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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『自由の入口で』

2021-12-28 06:38:57 | 美術ノート

   『自由の入口で』

 自由の入口ということは自由でない領域いうことだろうか。
 床・天井・壁、ドア(出入り口)がない行き止まりの空間である。

 しかし、左半分のパネルを見ると、突き抜ける青空、森の茂みがある。けれど、それらは張り板や裸体の下にあり、板(マグリットのとっては死を暗示するもの)や裸体(生)が自然の上に鎮座している。
 さらに、右半分のパネルにはビル(集合住宅)の窓が床から突き出しているし(埋まっている)、切り紙細工(喜怒哀楽を切り取った魂の連鎖)がある。この閉塞の上に馬の鈴(伝説、うわさetc)と情念のような燃え上がる面がある。

 これらはランダムに設置された人間の条件ではないか。

 これらの手前には大砲(全てをぶち壊すもの)が設置されている。この大砲の発射が人間を拘束する律を破壊する威力を持つ・・・否、戦力による人間の条件の破壊は虚しい。

『自由の入口で』
 人間の条件の向こうには自由の解放があるかもしれない。大砲で打ち抜けば自由が見えるか? 武力をもってする破壊の向こうには自由は無い。
《戦争の破壊力》によって得る幸福(自由)は幻想である。自由は人間の条件たる律によって守られており、この危うい関係こそが『自由の入口』である。

 写真は『マグリット』展・図録より


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