追憶の彼方。

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(続)秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて

2018年12月06日 | 政治・経済
続)秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて

予想通り怒り狂った官邸の猛烈な圧力で宮内庁は火消しに躍起である。
宮内庁西村次長は……宮様のご発言は政府決定への反対ではなく「宮内庁に対する叱責」と考えており,今後は意見が違うことがあっても理解いただくことが必要で、二度とこのようなことがないよう、しっかりと対応してまいりたい……と述べたと報じられている。
この報道が事実とすれば平目官僚の面目躍如、官邸には恭順平伏し、一方守るべき宮様に向かっては黙って政府方針に従えと言う恫喝まがいの言いよう、全く不敬極まりない発言である。
安倍政権は本件に限ったことではなく、沖縄問題始め、国家の将来を決するような重要法案の審議等あらゆる問題に付いて「全く聞く耳持たず、問答無用の切り捨て御免」を地で行く強権・専制振りである。それを正すのが国民の公僕であり、皇室の代弁者たるべき宮内庁を含めた役人の責務である。
常々皇室の意向を聴取しそれを予め政府や国民に伝えて対処法を政府と共に考えるのが最大の任務である。それが出来ないなら即刻辞表を書くべきであろう。
このような平目役人に囲まれた皇室の不幸は真に同情に値するし、同時に国民にとっても大きな損失である。
安倍や日本会議メンバー、頭のおかしい古色蒼然たる歴史学者達といった明治礼賛に凝り固まった連中は明治維新のテロリスト下級武士同様,天皇を都合の良い国家統治の道具としか見ていないのである。
(明治維新以降の天皇論に付いては別途取り纏めたい)

11月27日,天皇・皇后陛下が静岡県袋井市を訪れベトナムの独立運動を支援した浅羽佐喜太郎医師の記念碑を視察されるとの報道があった。「戦争責任…(6)太平洋戦争への道」でも触れたが、フランスからの独立に燃え日本に希望を託した多数のベトナム人が来日し,留学生として勉学に励んでいたが,日露戦争終結後、桂内閣は日本の敵対国フランスと1907年日仏協約を結び彼等を日本から追放して其の独立運動を叩き潰す暴挙を行った。そのような政府意向にも拘わらず密かに彼等の活動を支援したのが浅羽医師である。この記念碑建設により日越交流が深まる契機となり、今日のベトナムの対日好感情にも繋がっている。今上陛下はこの様な小さな歴史の一齣にもよく精通しておられ、この一件からも天皇が如何に幕末から敗戦に至る歴史にお詳しいかが垣間見える。これは偏に明治から昭和に至る天皇が政治に悪用され結果として国民を苦しめることに成ってしまった失敗に思いを馳せ、その轍を踏むまいとする強い意志のなせる業であろうと思われる。

今上天皇の秋の叙勲の大綬章親授式の様子を拝見して、あまり晴れやかな御様子で無かったと考えるのは、穿ち過ぎだろうか。
かって将棋界の重鎮で東京都教育委員会委員だった、愚かな米長邦雄が園遊会で陛下に「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と発言し、陛下から「強制することは好ましことではありません」と諭され平身低頭・恐懼したとの報道や、 靖国参拝、明治150年式典への出席を回避しておられる事実を勘案すると、上記の様なお気持ちをお持ちなのではないだろうか。
戦争責任を問われる昭和天皇の苦悩を間近にご覧になり、「国民に寄り添う事を第一義とする」という点を象徴天皇として最も重要な立ち位置にされた賢明な陛下にとって明治時代の残滓とも言うべき自己中心主義、上から目線の制度、行事、考え方に違和感を抱いておられることは間違いないと考えるのは私だけでは無いと思う。
元々大袈裟な叙勲や園遊会は明治の遺物、残滓に近い物であるが、とりわけ叙勲は(戦争責任…(6)」で触れたように明治政府の手足となる官僚、とりわけ軍人を統御し、彼等の権威を高めて、国民の国家への従属意識(官尊民卑)を強める為の強力なツールであり、加えて長州の下級武士に過ぎなかった連中が「鷹司、九条と言った皇族」或いは「徳川、毛利、島津と言った藩主」と肩を並べる地位まで栄達を極める為の自己中心、自作自演の制度でもあった。山縣・伊藤(博)が皇族・徳川・毛利・島津と同じ公爵に、井上馨・松方正義・野津道貫、桂太郎が侯爵となった。「10万の英霊と20億の国費」費消によって得た栄達である。


戦後官僚制度が根本的に変わったため、従来の叙勲規定の適用が困難となり、1946年(昭和21年)5月3日の閣議決定により、「皇族及び外国人に対する叙勲と文化勲章」を除いて生存者叙勲は停止され、1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。」(14条3項)と定められたため、栄典に伴う様々な特権も廃止された。
只憲法には内閣の助言と承認により天皇が行う国事行為の一つとして「栄典を授与すること。」(7条7号)との条文規定が残された為、昭和21年以降は故人、皇族、外国人に対する叙勲、及び文化勲章は残された。
しかし乍ら今現在も、叙勲制度を含む栄典制度に関する法律は定められていない。そのため、栄典制度・叙勲制度は、日本国憲法7条7号が天皇の国事行為の一つとして定める「栄典を授与すること。」を根拠とし、明治8年太政官布告第54号「勲章制定ノ件」等、古めかしい文語調の明治時代の政令(太政官布告、勅令)・内閣府令(太政官達、閣令)・内閣告示等に基づいて、内閣が実際の事務を行い運用されて居り、厳密には憲法違反である。
(天皇の国事行為を有効にするためには、「栄典法」のような法律を作り、その内容を規定すべきであるが、過去に数回に亙り法案が国会に上程されたが何れも賛成が得られず、成案となっていない。)

