金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

何のために生きる?武井保雄氏の死

2006年08月21日 | うんちく・小ネタ

たまたま消費者金融の問題に関心を持っていたので、ある雑誌に出ていた武富士の前会長に関する記事に眼が留まった。

その記事の骨子は次の通りだ。

消費者金融最大手武富士の創業者で前会長武井保雄氏が8月10日肝不全で死去した。享年76歳。「カネを残せば、後々人は、あの人は偉かったと言ってくれる。いくら現在、いいものを食ったってクソになってしまえばみんな同じだ」とかって友人に言っていた武井氏。2004年11月盗聴事件で電気通信業法違反と名誉毀損で有罪判決を受けた。有罪判決を受けた後、経営の一線を引いたはずだったが、その実は自宅に会社の幹部を呼びつけて指示をしていたらしい。

武井氏を突き動かしていたのはマズローの欲望五段階説に即して言えば4段階目の「尊敬の欲求」であり、それが異常に強かったということだろう。武井氏がマズローの欲望五段階説を知っていたかどうかは知らないが、マズローは5段目に自己実現の欲求をおいている。

又マズローは別の本で人間の最高の目標は至高体験をすることだと喝破している。自己実現=至高体験と言い切れるのかどうかは私には分からないが、ただ自己実現という言葉が時として低俗な自己肥大に陥るリスクを内包している。従って至高体験を人生の最高目標に据える方が間違いが少ないと私は考えている。私は至高体験を「魂が震える程の美しい自然・芸術・人間の崇高な行為等に出会うこと」と解釈している。

武井氏が金を残したことで偉かったと言われたかどうか?あるいはそれで幸せであったかどうかを知る由もない。しかし彼は人生の中で至高体験をしたことがあったろうか?

例えば見ず知らずの人に救いの手を差し伸べ心からの感謝を受けた、或いは晩秋の山奥で凍るような星の光を見つめて悠久の想いに耽ったという体験をしたことがあったろうか?死のその時満ち足り悔いはなかったか?

敢えて武井氏の過ちを二つ指摘すると次のとおりなのだ。まず人生の終局の目的は「偉かった」といわれることではなく、至高体験をすることだといこうことで目的設定に誤りがあった。次に仮に尊敬されることを人生の目的とするとして、尊敬は稼いだ金の多寡で得られると思ったことが過ちだった。人は金を稼いだことで尊敬されるのではなく、その金をどう使うかにより尊敬もされ軽蔑もされるということを彼は知るべきであった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プライベートバンキングの花盛り | トップ | 暑い日は写真を遊ぶ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

うんちく・小ネタ」カテゴリの最新記事