わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

刃のようにトンガったキーボディスト

2010-11-02 01:15:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

Emerson, Lake & Palmer「Knife Edge」 (live)

本日はバンドの中心人物であり、

日本においては、小室哲哉、エマーソン北村(シアターブルック)などに影響を受けたキース・エマーソンのお誕生日ということでアップしました。

「おめでとうございます」

そんな平田満(お誕生日おめでとう!)と同じ潜在能力の彼ですが、

1970年代前半に、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」(Emerson, Lake & Palmer, ELP) のメンバーとして活動し、本国イギリスやアメリカを初め、世界的に有名になった。また、当時まだ開発されて間も無いシンセサイザー(モーグ・シンセサイザー)を世界に知らしめた功績でも有名。特に「ロックという分野においてシンセサイザーをどう使うかという方法論を提示した最初の人物」とロバート・モーグから評されている。

略歴として、

1944年ランカシャー州のトドモーデン生まれ。第二次世界大戦後にウェスト・サセックス州のワーシングに転居。8歳半よりピアノのレッスンを始める。15歳の時、地元で開催されたワージング・ミュージック・フェスティバルに出場し、バッハの部で2位を獲得。本人によると、これが人生初のライブ・ステージである。

その後、ワージングで編成されたスウィング・オーケストラでジャズ・ピアノを弾き始め、同オーケストラのベーシスト/ドラマーとともにジャズ・トリオを結成し、ジャズ・クラブ等での演奏を手がける。学校を卒業後に地元の銀行に就職したが、バンド演奏を優先した事で退職。

20歳でドラマーのブライアン・ウォーキーに誘われ、ロンドンに出てゲイリー・ファー&T・ボーンズに加入。マーキークラプ等で演奏するようになる。その後、このバンドにリー・ジャクソンが加入し知り合う事になった。

T・ボーンズ解散後の1966年暮れ、スプーキー・トゥース(Spooky Tooth)の前身であるVIPs(The V.I.P.'s)というバンドに参加している時に、P.P.アーノルドのバック・バンドを結成するオファーがあり、リー・ジャクソンらとナイスを結成。1967年より単独バンドとして活動を開始し、同バンドにおける活動で、イギリスやアメリカを初めの多くのロック・ファンにその名を知られる様になる。

1970年、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)を結成し、全盛期と呼ばれる1974年までの活動を通じて世界的な知名度を獲得した。ELPが消滅した後の1980年代には、映画音楽制作の傍ら、エマーソン・レイク・アンド・パウエル、3(スリー)などのバンド活動をおこなった。1992年,2010年にエマーソン・レイク・アンド・パーマーを復活させている。

この曲はビートルズが解散した1970年デビューアルバム「エマーソン・レイク・アンド・パーマー (Emerson, Lake & Palmer) 」に収録された楽曲に収録。

このアルバムについて、

まだ結成が公表される以前の4月ごろから作曲が開始されたと伝えられている。結成してまだ間もない時期の録音であり、緻密なスタジオ・ワークを駆使した様子はあまり感じられず、リアル・タイムの一発録音に多少のオーバー・ダビングを施した、という構造が聴き取れる。後にELPと深い繋がりを謳われるモーグ・シンセサイザーも、この時点では「タンク」と「ラッキー・マン」の終了間際に、顔みせ程度に使われているだけである。

売り上げは、イギリスのチャートでは4位まで上昇したが、アメリカでは18位に留まった。グレッグ・レイクがELPの結成を目指した理由のひとつとして「アメリカでキング・クリムゾンよりウケるバンドを作る」というものがあったが、偶然ながら「クリムゾン・キングの宮殿」も全米チャートで18位だった(チャートの順位については諸説あるので、ここではもっとも一般的な説を参考にしている。)。

最後に電子オルガンを逆から弾くキース・エマーソンは「芸術は爆発だぁ~」by岡本太郎を表現したキーボディストである。