しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「ボトルネック」   米澤穂信   

2012年08月26日 | 読書
「ボトルネック」   米澤穂信         新潮文庫

高校1年生の嵯峨野リョウは、2年前に東尋坊で死んだ諏訪ノゾミを弔うために東尋坊に来ていた。
ノゾミは事故で崖から落ちた。
そんな時、兄が死んだと携帯電話で母親が不機嫌に伝えて来た。
白い花を崖に落とした時、風にのって声がした。
(おいで、嵯峨野くん)
その瞬間、リョウは平衡感覚が狂い“落ちた”と思った。
しかし、気が付いたのは自宅のある金沢の、浅野川の堤防のベンチだった。
リョウが自宅に帰ると、そこには見知らぬ少女サキが居て、自分の家だと言う。
家の中は小さな違いはあるが、リョウが知る、自分の家だった。
2人で話すうち、サキは生まれなかったリョウの姉で、そこにはリョウは存在していないことになっていた。
リョウとサキは2つの世界の間違い探しをしていく。






自分がいる世界といない世界。
その間違い探しは、始めは面白いと思ったのだが。
それがかけ離れて違う世界、と言うのはあるだろう。
しかし、それが一人の存在がもたらす事と言うことになると、あまり納得がいかない。
自分の存在価値。
死んでしまったノゾミも、リョウがいなければ生きて居られたと分かる。
あまりにも残酷な違いで、唖然としてしまう。
こんなに過酷な世界をリョウに用意しなくても、と思ってしまうが。
サキの態度に感じられる、優越感も気になる。
もう少し、親身になってリョウの立場を考え、心配は出来ないのだろうか。
ただ、面白がっているだけなのかと、不快にもなる。
リョウの最後の呟きが、痛すぎる。
しかし、こんな状態になれば、きっと誰もがそう思うだろう。
自分がいない方が、いいのでは、と。
それでも、未来は今の時点では分からないのだから。
生きていないと、それを確かめることも出来ない。
生きて産まれてきたことだけで、きっと意味があるのだと。
ツユがそれを知らせてくれたのが救い、か。
もっとはっきりした、救いがあればいいのだが。
過酷なことを見せるだけでは、どうしたらいいのだろうで終わってしまう。


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