
『レディメイドの花束』
花束はどこにある?男の背中にはボッティチェルリの人物(女神)その通りに描かれている。確かにすでに描かれた周知の有名な絵である。多くの人が知っている、少なくとも見たことのある女性を背後に描く。知っているか否かというより任意、仮に一つ選ぶならばという設定であるが、この意味は何だろう。女神、女性という鍵は要かもしれない。
つまり、世間一般、既成の事実を背後に置いているということであり、花束(複数)すなわち、現社会(世間)である。男は当然、この現社会、現代の中で暮らしている、しかし、背を向け、仕切りのある向こうを見ている。向こうに何があるかは定かでなく、単に木々の林があるばかり。林は向こうを明確にしないためのバリアかもしれない。
自分は世間(現実社会)に背を向けて、見えない向こうばかりを凝視している。見えない向こうとは《大いなる疑問》であり、(なぜ、母は二度と会えない向こう/異世界へ行ったのだろう)凝視し尽くしても見えない世界への深い憧憬。 このボッティチェルリの絵のような美しく明るい世界に背を向け生きている自分、この精神の落差を埋められない・・・。
世間(現実社会)は、ボッティチェルリの絵《架空》のようだという認識。現実と空想(架空)の混濁、しかし、時空の(仕切り)は飛び越えられない。
『レディメイドの花束』、既成の事実の中でひたすら不可思議な空想を追っている自分がいる。
写真は『マグリット』展・図録より
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