晴れ。最低気温20.5度。最高気温28.2度。窓から射し込む陽射しが何とも心地よい。秋の香りを感じさせてくれる主日(日曜日)の午後。
先週NHKで瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんのお顔を久しぶりに拝見した。今年(2005年)で齢(よわい)83を数えるというのが信じられないほどお元気そうである。
私の母教会では洗礼を受ける前に、決心者講座を必ず受講しなければならない。毎回教会役員とともに、キリスト教全般についてのお話しや、信仰者としての心構えなどのお話しを牧師先生から直接伺うのだ。また、自分が疑問に思ったことは質問すれば、親切丁寧に答えてくださる。そして受講後、教会の役員会で入信記を発表し、公(おおやけ)の試問を受けた上で、最終的に受洗の可否が決定される。
四年前の夏、私も決心者講座を受けるために毎日のように教会へ通った。受洗を前にして、キリスト教はもちろんのこと仏教に関する本もまとめて読んだ。仏教とキリスト教の違いをよく理解したかったからだ。洗礼を受けたあとも、仏教関係の本は好きで時々読んでいる。キリスト教も仏教も長い年月、多くの人々から篤い信仰を得てきたという点では共通しているし、共感できる部分も少なくない。
「一人を慎(つつし)みなさい」
作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんがおっしゃっていた言葉である。1956年、34歳の時に文壇にデビューを果たし、1973年、51歳の時に岩手県平泉市にある中尊寺で得度(とくど)した。その際に中尊寺貫首(かんじゅ)の今東光(こんとうこう)氏から「瀬戸内さん、これからは一人を慎みなさいね」と言われたそうである。「一人を慎(つつし)みなさい」とは、一人でいる時ほど、過ちがないように自分の行いに気をつけなさいということである。
人間、他の人たちと一緒にいる時は自然とわきまえて行動する。しかし、他人の目が届かない所では自分勝手な行いや、過ちを犯してしまいがちだ。そんな時、誰も見ていないから構わないと思ってはいけない。一人でいると思っている時でも、仏様は常にあなたの行いを全てご覧になっているのですよという戒(いまし)めである。キリスト教に置き換えれば、いつもイエス様がご覧になっている。一緒にいてくださると言えば良いだろうか。
私が日本で会社勤めをしていた時のことだ。
今では会社の規模も大きくなったので無くなったが、私が入社してから何年かは春先の週末を利用して、社員間の親睦を兼ねた一泊二日の社員旅行が毎年催されていた。社員旅行では必ず部署対抗のスポーツ大会なども行われた。以前も書いたが運痴(ウンチ)な私は小学生の頃から運動会とか体育大会などは大の苦手だった。それは社会人になっても変わりが無かった。ある年の社員旅行の前日、例によって残業で疲れ切った体を電車のつり革に委ねていた私はふと、「そうだ、明日韓国に行こう!」と社員旅行をサボってソウルに行くことを思い立った。飛行機のチケットはもちろんホテルの予約などもしていない。明日の早朝成田まで行ってソウル行きの便に空席があれば、それに乗ればいいと考えた。現金の持ち合わせも無いが、クレジットカードがあれば大丈夫だろう。ホテルはソウルに着いてから考えれば良い。
午前九時ちょうど発のソウル行きに間に合うように、翌朝まだ明け遣らぬうちに自宅を出てリムジンバスで成田へと向かった。その当時は“韓流”の“か”の字も無い頃だったので幸い空席もあった。ノーマル料金でチケットを買い出国手続きを終えると、朝八時過ぎに会社へ電話を入れた。「ゴホン、ゴホン、風邪で行けません」私は大嘘つきである。もちろん、空港の搭乗アナウンスが聞こえそうに無い場所にある公衆電話を使ったことは言うまでも無い。そして、ソウル行きの飛行機に乗り込んだまでは良かった。
チケットに記載してある座席に腰を下ろし、機内誌などをペラペラめくっていると「カルビ氏~どうしたんですかぁ」と、韓国語で私を呼ぶ声がするではないか!慌てて機内誌から目を上げ隣の席を見ると、何とそこには、昨日まで私と一緒に会社で仕事をしていた本社からの出張者の姿があった・・・。私はしばし言葉を失い、出張者の顔をまじまじと見つめてしまった。
彼はコンピューターのプログラムを作成するために、ソウルにある本社から日本に出張に来ていたのだ。今日ソウルへ一時帰国するという話しは私も聞いていたが、まさか同じ飛行機になるとは。しかも彼が持っているチケットに記された座席番号はまさに私の隣の席である!こんな偶然て・・・。
