わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

王者の魂

2010-11-21 20:15:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

実川俊「王者の魂」

「あんしんパパ」名義での「はじめてのチュウ」(わしやま音楽祭Vol.11最後のナンバー)以来の登場。

実川さんは、バンド活動、「はじめてのチュウ」、音楽プロデュースなど行っているが、

実はこの曲も手がけている。

この曲は東洋一の大巨人、初代全日本プロレス社長、1本5000円の葉巻を吸うのが日課だったプロレスラージャイアント馬場の入場テーマ曲でおなじみ。

1938年に生まれ、1999年に天国へ行き、王道にプロレスを開いてラブにやっているでしょう。

身長209cm、体重135kg、恵まれた体躯を生かし、主に、相手のロープの反動を利用したカウンターキックである「十六文キック」をはじめ、「空手チョップ」「河津落とし」「ココナッツクラッシュ」など、長身からの落差と重力、相手の力や体重を利用した技を得意技とした。


紹介すると

十六文キック
ジャイアント馬場の代名詞的な技。ロープに振った相手が反動で返ってくるところにカウンターで蹴りを叩き込む。時には自ら走りこんで蹴りを当てていくこともあった。全盛期は見た目も威力も必殺技としての説得力を十分に兼ね備えていた。しかし、実際に足のサイズは十六文もなく、語呂の良さから十六文にしたという説と、アメリカで購入した靴のサイズ表記が16となっていたためという説がある。左足で蹴るのはプロ野球時代の名残だが、若い頃は右足で蹴ることもあった。東京タワーズで組んだ坂口征二や師弟コンビで組んだジャンボ鶴田とは肩を組んでダブルのカウンターキックをよく出していた。アメリカ修業時代のタッグマッチで、パートナーだったスカル・マーフィーに「お前もキックだ」と言われた際、反射的に左足で蹴ったのが技のきっかけとのこと。

32文人間ロケット砲
ペドロ・モラレスに師事した際教えられたとされる技。全盛期は大一番で使用。ほかのレスラーも使うポピュラーな技、いわゆるドロップキックなのだが、日本人プロレスラーとしては、突出して巨体であった馬場限定の称され方であった。フォームとしては、やや下方から上方へ突き上げるような形で繰り出す。スタン・ハンセンとの初対決時などに使用した。
河津落とし
河津掛け落としとも。もともとは相撲の技で、相手の投げを堪える「河津掛け」が原型。力道山がルー・テーズのバックドロップ対策として披露したが、馬場は自分の片足を相手の片足に掛け、跳ね上げながら相手の首を抱えて後方に反って倒す技に昇華させた。

脳天唐竹割り
馬場の師匠でもあった力道山が得意としていた空手チョップの応用技。相手の頭部に垂直に振り下ろす。馬場が遠征中に泊まった旅館で、鴨居に頭をぶつけた時の激しい痛みから技を閃き、力道山に「敵の脳天に手刀を放とうと思うんですが」と相談したところ、「危険な技だ。相手が死んでしまうぞ」と制止されたエピソードがある。最初に脳天チョップを出したのはディック・ザ・ブルーザー戦で、初対戦でブルーザーのタフガイぶりにあきれた馬場が「ブルーザーならまあ死なんだろう」と解禁したという。手刀を叩きつける際に、まれに相手の頭部あるいは額を割り、流血させるほどの威力があり、相手の耳に落とす「耳そぎチョップ」という応用もある。子供たちの遊びで往年耳にすることがあった、俗に言う「馬場チョップ」とはこの技のことである。ちなみに全盛期では大きくジャンピングしながら放つ場面もあった。

股割き(レッグスプレッド)
主に若手の頃に多用されていた関節技。相手の両足を掴み、股を強引に開かせることによって痛みを与える、単純明快な技。デビュー戦もこの技で勝利した(相手は田中米太郎)。

ランニング・ネックブリーカー・ドロップ(首折り落とし)
ジャイアント馬場自身が考案し、日本人として初めて披露した技。若き日、ライバルであったドリー・ファンク・ジュニアに対して初めて披露した。ロープに振った相手が反動で返ってくるところに、自ら走りこんで首に左腕を掛け倒れこみ、相手の後頭部をマットへ叩きつける。ジャック・ブリスコやハーリー・レイスとのNWA世界ヘビーを初めとしてこの技で多くのタイトルを奪取した。この技もまた大一番でしか見られない技で、主にレイスとの試合では必ずといっていいほど使用していた。

