わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

あたしはビートルず

2010-11-22 20:45:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

aiko「カブトムシ」

本日は、永遠の「あたし」、aiko氏のお誕生日ということでアップしました。


この曲は、世紀末1999年秋から冬にかけリリースしたナンバー。

彼女にとっては4枚目のシングルで前作「花火」に続き、2作目のオリコンチャートTOP10入りとなり、人気音楽アーティストのひとりとなり、この曲が収録されているメジャーデビューアルバム「桜の木の下」はオリコンアルバムチャート1位を獲得し、100万枚以上の売り上げで2000年度オリコンアルバムチャート10位と大ヒットとなる。。。

以後はシングル、アルバムは常にTOP10入りを果たし、多くのファンをつかみ今にいたる。。。

そんなケイト・ウィンスレットと同じ潜在能力の彼女でありますが、

1975年11月22日、大阪府吹田市で誕生。

小学生高学年の頃から家庭の事情で親戚の家で暮らすようになるが、両親は離婚していない。この時から歌手を目指すようになる。

中学生の頃、父の友人である円‘とんで’広志は、

歌手になりたいaikoを「苦労するから辞めておけ」と反対していた。

高校生の頃からはピアノを使用し、作曲を始める。また、高校卒業までは友人と共にバンド活動を行っていた。

1995年、19歳の時に出場したコンテストで、初めて自分で作詞・作曲した曲「アイツを振り向かせる方法」を披露し、グランプリを獲得した。その際のタイトルは「アイツをふりむかせる方法」であった。なお、この曲は2000年に発売された「桜の時」に収録されている。短期大学在学中には友人と共に『ドーテイオムニバスCD Vol.1』を共同自主制作し発売。

1996年、4月からfm osaka『COUNTDOWN KANSAI TOP40』のパーソナリティとなり、以降、3つ番組のパーソナリティを務める。

また、出場したコンテスト「The 5th MUSIC QUEST JAPAN FINAL」では椎名林檎らと共に優秀賞を受賞。その為、椎名林檎とは現在も交友がある。

1997年、コンテストに出場していたaikoに目を付けたポニーキャニオンの音楽プロデューサーから連絡が入り、12月20日にインディーズ1stアルバム『astral box』発売。1998年にはインディーズ1stシングル「ハチミツ」、インディーズ2ndアルバム『GIRLIE』を発売。4月、aikoのもとに映画主題歌の話が入り、メジャーデビューの話が進む。

1998年、7月に1stシングル「あした」でデビュー。映画『新生 トイレの花子さん』の主題歌に起用されるなど、関西のFMラジオを中心に話題を集める。初となるワンマンライブ『LOVE LIKE POP!』を江坂ブーミンホールにて開催。そして、「花火」、「カブトムシ」で多くのファンをつかむこととなる。。。

ファン層として、

2005年にオリコンが行った「好きなアーティストランキング」では総合1位を獲得。世代別では10代女性が2位・10代男性が4位、20代女性が1位・20代男性が3位、30代総合は3位、40代総合では14位など全世代を通して認知はあり、特に10代、20代女性からの人気が高い。

翌年の2006年に行われた同調査では総合1位、2007年は4位、2008年は3位を獲得している。 2009年は7位、2010年は5位とランクアップしている。

趣味・嗜好として、

幼少期から水泳、ピアノを習う。絵を描く事も得意であり、「桜の時」や「DECADE」などのジャケットはaikoが描いている。

交友関係として、

優香 、KAN、椎名林檎、ポルノグラフィティ、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)、コブクロ、矢井田瞳など交流がある。。。


この曲について、当時DJを担当していたCDKTOP40の生放送終了後、自宅にて放送時のテンションのまま作り上げたことをライブ中のMCにて公表。

カブトムシは季節柄「夏」をイメージするが、aiko版では、本人曰く「冬」と言っている。

昆虫では1番強いとされる存在だが甲羅1枚剥がすだけで、柔らかくなって、脆くなり、実は寂しい昆虫では無いか。とaikoは捉え、「自分を守る為でもあるが、虚勢を張っている」そんな恋する自分をカブトムシに例えて歌っている。

アップしたのは自身がパーソナリティをしていた「オールナイトニッポン」で、多くの音楽アーティストとの交流のあるいちリストのゆず(北川悠仁、岩沢良治)と一緒に歌っている貴重な音源です。

(YouTubeより)削除しないことを願います!

