コロナウイルス感染防止策が始まってから「移動」の自由が制限されてしまった。そのことでストレスが溜まっている人は多いと思う。何事によれ自由が制限されるとストレスが溜まるが、より大きな自由の制限はより大きなストレスを生む。
移動の自由というものは我々人間が持っている自由の根幹をなすものだ。だから移動の自由の制限が招くストレスは大きいのだ。
日本国憲法は22条1項で次のように述べている。
「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」
現在緊急事態宣言で「在宅」が要請されているのは「移動」つまり外出や旅行がウイルス感染を拡大させる可能性があり、公共の福祉に反するから自粛が求められているのだ。
だがこの状態が続くことはストレスを生む。何故在宅を続けることがストレスを生むのか?
その答えが徒然草の中にあった。
兼好法師は「いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ目醒むる心地すれ」(第十五段)と語りかける。
「どこでもよい、ちょっと旅をすると目が覚めるような新鮮な気分になる」というのだ。
旅には絶えず発見があり、それが心を新鮮にし、リフレッシュするのだ。
兼好法師は「さようの所(田舎びたる所、山里など)にてこそ、よろづに心遣ひせらるれ」
「自分の住んでいるところをはなれて田舎を旅すると心配りが細やかになってくる」と述べている。
我々の心は新鮮なものに触れて垢を落としてやらないと劣化するように仕組まれているのである。
その仕組まれた本能ゆえに人類は遠くに旅し、自分達の居住地域を拡大し、今日まで発展を続けているのである。
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