あさやん通信

おいらの日記、徒然なるままに!

陰徳を重んじる

2009-08-29 09:27:15 | いい話
致知出版社から出ている松原泰道さんの「百歳の禅語」から陰徳の話を一つ。

陰徳はとても重要な実践項目だと思います。ちょっとしたことでもいいから積み続けることを大事にすべきですよね。

故松原泰道さん

東京都生まれ、早稲田大卒。岐阜市の瑞龍寺専門僧堂で修行し、臨済宗妙心寺派教学部長、龍源寺住職などを歴任。宗派を超えてつじ説法を行う「南無の会」を創設し、会長を務めた。分かりやすく仏教の教えを説いた著作やユーモアのある説法などで知られています。



「陰徳を積む」

 日本の茶の湯は長い間の練磨の結果でありまして、無駄なお手前(作法)は一つもないんですね。まったく無駄が取り除けられています。
 でも、お茶人に聞いてみると、たった一つだけ、素晴らしい貴重な無駄があるのです。お気づきかどうか知らないけれども、それは、茶釜から茶碗にお湯を杓で汲む時、お湯を全部茶碗にあけきらずに、少し残して、そのお湯を茶釜に戻すんですね。
 慣れてくれば、お湯を汲む時、目分量で「これだけの茶碗なら、これだけのお湯の量があればいい」と分かるでしょう。それを元へ戻すだけ無駄なはずなのに、なぜそうするのか?これが禅の心から生まれた茶の湯の「分福」なんです。
 この分福を修業されたのが道元禅師です。越前の福井の永平寺にあって、道元さんは、毎朝、門前の永平寺川に行って仏様に供える水を柄杓で汲むのです。これを閼伽の水と言いますけれども、最後に杓に汲んだいくらかの水を川へ戻すんですね。
 川に流れる水はたくさんあるけれども、自分だけいただいてはいけない。下流の人たちにも、この水を分けていこうと。これが分福、福を分けることです。
 それがお茶の方に入ってきて、杓の湯を全部茶碗にあけてしまわずに、あとの人のために茶釜に戻していくという作法になったのです。
 禅の生活がここに表れているのですが、こうした行為を「陰徳を積む」と言います。




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