ココナッツクラッシュ(ヤシの実割り)
ヘッドロックのような体勢で相手の頭を抱え込み、膝に叩きつけながら前方に倒す大技である。「この技が出ると調子がいいんです」というテレビ解説が見られた。

アトミック・ドロップ(尾骶骨砕き)
いわゆる尾てい骨砕き。全盛時によく使っていた技である。

アームブリーカードロップ(腕折落とし)
相手の手首を掴みながら腕にまたがり、そのまま全体重をかけてマットに相手ごと落とす技。かつて上田馬之助とのシングルマッチにてこの技を連発し(6発打っている)、レフェリーストップに追い込んだことがある。

サーフボードストレッチ(波乗り固め)
相手の背後から仕掛ける。相手の両腕を掴み、背中の方で引っ張り上げて痛めつける。

コブラツイスト(アバラ折り)
馬場の隠れた必殺技。2mを超す長身の為威力は抜群で、アメリカ遠征中によく使っていた。猪木も得意技だったが、馬場のコブラツイストに対抗するために猪木は卍固めを使い始めたという。1985年のPWF戦でタイガー・ジェット・シンからギブアップを取るなど晩年まで使い続け、「ジャイアント・コブラツイスト」などとも呼ばれた。

ドリル・ア・ホール・パイルドライバー(脳天杭打ち)
相手の頭を自分の股にはさみ、逆さまに持ち上げてそのまま脳天をリングにたたきつける技。

ジャイアント・ニー・ドロップ
倒れている相手にトップロープから膝を落とす。全盛期のフィニッシュ技として好んで用いられた。

ジャイアント・ギロチンドロップ(レッグドロップ)
同じく全盛期のフィニッシュ技。倒れている相手めがけて膝裏を落とす。

ジャイアント・バックブリーカー(巨人式背骨折り)
馬場のオリジナル複合ストレッチ技。スタンディングで後方からコブラクラッチを決め、そのまま相手体を反らせながら自らの片膝をマットに付け、相手の背中を自らの片膝頭に押し付ける。アメリカ修行時代に、当時スーパースターだったアントニオ・ロッカと対戦した際、スタンディングでこの技を決めてロッカを落としてしまった。

上記の他、脇固めなど寝技やスロートクロー(タイガー・ジェット・シンのコブラクローに酷似)などの「拷問技」も得意とした。足4の字固め、サイドスープレックス、スモールパッケージホールドなどの技も使っているほか、大柄な体格に見合わずトップロープからのフライングボディアタックなどの空中技も使用していた。晩年は流行技やライバル・弟子の得意技をまねて用いることも多く、およそ馬場の技は外見上なんら変わりがなくとも冠に「ジャイアント」と付いて独自の必殺技としてファン・マスコミに認識された。「ジャイアントラリアット」「ジャイアントDDT」などはその典型例である。

また、スタン・ハンセンとのタッグ時のみ限定で、十六文キックとウエスタン・ラリアットを組み合わせた「ジャイアント・コンビネーション」も披露した。アンドレ・ザ・ジャイアントと組んだ時は十六文からアンドレのエルボー・ドロップ、ラッシャー木村と組んだ場合は十六文と木村のラッシングラリアットというコンビネーション(通称・十六文ラリアット)になった。

ジャイアント・コンビネーション・A
ハンセンが相手をハンマースルーし、そこに馬場が十六文キックを叩き込む。その後、馬場が弱った相手を再度ハンマースルーし、そこにハンセンがウエスタン・ラリアットを叩き込む。

ジャイアント・コンビネーション・B
ハンセンが相手をハンマースルーし、そこに馬場が十六文キックを叩き込む。その後、弱った相手が振り返った瞬間に、ハンセンがウエスタン・ラリアットを叩き込む。Aよりも、技の回避が難しい。

基本的におおらかな性格。小さなころは非常に親孝行で、人との間に角を立てるのが本当に嫌だったという。

かつて野球をしていた当初、一度スパイクシューズを履かずにストッキングのまま練習に出てきてひどく叱られたことがあったが、戻ってスパイクを履こうとはしなかった。巨大なスパイクの中に猫が子供を産んでしまったというのがその理由であった。

