晴れ。最低気温3度。最高気温10度。シャツにジャケットだけで過ごせる暖かさ
今朝の福岡県沖で起きた地震、ソウルでも感じた。
震度1~2といったところ。礼拝が始まるのを待っている時のことだ。礼拝堂の二階席にいて「揺れてるなぁ・・・」とは思ったが、まさか地震だとは思いもしなかった。気付いた人もきっと少なかっただろう。韓国は日本の隣にありながら、地震と縁がない国だ。従って建物は耐震設計されておらず、もっと大きな地震が来たら甚大な被害が出たことだろう。考えたでけで恐ろしい。実際、釜山(プサン)など震源に近い南部地域では、棚から物が落ちてきたり、エレベータが止まって中に人が閉じ込められるなど、かなりの揺れを感じたようだ。
1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きてから、早くも十年の歳月が過ぎた。
当時は私も地下鉄日比谷(ひびや)線を利用して通勤していたので、もし十五分遅く家を出ていたら事件に巻き込まれていただろう。とても他人事(ひとごと)とは思えない。十年経った今でも後遺症に苦しむ多くの被害者がいるという事実。そして一瞬にして“大切な人”を奪われた方々の悲しみや憤(いきどお)りはいくら歳月が過ぎ去っても決して消えることはないだろう。事件から十年という“節目”を迎えたことで、この悲惨な事件が一般の人々の記憶から遠ざからんことを切に願う。
私の母教会ではインターネットを通じた動画と音声による礼拝の配信を行っている。世界中どこへ行ってもネットが使える環境であれば礼拝に与れるというのは何よりも大きな恵みだ。
先週の金曜日(18日)に母教会からメールが届いた。
今日(20日)発行の教会の「週報」に載せる原稿の依頼だった。日本国内でも「竹島問題」をめぐる韓国側の動きに関心が高まっているので、「現地の状況」を『ソウルだより』として書いてくれないかとの由。教会員の中には韓国の方もいらっしゃるので「竹島問題」を取り上げるのは正直なところ憚(はばか)られた。しばらく悩んだ挙句、神様に祈ってみた。すると「三月十五日に書いた「分かち合う大切さ」を書き改めて原稿にしなさい」という「答え」を戴いた。
「分かち合う大切さ」には書家・詩人としても有名な相田みつを氏の「作品」が引用されている。氏は十八歳の時、地元栃木県足利(あしかが)市にある曹洞宗「高福寺」の武井哲應(たけいてつおう)和尚に師事し、在家で仏法を学んだ仏教徒である。キリスト教会の「週報」に相田みつを氏の作品をそのまま引用するのもどうかとは思ったが、神様が「書きなさい」とおっしゃって下さったのだから、そのまま素直に書くことにした。字数制限により一部手直ししたものの、ほぼ元原稿を生かした。
原稿は依頼のあった(18日)夜には教会に送ることが出来た。但し、著作権の問題もあるので「相田みつを美術館」に引用許諾申請を行っておいた。翌19日には美術館側から「引用許諾」を戴いたので、あとは無事に掲載されるか否かである。教会に「作品引用許可」を戴いた旨連絡を入れると、問題なく掲載されるとのこと。思わず神様、牧師先生そして美術館の方々に心より感謝した。
おかげで拙文とともに相田みつを氏の書が今日発行の「週報」である『泉のほとり』に掲載された(作品引用の許諾は得たものの、「書」の掲載については未だ許諾を受けていないので、事後申告になってしまうが22日に改めて「書」の掲載について美術館の許諾を求めねば)。
追記(3/24):「書」の掲載の許可も昨日(3/23)「作品使用申請書」を相田みつを美術館に提出し、正式に許可を戴いた。美術館の方々の暖かい配慮に心より感謝!
