特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

イエス様との出逢い

2005-01-14 20:35:58 | 祈り
 2001年9月9日に私が「キリスト品川教会」で洗礼を受けるにあたって書いた「入信記」を何回かに分けて、皆さんに公開しようと思います。今日は3回目です(この入信記は2001年9月3日に書いたものです)。

************入信記(3)************ 

私がイエス様と出逢って、聖書を読むようになり、一番心に染み渡った聖句は「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(コリント人への手紙第一10章13節)でした。

 私は5年前から「抑うつ病」を患い、現在も治療を続けています。その間、2度会社を休職し、自宅療養をしてきました。。うつ病は「心の風邪」と呼ばれているように、その人の外見からは健康な人と全く区別がつきません。ですから、「怠けているだけだ」とか、「気持ちの持ちようだ」などと言われ、とても辛い経験を幾度となくしました。一番身近な家族にもなかなか病気であるということを理解してもらえません。ましてや会社の同僚や上司の理解を得るのは本当に困難でした。

そんな中に身を置くとどうしても自分自身を責めたててしまいます。(他の人達は何事も無く仕事をこなしているのに、何故自分だけ当たり前の事ができないのだろうか)と。そして自分自身の存在価値を見失い、(このまま死んでしまいたい!)とイエス様に出逢うまでは何度思ったか知れません。

 しかし、求道生活に入り主イエス・キリストに生涯従って生きていこうという意思が固まった今は違います。神様は私が耐えられると思われたからこそ「抑うつ病」を私に与えて下さっているのだと思えるようになりました。神様からの「プレゼント」なのだから、何も悩む必要も無く、感謝すべきだと。またイエス様はおっしゃっています。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6章33節)。

 「うつ病」は普通の「ケガ」と違って、治ったと思ってもいつ再発するかわかりません。そんな時、「思い煩うな」という聖句は私にとって何よりも大きな慰めになりました。また、自分自身の存在価値を見失っていた頃は、何故自分は生きているのだろうと思い悩みました。でも、それは大きな考え違いであったということに今になって、やっと気付くことができたのです。自分は「生きている」のではなく「生かされている」ということに。

 イエス様によって生かされていると知った時、今までの自己中心的な考え方に深い罪の念を抱かざるを得ませんでした。その罪を負って私の代わりに十字架にかかり、死んで全ての罪を赦して下さったイエス様がいらっしゃるからこそ、今ここに生かされている自分が存在しているのです。しかも私には神様のみ業を見る目と、み言葉を聞く耳と、神の福音を述べ伝える口が与えられているではありませんか。それは至極当然なことかも知れませんが、私にとっては大きな発見であり、喜びでもありました。そして今年の4月からの休職中は常に神様に祈り、感謝しつつ今日まで過ごすことが出来たのです。

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