、場の雰囲気・・・そして最後は情報となる。1杯の味噌汁を飲むにして、楽しい、リラックスした席で、出汁の産地、とり方、選び方から料理人の思いまで聴けばその味が絶対に違って感じられるのは相当高等な”食”という行為なのだと思う。

ところが、現在は”生産と消費”の距離がどんどん離れている。まさに今、口にしている食材が育つ姿を見る事が出来たなんていう消費のパターンは本当に数える程も無く、悲しい事に殆どが石油精製品に包装され、元の姿なんておおよそ想像もつかない様な完成品として提供される。”食材”と”消費”を結ぶ最後の砦であった”調理”という食への作業でさえ”簡便化”なんていう言葉に流されて最近は姿を消しつつある。

そもそも、食べ物が無ければ生きてはいけない事、食べ物は無から出来て、当たり前の様に食卓に並んでいるのでは無く、それぞれの食べ物には”食材”が存在し、食材は全て地球で作られている事、(良く考えたら、石油だって、大昔の植物ではなかったでしょうか) 殆どは”生”を断ち切る事によって人間の胃の中に入っている事という基本的な事を忘れてしまっているのでは無いだろうか。

食べ物の大切さと、現在の農業問題がどう結びつくのか、少し時間がかかるかも知れないが、今食べている物のルーツを知る事は食材の大切さを理解する事であり、大切さや流通のしくみ、世界の食糧事情を知れば、価格の意味が理解できる。安い海外産農産物は、札束で日本人が買いあさったか、他国を汚すだけ汚して得たものか、はたまた資本主義の名の下に、極貧を強いて作らせたものか、日本に食材を輸出する国が全て富める国であるかと言えばそうでは無いはずだし、安い理由は存在するはずだ。それら価格(価値)の意味が理解出来た上で、スーパーで、レストランで、コンビニでチョイスされるその選択が、今と何ら変わらないならば、それは”日本で農業を営む意味”に繋がる大きな問題になるかも知れないが、少なくとも変化はあるだろう。子どもに食べさせるおやつだって、随分様変わりするのでは無いだろうか・・・

もっとも、変化を喚起させるべく時々起こる報道や活動も、今は不景気の前に流されてしまってはいるが・・・

結局、生産と消費の距離を狭める必要はあると思う。それこそ近所のどこでも農産物が作られ、畑で遊び、野山を駆け巡り、商店にはありのままの”食材”が並んでいた時代は必要なかったかもしれないが、今はそうでは無い。能動的にそういう場面を”造る”必要がある事は確かだと思う。だから農業法人だと言われるならば、これは大賛成となる。

但し、日本で行われる農業法人では、その殆どが利益は出せないと思う。でも、利益が出ないからと撤退されるのは困るし、そもそも利益を目的にするのだったら農業には参入するべきでは無い。農と業は切り離されて考えられるべきだと思うのだ。そして、消費と生産をつなぐ役割を農業参入だけにスポットライトを当てるのももう一度考え直して欲しい。一見、経済活動に見えない事や運動でも(農だけに関わる活動)、”食”に関わる事、全ては人間の確立に関わる事なのだし、広義では経済活動に通じるものだと思えるから。

生協の農業参入も、他の企業だって、農業は1年では結果が出せないから、来年も続けて農業を行って欲しいと、そして収穫後の評価を再び新聞記事にして欲しいと思う。


農業アイドル?の存在

2009-06-09 11:52:53 | インポート

水着で田植えをする”農業アイドル”なる人がいるようです。その前はギャルママ??なる人達が新潟で田植えをしていましたね。

他にもそこそこ有名な俳優さんや、AV制作会社の元社長さん等も農業参入して話題になっています。

と、言うわけで農業が色々な形で注目されています。

これは、昨今の偽装問題や残留農薬問題等を受け、消費者が食品ではなくその材料となる”食材”に興味を持ち始めた事や、温暖化防止に代表されるエコ活動に結びつく発想からもあるでしょうし、理由は様々あると思います。

農業をビジネスとして考え、次の成長産業に・・・という経済産業省の後押しも大きいと思います。そして、先の参議院選挙で小沢民主党に地方票を根こそぎさらわれた自民党の反抗であるかも知れません。いずれにしてもちょっとしたブームである事は間違いないでしょう。

でも、私は非常に違和感を覚えます。

前に書いた野菜工場もそうなのですがどうも沢山の”補助金”が見え隠れします。

農業を見直そうと言う事で、経済対策もあって農業には沢山の補助金が出ます。それはそれは沢山のメニューがあって、トラクター1台からイノシシ避けネットや苗木まで沢山の補助がついています。

補助が沢山出れば、農家さんも楽に経営できたり近代化が容易になっていいなぁ・・・と言えばそうです。確かにこれらの補助金を使って大きくなったり便利になって生産量が飛躍的に伸びた生産者さんも沢山いらっしゃると思います。

