わしやま

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ぼくら生きている

2010-11-09 08:00:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

五十嵐浩晃「ペガサスの朝」

この曲は、1980年3枚目シングルでチョコレートCMに起用され、オリコンチャートのTOP10入りし1981年度の年間チャート30位を記録している。

彼がチャート賑わったのはこの曲ぐらいでしばらく顔を出さず、いつしか芸能界から離れお茶の間から消えた人を捜索し、今の姿とともに状況とあの時を輝きを戻す内容の番組「あの人は今…」で紹介された時、胃の摘出を受けたことを語った上で自分の名前とかけあわせ、「胃がない(いがらし)浩晃」とだじゃれを言っていたり、今は顔を「とくダネ!」の「朝のヒットスタジオ」など懐かしのJ-POPの番組には出演熱唱している。

そんな木村カエラと同じ潜在能力の彼ですが、

1957年(昭和32年)3月4日、美唄市にて、高校の体育の教師の父、母の間に、二男一女の第三子(次男)として生まれる。

北星学園大学経済学部在学中、友人と二人でバンド「ブリージー」を結成し、ライブハウスで活動。

1979年、第1回CBSソニーSDオーディションに合格。同期合格者には堀江淳、HOUND DOG、村下孝蔵(故人)がいる。

1980年5月21日、シングル『愛は風まかせ』でCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりソロデビューを果たす。

同年ファーストアルバム『ノーザン・シーン』を発売。

さらに同年発売した3枚目のシングル『ペガサスの朝』のヒットにより、翌1981年にTBSテレビの『ザ・ベストテン』で全国ネット番組初登場。

その後も自身のシングル・アルバムを発表するほか、多くの歌手・アーティストに楽曲を提供。2000年には声優の岩男潤子とのデュオユニットで、セルフ・カヴァーのデュエット・ソング『二人だけのX'mas』を発表した。

現在は札幌市を拠点に、ライブや楽曲制作のほか、テレビタレントや、ラジオパーソナリティとして活動している。

五十嵐浩晃の楽曲においては、一時休業前は鈴木茂(はっぴいえんどのギタリスト)がそのほとんどを編曲し、一時休業後の数年は西本明(村下孝蔵、尾崎豊など編曲を手掛けている)がその多くを編曲している。

特に鈴木茂の編曲は、繊細な五十嵐の曲に都会的な洗練さを付加することに成功しており、鈴木茂の数ある作品の中でも傑作との誉れが高い。またラジのコーラスも作品において重要な役割を果たしている。

ちなみに作詞は、

庄野真代「飛んでイスタンブール」、少年隊「仮面舞踏会」、矢沢永吉「止まらないHa~Ha」、すぎもとまさと「吾亦紅」、五十嵐さんの初期ナンバーも手がけたちあき哲也が担当。

シティポップなサウンドをご覧ください。

1981年にベストテンや夜ヒットに出演した時の顔と髪型は五十嵐さんと同じ北海道出身の大泉洋に似ている。ちなみに大泉さんは8歳。