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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

待合室にて。

2013-03-22 06:46:34 | 日常
 自然と共に生きるということ・・・少し前まで当たり前だった生活が今では希少になっている。憧憬や懐古の気持ちはあっても利便性が優先されて自然とは縁が薄くなるばかり・・・。(大体もう、こちらの身体が追いつかないほどの衰退)

 ところが、昨日クリニックで隣り合わせた老人(こちらも老女)に、
「今日は混んでいると聞いたので、先に買い物を済ませてしまいました。ネギが臭いでしょう、すみません」と恐縮したら、
「いえ、わたしはネギを作っているんです」「・・・」
(えっ、このあたりで作物を作っている方がいるなんて)お住まいを伺うと「衣笠城址です」と言う。
「あの辺りも家が増えましたねぇ」
「ほんとうに」
「以前聞いた話では、〈この木からあっちの木までがうちの土地で〉なんて大雑把だったけど今ではきっかり境界が・・」
「そうなんですよ。」
「山持ちの友人が『山があるばっかりに木を伐って薪にして・・・子供頃は大変だったわ』って言ってましたけど、今は楽ですよねぇ」と言ったら、
「家では今でも風呂は薪です。何しろ山の天辺ですから」
「山って言っても三浦半島の山じゃ、下りるに簡単ですよね」
「そうです」
「でも、大善寺さんのあの坂は大変ですね、『年をとってお墓参りが出来なくなりました』って言う方がいました」
「その大善寺さんの上なんですよ」と、ご老人。

 いろいろ話していると、ご老人が神々しく見えるほどの自然共生、その暮らしぶりが羨ましくなってしまった。
「雪の日は大変ですよね、サークル仲間もその日はお休みします」と言ったら、
「そんな日は、ゆっくりしています。でもそんな日がないと困るんです。土の中の虫が死滅するので助かります」

 衣笠城址といえば桜の名所。
「桜がきれいでしょう」
「もう山桜は満開です」
「あの辺りへ来たら、うちへ寄って下さい」と温かい言葉まで頂戴し、診察の待ち時間が二時間越えだったことも苦にならなかった。
 ちなみに、わたしは膝が痛くて久しぶりの受診。(死ぬ時期が分かっていれば放置するのだけれど、死期は未定・・・メンテナンスを心掛けている)

『城』1220。

2013-03-22 06:21:19 | カフカ覚書
これは、考えていたよりむずかしいことのようですね。けれども、わたしには、彼と一私人として話をしなければならない義務があるんでして、わたしの考えじゃ、この方がはるかにやさしいことだとおもわれます。

 はるかに/viel→fiel(fallen)/死ぬ。
 やさしい/leichter→recht/真の、好都合の。

☆先祖との内密な会話の責務があるようですね。そしてこの方が死の真実だと思われるのです。