でも、補助金は制約が多く、又使途が不透明なものも見られます。友人の生産者が補助を使ってトラクターを買おうとしたら、国内の特定メーカーしか補助対象になっておらず、自分の思っていた大規模化が出来なかったなんて話も聞きますし、例えば補助率が50%(購入代金の半額補助)だったら、購入先が指定されているので競争見積もりが取れず、結果見積もりが定価でなされ、結局一般で値切って買うのと大差なかったなんて話も聞きます。

昔、うちの会社も別の補助金を使った事がありますが、わずかな補助金でもやっぱり”頂く”ものは監査が厳しく、提出書類だけで余計に面倒だった経験から、今は補助金に頼らず何でも出来るように考えています。

ちょっとずれましたが、産業界で見れば特定業界にだけ補助が沢山出ると言う事は、他業界からの反発が増えるので通常は余りそういう事は無いと思いますが、最近の農業関係の補助の出方はちょっと異常です。メニューが増えると管理が甘くなるのは当然で、見積もりや実施の監査も相当甘くなっていると思われます。

でも、今回反対されないのは何故・・・・

先ず、残留問題などの様々な”事件”で、”民意”として「食品は大切」という意識を持たせたのは大きかった思います。そして自給率問題や世界的な食糧危機、エネルギー問題を煽った事も民意を国内農業やエコに向かせました。結果、経済産業省の補助金が間接的でも農業についたりする事態が容認されています。補助金が出来るとそこには沢山の利権を狙う業者が群がります。業者はあの手この手でアピールしますが、その一つが最初の農業ブームを引き起こしている事は間違いないと思っています。

でも、水着で田植えして元々の問題は解決するのか・・・そもそも田植えは今やほぼ機械です(笑)。手植えなんて、機械の入らない理由のある所以外ではダッシュ村位じゃないでしょうか・・・

農業が注目される事は、この業界にいる私にとっては非常に有難い事であるのは確かです。でも、農業って1年2年では結果が出ません。そういう意味では裏に”引き”のあるブームはちょっと敬遠したいと思うのです。最近乱立した農業法人も、10年続けられる会社がいったいどれだけあるのか。

畑が新規農業の名の下にもてはやされ、プチバブルが起こり、3年くらいでブームが去って捨てられ、結局は前より酷くなったなんてならない様に祈っているのです。

水着の田植えアイドル18歳だそうですが、彼女が60歳まで毎年水着で田植えをしてくれる様期待をして止みません。

そして、本当に農業や環境を思って行われている事と、尻馬に乗って行われている事の”見分け”が出来る能力は必要ですよね。

もっと賢くならなければと・・・・


リスクを背負い込む意味

2009-06-06 18:08:17 | インポート

百貨店の売上げ不振がニュースに良く出る。今日も九州の岩田屋が話題になっていたが、二桁の売上げ減少が続き、経営不振に歯止めがかからない状況が半年以上続いているのではないだろうか。

ニュースでは景気悪化でブランド品が敬遠されている・・・・等と解説されているが、一部当たっていて一部当たっていない。

例えばブランド品、確かに淘汰されて1990年代の様な過熱振りは無いが、今も確実に購入されている。年間1兆円は維持しているとの事。景気が悪くなった結果、購買点数が減ったり、単価が下がった事は考えられるが、とたんにゼロになる訳ではない。

次に衣料品。これは明快で、ユニクロは同じ衣料品業界だが絶好調である。百貨店に無いものをユニクロは持っていると言えるだろう。

ユニクロは安いから・・・・って思うかも知れないが、買い物における物の価値はキャッシュとバリューの相対価値であり、価格そのものでユニクロと高級ブランドを比較するのはナンセンスだ。それに最近の百貨店も結構安いと思う。ユニクロにはユニクロの、ブランド品にはブランド品の良さがあるわけで、それに対して価格が幾らかという部分で消費者は判断している訳だから、ぜんぜん違うTシャツ1枚の価格を比較してユニクロが安いとか、ブランドは高いとか論じるのはちょっと違う。

では一番の違いは何か・・・・・

その前に百貨店を良く考えてみたい。和歌山には近鉄百貨店が1店舗あるだけだから比較は難しいが、例えば梅田で、大丸、高島屋、阪急等を比べたら・・・有名ブランドは全部に入っていると思う。デパ地下だって、お惣菜で有名なRF-1や柿安は殆どにあるのでは?ゴディバのチョコも、風月堂も、どこにでもある。お客様から見ればどこに入っても殆ど同じで、自分の最寄の電車が阪急か、御堂筋線か、JRか位で使い分けているのでは無いだろうか。

基本的に最近の百貨店は”場所貸し商売”である。売上高の何パーセントかのマージンを得て各ブランドを入居させている。売れた方が良いのは当たり前だが、売れなくても在庫リスクは無い。

