論語③の時にちょっと書いた「すこしの事にも、先達はあらまほしきことなり」という言葉。
これは徒然草52段の仁和寺にいたある法師が、久しく訪れたいと思っていた石清水八幡宮を参拝したときの話です。
仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりかと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
<訳>
仁和寺のある坊主。年寄りになるまで岩清水を拝まなかったのを、なんとなく寂しく思っていた。
ある日、この坊主は思い立って、たった一人、徒歩でとほとほ岩清水を詣でた。山のふもとにある極楽寺や高良神社を拝むと、こんなものかと心得て寺に帰った。
さて、寺に戻り知り合いに会うと坊主は言った。
「いやいや、長年思っていた事をついに果たしました。岩清水をお参りしてきたのです。聞きしにまさる尊いお姿で御座いましたぞ♡それにしても、参拝に来た人達がみな山の上に向かっていたけれども、興味もありましたが、岩清水を拝むのが本意と心得て山には登りませんでした!」
山の上こそ、岩清水そのものであるのだが。ささいな事でも、先達の案内は必要である。
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仁和寺は京都の北、北野天満宮があるあたりにある。そして石清水八幡宮は、ことしの高校サッカー全国大会決勝まで行った久御山高校があるあたり。距離的には約20km。法師のじっちゃんご苦労さまである。
知らないことは罪だねぇ。謙虚に先達に教えを受けるべきだし、そういう先達を持つということが大事だということだねぇ。
石清水八幡宮
これは徒然草52段の仁和寺にいたある法師が、久しく訪れたいと思っていた石清水八幡宮を参拝したときの話です。
仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりかと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
<訳>
仁和寺のある坊主。年寄りになるまで岩清水を拝まなかったのを、なんとなく寂しく思っていた。
ある日、この坊主は思い立って、たった一人、徒歩でとほとほ岩清水を詣でた。山のふもとにある極楽寺や高良神社を拝むと、こんなものかと心得て寺に帰った。
さて、寺に戻り知り合いに会うと坊主は言った。
「いやいや、長年思っていた事をついに果たしました。岩清水をお参りしてきたのです。聞きしにまさる尊いお姿で御座いましたぞ♡それにしても、参拝に来た人達がみな山の上に向かっていたけれども、興味もありましたが、岩清水を拝むのが本意と心得て山には登りませんでした!」
山の上こそ、岩清水そのものであるのだが。ささいな事でも、先達の案内は必要である。
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仁和寺は京都の北、北野天満宮があるあたりにある。そして石清水八幡宮は、ことしの高校サッカー全国大会決勝まで行った久御山高校があるあたり。距離的には約20km。法師のじっちゃんご苦労さまである。
知らないことは罪だねぇ。謙虚に先達に教えを受けるべきだし、そういう先達を持つということが大事だということだねぇ。
石清水八幡宮
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