労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

MSO(海上安全活動)と米艦イオウジマ

2007-10-16 20:26:30 | 政治
 われわれと日本共産党のあいだではMSO(海上安全活動)に対する認識の違いがあるような気がする。
 
 つまりわれわれはアメリカがMIO(海上抑止行動)をMSO(海上安全活動)に切り替えたのは、公海上での「臨検」をあきらめた結果であると考えているのに対して、共産党は概念を拡大してイラクやアフガニスタンでの戦闘行為まで含むようにしたのだという。
 
 共産党はそれを証明する例として米艦イオウジマの活動をあげているが、その考察は後にして、最初にMIO(海上抑止行動)とMSO(海上安全活動)の違いについて考えてみよう。
 
 MIO(海上抑止行動)とMSO(海上安全活動)は両者とも海上(公海上)の治安確保を目的としているが、MIO(海上抑止行動)は「テロリスト」の攻撃および人員・武器の輸送の阻止を目的としている。
 
 「テロリスト」の攻撃および人員・武器の輸送を阻止するためには、海上を警戒して、「テロリスト」が関与していると思われる船舶を停止させて貨物や人員の検査をする必要があるのだが、そういうことが果たして国際法上可能であろうか?
 
 こういう海上での「臨検」をやってみたいという願望をアメリカはかなり前からもっていた。
 
 2002年の12月に、イエメン沖でアメリカとスペインの護衛艦が「不審船」を「臨検」して、北朝鮮からイエメンに送られるスカッド・ミサイルを発見して以来、アメリカはMIO(海上抑止行動)には、公海上の「臨検」が含まれるべきであると考えていた。
 
 しかし、この時、スペインの護衛艦が貨物船を「不審船」と断定したのは、この貨物船が国旗を掲げていなかったためであり、海洋法では国旗を掲げていない船舶は「海賊船」として「臨検」することができるからであった。
 
 そして、この時アメリカはスカッド・ミサイルを押収したといわれているが、それは正しくなく、北朝鮮の貨物船に乗り込んで、「書類上」での船籍確認をしただけで、貨物検査も行っていない。スカッド・ミサイルが積んであるということは、ミサイルが甲板上に設置してあったために貨物船に乗り込んだ乗組員が目視しただけである。つまり、実質的には何もできなかったのである。
 
 では、この北朝鮮の貨物船が北朝鮮の国旗を掲げて航行していたらどうか?もちろん、アメリカの護衛艦もスペインの護衛艦も何もできなかったであろう。
 
 海洋法では公海上を航行する船舶には「航行の自由」が保障されており、特別な場合を除いて、軍艦が停戦させたり、許可なく船舶に乗り込んだり、貨物を検査したりすることは許されていない。
 
 この問題が再浮上したのは、昨年(2006年)の北朝鮮の核実験とそれにともなう国連の経済制裁に関連してであった。
 
 アメリカと日本は当初、この北朝鮮への経済制裁を有効に実施するためには、公海上での「臨検」を実施して貨物検査を行う必要があると考えていた。
 
 しかし、これは結局見送られた。
 
 それはわれわれが指摘したように、「臨検」は「海上封鎖」という概念と密接に結びついており(海上封鎖というのは臨検が実施されている海域を指している)、「海上封鎖」は明白な軍事行動であって、それは国連決議の範囲を超えているからであった。
 
 また「臨検」の対象とされた国の船舶が「航行の自由」をたてに、誰何にも、停戦にも応ぜず、強行乗船に対して武力で反撃してくればそれこそ戦争につながる重大な挑発行為となるため、中国やロシアが反対したからであった。
 
 つまり、MIO(海上抑止行動)が「テロリスト」の攻撃および人員・武器の輸送の阻止を目的としており、その目的を達成するためには公海上での「臨検」が不可欠であるとするなら、そして公海上での「臨検」が国際法上認められない活動でであるため実施不可能であるとするなら、MIO(海上抑止行動)そのものが国際法上の違法行為となる可能性がある。(MIOの活動対象がインド洋全体であるとするなら、インド洋を海上封鎖する特別の国連決議が必要である)
 
 この北朝鮮への経済制裁を実施するために海上封鎖をしようというアメリカの強行派と日本政府の目論み(不思議なことに「臨検」には日本の安部晋三政権がアメリカの強行派より積極的だった)は失敗に終わった。
 
 そこでアメリカは国際法上違法性が高いと思われるMIO(海上抑止行動)をMSO(海上安全活動)に変更したというのがわれわれの見解であるが、実際のところ、アメリカがなぜMIO(海上抑止行動)をMSO(海上安全活動)に変更したかという理由の説明は明確になされていない。
 
 ただ確認できる事実は、インド洋での「臨検」は、国籍不明船をのぞいて、これまで実施されたことはなかったということである。
 
 つぎにMSOと米艦イオウジマについてであるが、最初に『赤旗』を参考にイオウジマの行動を略記しよう。
 
06年6月  ノーフォーク海軍基地を出港
7月     スエズ運河通過、米中央軍の指揮下に
〃      レバノン沖で紛争中のレバノンからの米国人救出活動を支援
8月     東アフリカのジブチで訓練
9月     自衛隊の「ましゅう」が給油
 〃     パキスタン軍と合同演習
 〃     演習と並行して艦載機のハリアーがアフガニスタンを爆撃
 〃     「ましゅう」より2回目の給油
 〃     艦載機ハリアーがイラクのバスラの英軍支援に派遣
10月    イオウジマの海兵隊がイラクのアンバルに派遣される
11月    スエズ運河通過
12月    ノーフォーク帰還  
 
 共産党は当初、06年6月から12月のイオウジマの活動全部がMSO(海上安全活動)であると主張していたが、これは共産党の議員が「ましゅう」からの2回目の給油以降はイオウジマは対イラク作戦に従事していたとして政府を追及したことから事実上修正されている。
 
 したがってMSO(海上安全活動)と見られるのは7月にスエズ運河を通過してから「ましゅう」により2回目の給油を受けるまでの行動であろう。
 
 そしてこの中の「演習と並行して艦載機のハリアーがアフガニスタンを爆撃」したということをMSO(海上安全活動)であるというのは少々無理がある。というのはイオウジマに収容されているハリアー部隊や海兵隊はそれぞれイオウジマの指揮系統とは別個のものであり、内陸部への爆撃を海上での安全を確保するための活動とは見なすことはできないからである。(実際上、ハリアーは海上の安全を確保するためにアフガニスタンを爆撃したのではない。)
 
 だからこの間のMSO(海上安全活動)と見なすことができるのは①自国民救出の海上支援②海上訓練③他国との軍事演習④海洋での哨戒活動一般であろう。
 
 そしてMSO(海上安全活動)がこのようなものであるなら、アフガニスタンにおける「テロとの戦い」とMSO(海上安全活動)はどういう関係にあるのかということが問題になるのである。一般的な海洋哨戒活動とアフガニスタンにおけるテロを封じ込めるという活動は結びつかない。

 これは源頼朝が義経の追補を名目に全国に守護・地頭を置くことを法王に認めさせたようなものであろう。名目が立てば何でもいいというのが福田自民党の立場なのだろうか。
 
      

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