1963年(昭和38年)7月、池田内閣は法制化を諦め、安易な閣議決定により、生存者叙勲の再開が決められ、翌年新しい「叙勲基準」も閣議決定された。これは戦前の叙勲制度が「官吏及び軍人」中心のものであったのに対し、日本国憲法の下では国民の各界各層を対象とする叙勲制度とするために叙勲の基準を新たに定めたものである。しかし実態は評価が曖昧、官中心で官民格差が大きい等批判が多く、平成11年12月8日、自民党内閣部会において、亀井政調会長から「21世紀を迎えるに当り、栄典制度を新しい時代にふさわしいものとするため抜本的な検討を加えるべき」との指示により、栄典制度検討プロジェクトチームを設けられ、有識者からのヒアリングを含め栄典制度全般について検討、平成12年4月13日、報告書をとりまとめた。しかし検討会そのものが内閣府賞勲局の官僚や自民党の政治家が中心で行われたため改革とは程遠い代物であった。
現在日本の栄典制度には叙勲(各界各層の全ゆる分野で国家・社会に功労のあった者を表彰する)と褒章(特定分野に付いて民間の各種善行者に授与される)がある。勲章は旭日、宝冠、瑞宝の3種類、夫々6段階に分かれており、更にその上に大勲位菊花章首飾、大勲位菊花大綬章、桐花大綬章がある.
又褒章には紅綬、緑、黄、紫、藍、紺の6種がある。学問や芸術・文化などで功績を残した人には「黄綬褒章」、顕著なボランティア活動などには「緑綬褒章」が個人や団体に与えられ、公共の利益に貢献した人には「藍綬褒章」が、人命救助に尽力した人には「紅綬褒章」が、学術・芸術・ 発明などに顕著な功績のあった者に「紫綬褒章」が授与されている。「紺綬褒章」の様に公益の為に私財を寄付した場合に与えられる有意義な褒章もある。
 学問や文化・芸術の分野でご尽力し、或いはその道一筋に励み技術を深めて職を極めた人たち、自分の命やお金や労力等を投げ打ってボランティア活動を続けて来られた人たち、民間に在って一般国民の利益に貢献してきた人たち、人命救助に尽力した人たちが褒章・勲章を受ける。このことは非常に良いことで積極的に進めるべきだと思う。
検討会議では叙勲制度は元々官僚を対象に発足したものでありある程度「官偏重」もやむを得ないといったニュアンスの事務局発言があるように改革の姿勢など到底見当たらない。最大の問題は巨額の税金を使って政治家や自分達役人の既得権を守ろうとする姿勢である。「国及び地方公共団体の公務」に与えられる叙勲にこそ問題があり、批判が挙がっていることが分かっていない。既得権保持の為敢えて図太い官僚精神で批判に背を向けているのかもしれない。
旭日章は、「国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者」に授与すると定められ「民間人や 国会議員、都道府県知事、都道府県議、市区町村長、市区町村議ら」に与えられる。
瑞宝章は、「国家又ハ公共ニ対シ積年ノ功労アル者」に授与すると定められ、具体的には「国及び地方公共団体の公務」または「公共的な業務」に長年にわたり従事して功労を積み重ね、成績を挙げた者を表彰する場合に授与される。国家公務員である大学長、大使、判事、裁判官、自衛官等々に与えられる。

今年秋の叙勲の大綬章親授式が11月6日、皇居で行われ、桐花大綬章のマハティ―ル首相、今井敬経団連名誉会長、斎藤十朗元参院議長、 旭日大綬章の大橋元最高裁判事、平沼赳夫、千葉景子等国会議員4人、渡辺元トヨタ社長、外国人一人、合計10人に勲章が手渡された。10人中6人が政治家・役人である。最高位の斎藤始め国会議員の受賞理由が概ね「多年に亙り国会議員として議案審議の重責を果たし、国政の枢機に参画した」という程度の事である。受賞者の顔ぶれを見ればこれ以上の叙勲理由を書き様が無いことが分かるが、国民の公僕として巨額の報酬を受け、極めて当たり前の仕事をしたに過ぎない人物が果たして表彰に値するのか、外国人や民間人受賞者に対しても失礼に当たるのではないかと思う。
此処で留意したいのは、叙勲に関わる費用である。内閣府の予算数字を調べると春秋併せて8千個,其の褒章品の製造コストは総額27億円(最近年度はほぼこの水準、1978年度は4.6億というネット情報があったので、これが事実とすればこの間約6倍の膨張である)、これに関わる事務経費(人件費等…どれだけの人間が係わっているか)を加えると気の遠くなる様な金額である。
国(酷)税から政治家や公務員に高給を払い、その上何故これ程巨額の経費を懸けて彼等に褒章を与える必要があるのか。利権の温床になっている可能性も強い。
陛下が叙勲者の顔ぶれを見て晴れやかな御様子になられなかったと同様、税金の無駄遣い此処に極まれり、消費税増税など以ての外という感を強くする。

この項(続・続)秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて……へ続く 

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