労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

ウソで塗り固めた意味のない法律

2007-10-16 03:24:18 | 政治
 「テロ特措法」に代わる「給油新法」が国会に提出されようとしている。
 
 しかし、このような法律が存在していたということ自体われわれには驚きである。
 
 この法律(テロ特措法)の正式名称は、「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」というものであるがそれがいつの間にか「テロ一般に対する戦い」を規定した法律としてまかり通っている。
 
 この法案が何らかの軍事行動もしくは警察活動を想定している以上、テロ一般に対する戦いという対象がはっきりしないものに対する闘争を支援するという法案自体が法律として意味を持っているのかという疑問がある。
 
 さらにこの法案では、その正当性として国連決議1267、1269、1333をあげているが、1267はタリバン政権に対して、ビン・ラディンの引き渡しとテロリストの保護停止を求めたものであり、1269は国連の全加盟国にテロ行為者の逮捕と引き渡しを求めたものである。(ここでタリバン政権を名指ししていないのは、タリバン政権に対する配慮があったからである。そして1333では、タリバン政権に対して、再度、ビン・ラディンの引き渡しを求めるとともにテロ資金の凍結を決議している。(この時、国連が作成した資金凍結リストには、タリバン政権の幹部の名前があるが、タリバン政権の幹部の口座がなぜテロ資金口座に指定されなければならないという説明は一切なされていない。)
 
 このようにアフガン戦争開戦前になされた国連決議は、アメリカの9・11同時多発テロの実行犯と目されていた(この場合、あくまでも、「目されていた」という推定の範囲を出ていない。最近では、同時多発テロはアメリカの自作自演ではないかという説が広く流布されている)ビン・ラディンおよびアルカイダのメンバーのアメリカへの引き渡しをタリバン政権に求めたものである。
 
 そしてアメリカはこの国連の努力とは別に、「テロとの戦い」は自衛のための戦争であるということでアフガニスタン攻撃に踏み切っている。この場合、アフガニスタンのタリバン政権がアメリカによって攻撃されたのは、テロリストを引き渡さなかったからであり、タリバン政権がそれ自体としてテロリスト集団だからではない。(アメリカはテロリストをかくまうものはテロリストであるというむちゃくちゃな論理を持ち出しているが、当然、テロリストとテロリストをかくまうものは区別されなければならないだろう。)
 
 ところが当初、ビン・ラディンおよびその一味であるアルカイダという非常に限定されていた、この「テロとの戦い」の対象は、次第に拡大していく。それは、アフガニスタンを武力制圧したアフガニスタンでタリバン勢力が勢力を盛り返して反撃を開始したからである。
 
 そこで日本の国連大使の原口は、国連での演説で、日本もアフガニスタンにおけるテロリストとの戦いに参加しているとおおみえを切り、アフガニスタンにおけるテロリストとしてアルカイダとタリバンをあげている。
 
 しかし、原口には法案の趣旨を勝手に変更してよい権限などあるはずもないのだが、いつのまにか「テロとの戦い」のテロリストというのはアルカイダだけではなく、タリバンも指すようになってきた。
 
 しかし、その区別をすることは重要であろう。というのはアフガニスタンでテロ(武装攻撃)を行っているのはアルカイダとタリバンであるが、タリバンの多くは現地の住民によって構成されており、彼らは自分たちの土地に勝手に乗り込んできた外国軍と戦っているのであるし、親兄弟を外国軍によって殺害された報復を行っているからである。そういう点では、タリバンの戦いはますます民族解放闘争の色彩を帯び始めているのである。
 
 このことは重要である。なぜなら、アフガニスタンは過去において、三次にわたってイギリスの侵略軍と戦い、その後はソ連の侵略と戦い、敗北しなかった国だからである。したがって、今回、アメリカとその他の国々が束になってアフガニスタンに襲いかかったからと言って勝利が必ずしも保障されているわけではなく、むしろ、逆の結果、すなわちベトナム戦争の再現になる可能性が高いからである。
 
 さらに、この法案の特徴は直接アフガニスタンのタリバンとアルカイダとの戦争に介入するものではなく、タリバンとアルカイダと闘う外国軍、すなわち、アフガニスタン侵略軍に海洋で燃料や水を供給することで間接的に参加するという形式になっている。
 