あたし事ですが、本日「35」歳になりました!

笑うふたりに幸せを・・・

2010-11-22 20:30:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

都はるみ & 岡千秋「浪花恋しぐれ」

本日は11月22日ということで、語呂あわせで「い・い・ふー・ふ」つまり「いい夫婦」の日ということで、夫婦を描いた曲といえば、この曲ということでアップしました。

この曲は、マッシュルームカットでちょび髭の岡千秋さんのコンサートに来ていたコメカミのホクロがトレードマークの都はるみさんが彼のしゃがれ声に引かれ、デュエットが実現し、1982年にリリース、ロングランヒットもあって、1983年オリコンシングル年間チャートでは18位を記録している。

この曲のモデルは初代桂 春団治(かつら はるだんじ、1878年8月4日 - 1934年10月6日)である。

天才的な巧みな話術で、戦前の上方落語界のスーパースター的存在であった。

従来の古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた大胆な改作で爆笑王として人気を集め、当時の先端技術でもあったレコードに落語を吹き込み、多くの人を魅了した。

破天荒な生き方でも著名で、関西の俗に言う破滅型天才芸人のいまだ代表にして定型といえる存在である。

借金・女遊び・酒乱が高じた振る舞いは、常に話題となった。

その生き様は、演劇・歌謡曲など、様々な形で語り継がれている(ただし脚色も多い)。大阪弁で言う「やたけた」「ごりがん」「すかたん」といった性格を全て併せ持つ、その憎めない振る舞いは、当時も現在も、人々からはむしろ共感・同情の目で見られ、大阪の人情味に触れる際に欠かせない存在となっている。

破天荒な生き方や金遣いの荒さはある意味で上方芸能の伝説となり、横山やすし、藤山寛美、やしきたかじんなどの初代春団治をリアルタイムで知らぬ後世の関西の芸能人にまで多大な影響を与える事になる。また、川藤幸三は、「球界の春団治」と言われていた。川藤は酒好きではあったが、最低年俸で契約してもらったエピソードなど、金遣いが荒いわけではなかった。

得意ネタは『いかけ屋』『うなぎ屋』『へっつい盗人』『ちしゃ医者』『からし医者』『野崎詣り』『寄合酒』など。その多くはSPレコードに残されている。

上方落語において、その生き方・落語が現在までも話題になっている人物は、初代春団治がはじめてである。

借金・女遊び・酒乱なご主人を支えていたのが妻の存在である。

その妻トミは春團治が貧乏の極みにあったときも黙々と夫を支え、金銭感覚のない夫の代わりに内職で生計を立てていた。

後妻の志うは世間知らずな上に、完全に春団治に惚れ切っていたため、その莫大な資産を全て春団治に使い果たされても、文句も言わず、喜んで金銭を出してやっていた。

一方の春団治も、周囲の者に志うのことを「御寮人さん」と呼ばせ、常に顔を立てていた。ともかくも、この二人の間に夫婦の愛情があったことは疑い得ない。

後年、志うは酒で身体を壊し晩年の春団治の看護ができなくなり、トミとトミと春團治の間にできた一人娘が看病し、胃癌に苦しみながら「これでわいも依願(胃癌)免官やなあ。」とか、忠臣蔵の勘平の科白をもじって「かく(胃癌のこと)なり果つるは利の当然。」などと苦しい駄洒落を言って寂しそうに笑っていた。

志うは夫の死後、奈良県桜井市の親戚に引き取られ、翌年、その家の玄関脇の小部屋で寂しく世を去ったという。

先妻、後妻、主生活が駄目な夫にほれ込んだもの。

それは「大物になる」というでっかい夢があるから。

ひとりになると、酒におぼれ何もできない、「私」がいれば、でっかい夢をつかめる・・・

妻って自分が持っている「夢」(だれもが持っている)というものを夫に捧げる姿は偉大です。

絶妙な二人の夫婦の絡みご堪能ください。