あさやん通信

おいらの日記、徒然なるままに!

天風先生の言葉①

2013-02-20 01:11:47 | いい話
今日は人生を完全に生きる上に大切な事を教えよう。病や不運におかされるとたちまち心配したり悲観したりする。
しかもそれが人間として当然のことだと思っている、これは、厳粛に真理からいったら大間違いだ。
悲観や心配はどんな場合であってもしてはいけないことだ。不愉快や、不満を感じている時の気分はいいかい?。
100年生きてもわずかな日数の人生だ。自分の人生を短くする以外に何の効果もない。人間はこの世に一生を明るく生きるために生まれて来た。進化と向上という偉大な宇宙真理を現実化するために来た。病や不運の時は、命の力を大事にしなければならない時なのだから、何よりも命の力を強くするために心を積極的にしなければならない。
日常生活に於いて陥りやすい、心配、悲観という心の状態から抜け出すには常日頃から勇気の渙発を心がけることが 必要だ。勇気というのは「頑張ろう」じゃ無いよ、それはとらわれる心なんだ。そうじゃなくてその勇気とはどんな状態かというと、つかず離れず、怖れもしなければ怖れまいとも思わない。淡々として流れる水の如き心境、即ち晴れて良し、曇りても良し富士の山。この心境が勇気の姿だ。
山岡鉄舟は腕は出来て、鬼鉄と言われていたが人間が出来ていなかった。情け無いほど自惚れが出てきた。遂に慢心の極みで辻斬りを始めた。10人、20人と斬られる者が出てくると街で噂になり誰も夜歩く人間がいなくなった。そんなある闇夜に鉄舟は道場を抜け出して吉原八丁堀へと出かけた。丁度上野不忍池にさしかかった時に闇夜に突然人の気配を感じ いつもの型で刀を振り下ろした。しかし、その自分の得意の技を行使したにもかかわらず、いつもはある手応えがなかった。逆に相手の剣先を目前に突きつけられ後ずさりせざるを得ない状況に追い込まれた。背に腹は代えられず一歩、二歩と下がる内にとうとう池の端まで追いつめられた。しかし、それでも相手の剣先の勢いは変わらない。遂に池の中に落ちてやっとの事で命が助かった。蓮の葉の間から、やっと顔を出して池の端を見やると、「腕だけで腹が出来ていないからこのような始末になるのだ、もう少し心を練れ、心が出来りゃ少しはものになるだろう」とだけ言い残して立ち去る姿が見えた。暗闇の中では相手の面相も判らない。急いで池から這い出して後を追いかけたが、遂に見失ってしまった。それから道場に帰ったがくやしくて眠ることもできない。翌日、道場の友にこの事を相談すると「お前より強い人間はこの江戸にそんなにいるものではない、千葉周作先生ならそんな手の込んだことをせずともこの道場でお前をこらしめることはできる。後は浅井先生だけだ」。そこで、鉄舟は「それならこれから仕返しに行く」と言った。するとその友は「浅井先生はお前のように、腹が立ったらすぐかっとなるような人物ではない。いつも落ちついてとてもお前の相手ではない、やめとけ」と言った。そこで始めて鉄舟は、昨夜の自分の相手は浅井先生であったことを知りおのれの未熟さを悟った。
その後は辻斬りなどやめて人間としての修行に励み、歴史に名を残す人物になった。
これは講談の一節だが、実際この話の中には面白さ以上の真理があることを悟らなければならない。
人間が勝負をする時も、何事もなく座っている時も、常に同じ気持ちでいれるようでなければ本当に強い人間とはいえない。どんなときにでも、とらわれず、つかず離れず、そんな気持ちになれるのが勇気ある心である。

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