「カルビさん、今日は社員旅行じゃないんですか?」と尋ねる彼に、私は正直に全てを話した。すると、「てっきり製品が納期遅れを起こして、カルビさんがハンドキャリーでもするのかと思いましたよ~」と思いっきり笑われた。ハンドキャリー(Hand carry)とは、納期遅れを起こした製品を韓国まで取りに行き、空港で製品を受け取りその足で日本まで手荷物として運んで来ることである。言わば人力国際宅配便だ。私は彼に「上司や他の人には内緒にしておいて下さい」と懇願すると、彼は笑顔で応じてくれた。
今、思い出しても冷や汗が出てくる。私が教会に通うようになる何年も前の出来事であるが、私はこの時いわゆる“神様”というものの存在を信じた。
そんな、他人にめちゃくちゃ厳しく自分にはとって甘~い私にとって「一人を慎みなさい」という言葉は実に耳が痛かった。今ソウルで一人暮らしをしているので、余計身に染みる。早いもので私の信仰生活も来月(9月)の9日で四年目を迎える。そして16日にはソウル暮らしも四年目に突入だ。
先週NHKで瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんのお顔を久しぶりに拝見した。今年(2005年)で齢(よわい)83を数えるというのが信じられないほどお元気そうである。
私の母教会では洗礼を受ける前に、決心者講座を必ず受講しなければならない。毎回教会役員とともに、キリスト教全般についてのお話しや、信仰者としての心構えなどのお話しを牧師先生から直接伺うのだ。また、自分が疑問に思ったことは質問すれば、親切丁寧に答えてくださる。そして受講後、教会の役員会で入信記を発表し、公(おおやけ)の試問を受けた上で、最終的に受洗の可否が決定される。
四年前の夏、私も決心者講座を受けるために毎日のように教会へ通った。受洗を前にして、キリスト教はもちろんのこと仏教に関する本もまとめて読んだ。仏教とキリスト教の違いをよく理解したかったからだ。洗礼を受けたあとも、仏教関係の本は好きで時々読んでいる。キリスト教も仏教も長い年月、多くの人々から篤い信仰を得てきたという点では共通しているし、共感できる部分も少なくない。
「一人を慎(つつし)みなさい」
作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんがおっしゃっていた言葉である。1956年、34歳の時に文壇にデビューを果たし、1973年、51歳の時に岩手県平泉市にある中尊寺で得度(とくど)した。その際に中尊寺貫首(かんじゅ)の今東光(こんとうこう)氏から「瀬戸内さん、これからは一人を慎みなさいね」と言われたそうである。「一人を慎(つつし)みなさい」とは、一人でいる時ほど、過ちがないように自分の行いに気をつけなさいということである。
人間、他の人たちと一緒にいる時は自然とわきまえて行動する。しかし、他人の目が届かない所では自分勝手な行いや、過ちを犯してしまいがちだ。そんな時、誰も見ていないから構わないと思ってはいけない。一人でいると思っている時でも、仏様は常にあなたの行いを全てご覧になっているのですよという戒(いまし)めである。キリスト教に置き換えれば、いつもイエス様がご覧になっている。一緒にいてくださると言えば良いだろうか。
私が日本で会社勤めをしていた時のことだ。
今では会社の規模も大きくなったので無くなったが、私が入社してから何年かは春先の週末を利用して、社員間の親睦を兼ねた一泊二日の社員旅行が毎年催されていた。社員旅行では必ず部署対抗のスポーツ大会なども行われた。以前も書いたが運痴(ウンチ)な私は小学生の頃から運動会とか体育大会などは大の苦手だった。それは社会人になっても変わりが無かった。ある年の社員旅行の前日、例によって残業で疲れ切った体を電車のつり革に委ねていた私はふと、「そうだ、明日韓国に行こう!」と社員旅行をサボってソウルに行くことを思い立った。飛行機のチケットはもちろんホテルの予約などもしていない。明日の早朝成田まで行ってソウル行きの便に空席があれば、それに乗ればいいと考えた。現金の持ち合わせも無いが、クレジットカードがあれば大丈夫だろう。ホテルはソウルに着いてから考えれば良い。
