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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞デュシャン『ボトルラック』②

2019-06-25 06:54:37 | 美術ノート

 見えないものを描く、浮上させる。それは、どんな技法を持っても表現という見える形にすることは出来ない。

《見えないものを見せる》

 デュシャンの思考回路の鋭敏さにひたすら心服するが、
《見えないものを見せる・・・が、見ようとしなければ永遠に見えない》という問題を鑑賞者に突きつけている。
「どうだ!」と、デュシャンは言って静かに挑戦状の答えを待っている。

『ボトルラック』、鑑賞にも耐える大きさ、祈りの形にも似て宗教的な感性をも呼び覚ます力学的にも安定した美しい形状である。
 しかし、不満足なものであり、場所塞ぎであると判るまでにそんなに時間を要さない必然性に欠けた物である。
 おそらく瞬間的には分からず、使用の過程で目的を欠く物だと実感するに違いない。
 この時間を経て実感するであろう物の正体こそが、デュシャンの黙して示す《見えないもの》である。

《見えないものは見えない》、しかし、問題はここにある。
 デュシャンの提示する挑戦状に鑑賞者は応えなければならない。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschenより)


『セロ弾きのゴーシュ』46.

2019-06-25 06:38:43 | 宮沢賢治

 ゴーシュはセロを取り上げてポロンポロンと糸を合わせてドレミファソラシドとひきました。するとくゎくこうはあわてて羽をばたばたしました。
「ちがひます、ちがひます。そんなんでないんです。」
「うるさいなあ。ではおまへやってごらん。」
「かうですよ。」くゎくこうはからだをまへに曲げてしばらく構へてから
「かくこう」と一つなきました。
「何だい。それがドレミファかい。おまへたちには、それではドレミファも第六交響楽も同じなんだな。」
「それはちがひます。」
「どうちがふんだ。」
「むづかしいのはこれをたくさん続けたのがあるんです。」
「つまりかうだろう。」セロ弾きはまたセロをとって、かっこうかっこうかっこうかっこうとつゞけてひきました。


☆主(中心となる)照(あまねく光が当たる=平等)は、詞(言葉)で合わせる。
 迂(遠回り)の極みの講(話)が、逸(隠れている)。
 代(他のものに換えて)録(書き記す)講(話)は、教(神仏の教え)である。
 絡(すじみち)の道(神仏の教え)を属(たのんだ)談(話)である。


『城』3210。

2019-06-25 06:27:55 | カフカ覚書

〈いつまでもちこたえられるだろうか〉と、おどおどしてしまいます。しかし、もちこたえることができないことは、よくわかっています。ここのところをよく想像してください。


☆いつまで抵抗できるだろうか、と、人は問う。それはたぶん、小舟の抵抗(逆襲)になることを、その境遇を正しく話して聞かせるべきだと思います。