 こうすることでこの法案はまったく無意味なものになっている。というのはアメリカと外国軍のアフガニスタン侵略戦争には海洋は使われていないし、タリバンもアル・カイダも海洋を拠点としている海賊ではないからである。
 
 そもそもこの法案では自衛隊は戦闘地域、すなわち、敵対する勢力と味方をする勢力がが交戦するかも知れない場所では活動しないということをうたっており、インド洋は「安全」である、すなわち、敵対勢力が存在しないということを前提にしているのである。
 
 この法案が現実的に意味を持ったのは、皮肉なことに、イラク戦争の開戦時であり、アメリカ軍は日本の自衛隊から給油を受けて、イラク攻撃行っていたのであり、法案の趣旨を完全に逸脱することによってのみ、はじめて実効性をもつような法案というのは、そもそも法律の名に値するのかという問題が起こってくるのではないか。
 
 そこで、政府は海洋での抑止活動に従事する艦船のみに給油するように法案を修正しようとしているがこれはもっとバカげている。
 
 というのは、テロリストの攻撃および人員、武器の輸送を阻止するためのMIO(海上阻止行動)は現在では行われていないからである。すなわち、テロ特措法の根拠となっていた活動そのものがいつの間にか自然消滅しているのである。
 
 これは北朝鮮に対する経済制裁のときにも問題となったが、公海上での「臨検」、すなわち公海上の不審船に対して、誰何し、強制的に乗船して貨物検査や人員検査を行うことは国際法上許容されてはおらず、それを強行すれば当該船舶の「旗国」(その船舶が所属する国)に対する軍事行動と見なされるからである。
 
 いくらアメリカが無法者の国だといっても国際法を無視して、公海上の船舶を「臨検」することはできないので、現在はMIO(海上阻止行動)はMSO(海上治安活動)と名前を変えている。つまり、テロ特措法の根拠となっていたアメリカ海軍の活動そのものがすでに行われなくなっており、代わりにMSO(海上治安活動)という哨戒活動に切りかわっている。
 
 哨戒活動というのは、早い話、敵の襲撃に備えて、見張りをして、警戒することで、「職務質問」の権限のない警官がパトカーに乗って街を巡回し、なにかことがあると現場に駆けつけるというようなものである。このMSO(海上治安活動)には日本の自衛隊も参加しているが、この6年間に日本の海上自衛隊があげた唯一の華々しい戦果は、オマーン湾を航行中の日本国籍のタンカーで発生した急病人を救出したことである。よくやったぞ、海上自衛隊。ところでこのような活動は「テロとの戦い」とどのような関係があるのだろうか。少なくとも海上自衛隊は「テロ特措法」に基づいてインド洋に展開しているのだから、このような活動がテロ特措法の第何条に該当するのか答えられなければ困るのではないか。
 
 自衛隊が現在担当しているのはCFT150とアメリカ中央軍が名付けている地域(紅海、アデン湾、オマーン湾、アラビア海北部、インド洋一帯)で、ここでアメリカに協力するいくつかの国の艦船に自衛隊は給油をしているが、当のアメリカ海軍はこのような無意味な活動からすでに足を洗っている。
 
 残っているのはこのすでに形骸化して内実を喪失している活動の無意味さにこそ利益を見いだしている国々である。つまり、アメリカのご機嫌を取るためにアメリカのアフガニスタン侵略戦争に荷担をしたいが、直接戦争に参加するのはちよっとまずいではないかと考えている国々(この筆頭が日本である)がこの何の意味もない活動に参加することによって、名前だけの“参戦国”の資格をえようというのである。
 
 そしてアメリカがこのような活動をいまだに継続し、日本の海上自衛隊にも継続することを求めているのは、多くのやる気のない国々を引き留めるためであり、一人抜け、二人抜け、そのうちに誰もいなくなったという情況を防ぐためである。
 
 しかし、このやる気のない国々連合によるインド洋パトロールという現実は、多くの国々がこのアメリカのアフガニスタン侵略戦争から足を洗いたいと考え始めているということでもあり、アフガニスタン侵略戦争はすでに転機を迎えているということでもある。

 
 

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