逆にユニクロ、企画から全て自社で行い、中国の契約工場で製造枚数も決定して作って販売する製造販売方式だ、売れ残れば全部会社のロスとなる。それ故企画には慎重だし、売れ残りを減らす努力も必死だ。今年大ヒットしているブラトップやフリースはヒットの裏には大きなリスクを背負っていたはずだ。なぜなら、ブラトップだって、型紙から考えれば半年以上前に企画されているはずだし、サイズはどのサイズを、色はどの色を何枚作るのか、今決めているのでは無く企画段階で決めている。もし、これが外れて売れなかったら・・・・

だから販売に全てを注ぐし、企画にはより慎重になるはずだ、その努力が市場調査能力を向上させ、ヒットの作り方の上手さに繋がっている。販売リスクの無い場所貸し商売では絶対に生まれないノウハウである。

リスク無しには成長は無いし、成長の無い企業は淘汰されて当たり前。百貨店は今の半分くらいの店舗数になれば、生きていけるかも知れないが・・・・

同じ様な現象が、農業の世界でも実は起こっている。”直売所”である。

数年前はJAが経営する直売所は非常に珍しかったが今はどこにでも出来てしまった。そして、直売所は殆どが売れた分だけ仕入れ代金を支払う”消化仕入れ”方式で、運営しているJAやスーパーにリスクは無い。

直売所の数が少なく、出せば殆ど売れた時代はそれでも維持できたと思う。そもそもは生産者離れが進むJAの苦肉の策だったのだし。当時は確かに珍しかった。しかし、今、数が増え売り切れなくなったらどうなるのか、出荷する生産者がリスクをかぶっている以上歪みは出るだろう。

先ず、品揃えが悪くなる。次に鮮度が落ちる。客数が減る。更に売れ行きが落ちる。出荷する生産者が離れ魅力が無くなる。そして結果的に一番迷惑をこうむるのはお客様だ。せっかく買いに行っても良いものが無いからだ。

このマイナススパイラルは目に見えている。

では、この負の連鎖を断ち切るにはどうするれば良いのか。

先ずはこちらがリスクを背負い込む事だと思う。

そろそろ場貸し商売なんてあこぎな手法にサヨナラして本当の商売をするべきである。出荷される農産物を少しでも多く買い取って販売すれば、生産者のリスクは軽減されるし、店員の販売力もつく。競争激化の時代、他社に無いサービスを目指すなら、今やどこでもやっているサービスに拘る必要は無いのだから。そもそもお客様だって、”消化仕入”の商品を買いに来てくれているのでは無く、”地元の商品、不揃いでも安い商品、鮮度が良い商品”を買いに来ている訳だから、それは買い取って販売すれば良いだけの事だと思う。

買取がどうしても無理なら販売の努力だけはするべきだ。お客様が沢山来店してくれる様に常に清潔で整頓された売り場を維持し、商品が売れる様に工夫するべきだ。

それもどうしても無理だと言うなら、実はさっさと止めるべきなのだと思う。

百貨店が半分になれば、今のやり方でも維持できるのと同じ論法だ。徐々に衰退するマーケットへの軟着陸でもある。

リスクなくして勝利無し。

百貨店だってまだまだ生き残る方策はあるのだと思う。思えば百貨店も黎明期はリスクを背負って買い取っていたはずだし、その頃は小売の王者だったのだから・・・・

買取が常識のスーパーの世界でも、実は少しずつ場貸し商売的な楽な商売が浸透しつつある。そして百貨店がそうであった様に気づかぬ間に真綿で首を締められているのだ。

一番に気がついて抜け出すのは誰か。

そろそろ正しい”商売”に戻る時期なのでは無いだろうか。


情け無いオトナ・・・

2009-06-02 13:02:51 | 出産・育児

出勤時のひとコマ

制限速度でゆっくりと走るおじいさんのバイクにクラクションを鳴らしながら煽り運転をする40歳くらいのサラリーマン。

遅刻しそうで急いでいるのか、何をイライラしているのかは知りませんが。

最近、身勝手なオトナを見ると本当に不快に思います。

スーパーの車椅子マークの駐車スペースに平気で車を止める健常者、窓からタバコをポイ捨てする人、

ああ、身勝手だなぁ と思うほどに、あんな人間にはならないようにと心に誓う。

この間えらいセンセイが言っていたけれど、政治や社会が悪いってみんな言うけれど、国民のクオリティが高いのに政治や社会のクオリティが低いなんて国は世界中どこにも無く、結局は国民一人ひとりのクオリティが低くなってきているのかなと。

店員の本当に小さな不意なミスを、これでもかと叱り倒す客

客のことを全く考えない店員

何か我々に問題があるのでは無いだろうか・・・みんながみんな自分勝手な、なんだか悲しい一面が垣間見えた時、本当に残念な気持ちになります。

今朝、そう思いました。