午前九時ちょうど発のソウル行きに間に合うように、翌朝まだ明け遣らぬうちに自宅を出てリムジンバスで成田へと向かった。その当時は“韓流”の“か”の字も無い頃だったので幸い空席もあった。ノーマル料金でチケットを買い出国手続きを終えると、朝八時過ぎに会社へ電話を入れた。「ゴホン、ゴホン、風邪で行けません」私は大嘘つきである。もちろん、空港の搭乗アナウンスが聞こえそうに無い場所にある公衆電話を使ったことは言うまでも無い。そして、ソウル行きの飛行機に乗り込んだまでは良かった。
チケットに記載してある座席に腰を下ろし、機内誌などをペラペラめくっていると「カルビ氏~どうしたんですかぁ」と、韓国語で私を呼ぶ声がするではないか!慌てて機内誌から目を上げ隣の席を見ると、何とそこには、昨日まで私と一緒に会社で仕事をしていた本社からの出張者の姿があった・・・。私はしばし言葉を失い、出張者の顔をまじまじと見つめてしまった。
彼はコンピューターのプログラムを作成するために、ソウルにある本社から日本に出張に来ていたのだ。今日ソウルへ一時帰国するという話しは私も聞いていたが、まさか同じ飛行機になるとは。しかも彼が持っているチケットに記された座席番号はまさに私の隣の席である!こんな偶然て・・・。
「カルビさん、今日は社員旅行じゃないんですか?」と尋ねる彼に、私は正直に全てを話した。すると、「てっきり製品が納期遅れを起こして、カルビさんがハンドキャリーでもするのかと思いましたよ~」と思いっきり笑われた。ハンドキャリー(Hand carry)とは、納期遅れを起こした製品を韓国まで取りに行き、空港で製品を受け取りその足で日本まで手荷物として運んで来ることである。言わば人力国際宅配便だ。私は彼に「上司や他の人には内緒にしておいて下さい」と懇願すると、彼は笑顔で応じてくれた。
今、思い出しても冷や汗が出てくる。私が教会に通うようになる何年も前の出来事であるが、私はこの時いわゆる“神様”というものの存在を信じた。
そんな、他人にめちゃくちゃ厳しく自分にはとって甘~い私にとって「一人を慎みなさい」という言葉は実に耳が痛かった。今ソウルで一人暮らしをしているので、余計身に染みる。早いもので私の信仰生活も来月(9月)の9日で四年目を迎える。そして16日にはソウル暮らしも四年目に突入だ。
今日は体調はいかがですか?季節の変わり目、ご自愛くださいね
さて、「一人を慎みなさい」
どんな意味だろうと最初は思いましたが、読んでなるほど~。
わたしも瀬戸内さんのファンで著書は何冊か読ませていただいてるんですが、それでよけいに心にしみましたね。
風水かなにかでも、近い意味のことを聞いたことがあって、恋愛寄りなのですが・・・
彼と会っていない時も、彼と会ってる時と同じように日常生活に緊張感をもつといい、というようなことをいわれてて。そうすると、彼との関係がよく保てるというような内容だったと思うんですが。
目標とするところは近いですよね~
やっぱり魂を深くするには、一人の時間を大切に過ごしなさい、ということなんですかね~
だらだら過ごしている自分に、今週末は渇を入れようかな。
瀬戸内寂聴さんから伺った「一人を慎(つつし)みなさい」という言葉には本当に身につまされました。
>彼と会っていない時も、彼と会ってる時と同じように日常生活に緊張感をもつといい
これってとっても大事だと思います。緊張感があるのと無いのとではおのずと生活態度が変わってきますよね。緊張感を維持し続けるのって並大抵のことではありませんが、こぐまさんなら大丈夫!自分に緊張感を与えてくれる相手(ひと)がいるというだけでもとっても幸せだと思いませんか?
私たちは人間だから当然、不安になったり、悲しくなったりする時もあるけれど、遠く離れているからこそ相手のことをより深く思いやることが出来るのでは?これこそ遠恋の醍醐味だと思います。それに、遠恋は誰もが体験できることではありませんからね!
今月(九月)も素敵な一ヶ月になりますように!
今東光さんに関しましては、私も中学生くらいのときに、よく、マスコミでお見受けしましたが、当時は「極道和尚」などという冠を売りにした偉そうにしているやつ!という印象があり、あまり、好きではありませんでした。
没後、改めて、色々な話を聞き、我が浅慮を深く恥じました。
ということで、まだまだ、知らない話もたくさん、有ろうかと思います。
こちらこそ、今後とも、宜しくお願い致します。
改めてTBとコメント感謝致します!
ブログを通じ、色々な方のお話しを伺えるので大変勉強になります。
またお時間のある時に、私のブログへ遊びにいらして下さい。お待ちしております。