契約には厳しいことで知られ、ジャパンプロレスとして参戦していた長州力が契約途中で離脱した際には断固たる措置を取ったという。

しかし、天龍源一郎がメガネスーパー社から新団体旗揚げの話を持ち掛けられ全日本の契約終了後にSWSへ移籍した際、(当時団体の移籍は非常識とされていたため)憤慨していたジャンボ鶴田に対して「なぁ、人は裏切るより裏切られた方がまだいいだろう」と諭した。

これは天龍と馬場の間に十分な話し合いが持たれていた結果であるが、他の契約期間が終了していない全日勢が何人もSWSへ流れていった際には「話が違う」と激怒した。

辞めていった日本人選手を二度と全日本マットに上げることはしなかったが、その弟子はリングに上げた(冬木弘道の弟子の、邪道、外道等)。師匠のことで弟子が巻き添えになることはマット界ではよくあることだが、馬場は師匠のこととは別のことと割り切っていた。

「シュート(真剣勝負・ガチンコ)を超えたものがプロレス」という発言を残した。

他団体が格闘技路線を進めていた頃の全日本プロレスのキャッチコピー「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」や「プロレスとは『プロレス』である」といった発言は、馬場本人のコメントではなく馬場夫妻と数十年に渡ってプライベート含めて親交があった元『週刊プロレス』編集長のターザン山本が考え出したものであるが、馬場自身もこのコピーを気に入っていた。

食事作法や礼儀作法、服装などに厳しく、後輩や弟子たちにも徹底的に叩き込んだが、馬場本人はファンにサインをする際も(1000円相当のグッズを買う必要があり)、足を組んで座り下を向いたまま葉巻を吸いながら応じていた。1990年代、全日本の選手たちが決してシャツをズボンから出さなかったことは、馬場の教えが徹底されていたからであり、現在でもお付きだった和田京平や仲田龍、泉田純至らは「エリ付きのシャツでないといけない」という馬場の教えを守り、夏場でもTシャツではなくポロシャツを着ている。選手の茶髪も長い間許されなかったと言う。ジーンズも嫌いで、持ってはいたが「あれは作業着だ」と言っていた。

プロレスラーが技を一般人にかけることを非常に嫌っていた。TBSラジオの番組にゲスト出演していたとき、パーソナリティの松下賢次に何かプロレス技をかけて欲しい、というリスナーからのFAXがあった。馬場は「素人さんにプロレスの技をかけることは、絶対してはいけないこと」と語っている。ただし、かつて『笑っていいとも!』にゲスト出演した際、タモリにヘッドロックをかけたことはある。なお、2007年にアサヒ飲料『WONDA』のCMにおいて、桑田佳祐に対し技を繰り出すプロレスラーとして生前の馬場の映像が合成で使われた。

自らのプロレス観とかけ離れたレスラーとの対戦には消極的ではあったが、そのレスラーが人気者だった場合、プロモーターの立場として観客動員等、興行価値を優先し、積極的に起用し続けた(後述のミル・マスカラス、ビル・ロビンソン、長州力等)。



大巨人の王道

2010-11-21 20:00:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

黛敏郎「スポーツ行進曲」

「題名のない音楽会」の初代司会者を務めた黛さんが24歳のときに手がけたもので、

開局したばかりの日本テレビのスポーツ中継のテーマ曲で、その後、日本テレビのバックにしていた全日本プロレス中継のテーマ曲で同時、同団体社長で筆頭レスラージャイアント馬場のテーマ曲、日本テレビ看板番組読売ジャイアンツ中継のテーマ曲として定着するも、他局の「8時だよ!全員集合」でネタにされたりし、「プロレス」といえばこの曲と連想するまでになっている。

今は地上波では使われてないが日本テレビG+の番組で聴くことができる。

解説として

ファンファーレが祝典的な雰囲気を醸し出した後、濃密な弦楽合奏が繰り広げられ、さらに、木管が主役となって弦楽を引っ張ったあと、ダル・セーニョでファンファーレの後に戻り、さらに無限リピート可能で、終止形に持って行きたいときに終止感へ転換できるフォルムになっている。

放送のテーマ曲の特性として、時間調整ができるように、番組終了時刻の少なくとも1秒前に音が終わる必要があるので、それを熟知した作品である。