追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

西暦か和暦か

2017年08月13日 | 文化・文明
西暦か和暦かを考える前に議論の発端となった天皇の生前退位の問題に触れて置きたい。

2017年6月9日,天皇陛下の生前退位を実現する「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立した。
朝日新聞皇室担当の岩井氏によれば昭和天皇は明治天皇を鑑としたが、現天皇は災禍に苦しむ民衆に思いを馳せ心を痛められた「清朝第5代の雍正帝」や「後奈良天皇」の名を挙げておられるとの事である。とりわけ雍正帝は戦争を嫌い、政治家・軍人・役人の腐敗には峻厳で、公務にも献身的、史上まれに見る勤勉な皇帝という事で知られている。

明治憲法では天皇の地位は神の子孫であると言う全く根拠のない神話に支えられていたが現憲法は国民の総意により成り立つとなっている。
天皇は憲法が定める象徴天皇の枠組み、即ち>「日本国民統合の象徴」「日本国民総意に基づく存在」とは如何なる存在であるべきかを考えたとき、象徴天皇像を作り上げる上での一つの理想像、謂わば自らの範としてこの様な過去の賢帝を念頭に置いておられたおられたのではないだろうか。
象徴天皇として日本で初めて即位されたが、象徴と言う曖昧模糊とした立場を聡明さと広い視野、確たる歴史観によって民主主義の時代にふさわしい象徴天皇像を永い年月をかけてを作り上げてこられ、それを確固たるものにする謂わば集大成の仕事として生前退位の問題提起をされたものと推測される。被災地で被災者と膝を突き合わせ痛みを分かち合い、太平洋戦争の激戦地に慰霊の旅を繰返されると言う行動を通して国民の間に象徴天皇像を具現化し、確固たるものにされたのである。
2016年8月8日陛下は生前退位の意向をにじませたお気持ちを表明された。国民の間に定着し広く支持されてきた象徴天皇としての形を維持していくにはには制度的な不備を改めて欲しいというお考えから発せられたものである。
その骨子は
* 80歳を超え身体の衰えを考慮すると全身全霊で象徴の務めを果たすことが難しくなった事を案じている。
* 国事行為や象徴としての行為(公的行為)を縮小することには無理がある。
* 摂政置くのは、勤めを果たせぬのに天皇であり続けることになる。
* 終焉に当たっては葬儀と即位の儀式が同時進行し行事に関わる人や家族がが厳しい状況になる。

この様なご発言に対し多くの学者から憲法の定めにより「天皇は国事に関することのみを行い、国政に関する権能を有しない」のであるからこのような政治的発言は許されないと言う様な視野狭窄・硬直的な発言が多く聞かれた。
天皇は国事行為を行うだけの存在であり政府の決めたことを唯々諾々と従っておればよいと言う様な人権無視は憲法の基本姿勢に反する考えであり、公的行為の否定は天皇制に対する国民の離散を招くことに繋がる。このような矛盾点を放置してきたのは政治の不作為であり、現天皇は存命中に何とかこの矛盾点を是正したいと言う思いが今回のご発言になったものと思われる。
天皇は世襲制で職業選択の自由もなく、しかも死ぬまで公務を続けそれを拒否する権限もない、老齢となっても自由な生活が極めて制限されてしまうと言う様な人権無視、一体学者や政治家は何を考えているのか。
陛下は、自分の我儘で言っているのではない、象徴天皇制を定着させるために生前退位は一代限りでは無く、制度化でなければならないと言う意向であった。
しかし安倍政権は生前退位の制度化は皇室典範改正に繋がるとして今の陛下に限り生前退位を可能とすると言うその場凌ぎの特例法で問題を有耶無耶にしてしまった。
皇室典範改正に踏み込むと女系天皇の可否や今の皇室典範に残る明治憲法との整合性が消滅する恐れがあり、戦前回帰、明治憲法を金科玉条の如く考える似非右翼に配慮したものである。




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