それにしてもキリスト教会の「週報」に相田みつを氏の「作品」が掲載されるというのは珍しいのではないか?しかし、氏の「作品」は「宗教」の壁を越え、人の心に直接語りかけてくるような、力強いメッセージ性を帯びている。それこそが、多くの人を惹きつけてやまない相田みつを作品の魅力の一つといえるだろう。
写真は私が韓国・ソウルで通っている「オンヌリ教会」の本堂(手前)と宣教館(右奥)の建物(今朝撮影した)。
ソウル市の西氷庫洞(ソビンゴドン)という外国人が多く住む地帯にあるので、様々な外国語による礼拝も行われている(英語・日本語・中国語・ミャンマー語・パキスタン語・モンゴル語・インド(ヒンディー)語・ネパール語・インドネシア語・ロシア語・イラン語)。ちなみに「オンヌリ」とは「全世界」という意味の純粋な韓国語。
今朝の福岡県沖で起きた地震、ソウルでも感じた。
震度1~2といったところ。礼拝が始まるのを待っている時のことだ。礼拝堂の二階席にいて「揺れてるなぁ・・・」とは思ったが、まさか地震だとは思いもしなかった。気付いた人もきっと少なかっただろう。韓国は日本の隣にありながら、地震と縁がない国だ。従って建物は耐震設計されておらず、もっと大きな地震が来たら甚大な被害が出たことだろう。考えたでけで恐ろしい。実際、釜山(プサン)など震源に近い南部地域では、棚から物が落ちてきたり、エレベータが止まって中に人が閉じ込められるなど、かなりの揺れを感じたようだ。
1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きてから、早くも十年の歳月が過ぎた。
当時は私も地下鉄日比谷(ひびや)線を利用して通勤していたので、もし十五分遅く家を出ていたら事件に巻き込まれていただろう。とても他人事(ひとごと)とは思えない。十年経った今でも後遺症に苦しむ多くの被害者がいるという事実。そして一瞬にして“大切な人”を奪われた方々の悲しみや憤(いきどお)りはいくら歳月が過ぎ去っても決して消えることはないだろう。事件から十年という“節目”を迎えたことで、この悲惨な事件が一般の人々の記憶から遠ざからんことを切に願う。
私の母教会ではインターネットを通じた動画と音声による礼拝の配信を行っている。世界中どこへ行ってもネットが使える環境であれば礼拝に与れるというのは何よりも大きな恵みだ。
先週の金曜日(18日)に母教会からメールが届いた。
今日(20日)発行の教会の「週報」に載せる原稿の依頼だった。日本国内でも「竹島問題」をめぐる韓国側の動きに関心が高まっているので、「現地の状況」を『ソウルだより』として書いてくれないかとの由。教会員の中には韓国の方もいらっしゃるので「竹島問題」を取り上げるのは正直なところ憚(はばか)られた。しばらく悩んだ挙句、神様に祈ってみた。すると「三月十五日に書いた「分かち合う大切さ」を書き改めて原稿にしなさい」という「答え」を戴いた。
「分かち合う大切さ」には書家・詩人としても有名な相田みつを氏の「作品」が引用されている。氏は十八歳の時、地元栃木県足利(あしかが)市にある曹洞宗「高福寺」の武井哲應(たけいてつおう)和尚に師事し、在家で仏法を学んだ仏教徒である。キリスト教会の「週報」に相田みつを氏の作品をそのまま引用するのもどうかとは思ったが、神様が「書きなさい」とおっしゃって下さったのだから、そのまま素直に書くことにした。字数制限により一部手直ししたものの、ほぼ元原稿を生かした。
原稿は依頼のあった(18日)夜には教会に送ることが出来た。但し、著作権の問題もあるので「相田みつを美術館」に引用許諾申請を行っておいた。翌19日には美術館側から「引用許諾」を戴いたので、あとは無事に掲載されるか否かである。教会に「作品引用許可」を戴いた旨連絡を入れると、問題なく掲載されるとのこと。思わず神様、牧師先生そして美術館の方々に心より感謝した。
おかげで拙文とともに相田みつを氏の書が今日発行の「週報」である『泉のほとり』に掲載された(作品引用の許諾は得たものの、「書」の掲載については未だ許諾を受けていないので、事後申告になってしまうが22日に改めて「書」の掲載について美術館の許諾を求めねば)。
追記(3/24):「書」の掲載の許可も昨日(3/23)「作品使用申請書」を相田みつを美術館に提出し、正式に許可を戴いた。美術館の方々の暖かい配慮に心より感謝!
それにしてもキリスト教会の「週報」に相田みつを氏の「作品」が掲載されるというのは珍しいのではないか?しかし、氏の「作品」は「宗教」の壁を越え、人の心に直接語りかけてくるような、力強いメッセージ性を帯びている。それこそが、多くの人を惹きつけてやまない相田みつを作品の魅力の一つといえるだろう。
写真は私が韓国・ソウルで通っている「オンヌリ教会」の本堂(手前)と宣教館(右奥)の建物(今朝撮影した)。
ソウル市の西氷庫洞(ソビンゴドン)という外国人が多く住む地帯にあるので、様々な外国語による礼拝も行われている(英語・日本語・中国語・ミャンマー語・パキスタン語・モンゴル語・インド(ヒンディー)語・ネパール語・インドネシア語・ロシア語・イラン語)。ちなみに「オンヌリ」とは「全世界」という意味の純粋な韓国語。