goo blog サービス終了のお知らせ 

追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

岸田・木偶の棒首相・続編―(1)

2023年06月11日 | 政治・経済
岸田・木偶の棒首相・続編―(1)

岸田首相襲撃事件をきっかけに好機到来と言わんばかり、安倍殺害事件の山上被告バッシングが猛烈な勢いで息を吹き返した。
曰く、「起こるべくして起こった山上被告の模倣犯」、「山上被告を「同情できるテロ犯」扱いしたマスコミの罪」「山上徹也を英雄視したヤツらは反省しろ」「山上を悲劇のテロ犯に仕立て上げ、安倍元首相を「加害者」「悪人」扱い の非道」等々、山上批判の勢いは止まるところが無い。 
しかし、ジャーナリスト・鈴木エイト氏も指摘するように、山上被告に同情こそすれ、彼を英雄視した記事や報道など見たことも無く、とんだ濡れ衣の類と言える。そもそも彼の行為に政治的意図など全くなく無く、自分や家族を不幸のどん底に陥れた統一教会、この反社組織を取り締まるべき立場に有った総理大臣が、その影響力を顧みず全く真逆の「広告塔としての役割まで演じ、庇護支援していた安倍」に対する単純な「怨恨による殺傷事件」であって、テロと言う様な大それたものではない。 安倍が自ら招いた殺傷事件に過ぎない。
今回の事件は木村容疑者が未だ黙秘を続けて居る為、事件の動機が安倍殺害事件に触発されたのかどうかも含め、詳細不明だが、メデイアの報道が伝える状況証拠から選挙制度や政治の在り方に不満を抱いていたことが明らかになっている。
集会の場で爆弾を投げつける等の無差別殺傷行為は断じて許されるものでは無いが、その主張は誰もが感じている事で充分理解できるものである。
確かに(選挙年齢)は18歳であるのに対し、(被選挙年齢)が、(衆院)-25歳、(参院)-35歳と区別されているのは何故なのか、区別する必要性についての合理的な説明も無く、世界標準に照らしても異常、全く理解不能である。又選挙供託金に至っては殆どの国で設定されて居らず、しかも3百万円と言うのは途方もない高額で、世襲政治家達、既得権益連中が設けた参入障壁以外の何物でもない。違憲裁判に訴えて(行政に忖度するヒラメ裁判官)の多い日本では満足な答えは全く期待できない。
両事件に共通するのは無力感から来る絶望がその動機になっている事だ。「統一教会問題」や、「不合理な選挙制度問題」は日本の民主主義を維持していくうえで解決しなければならない極めて重要な社会問題であり、息長く報道を通じて議論の場を維持しフェードアウトさせる事の無いよう留意する必要がある。模倣犯を誘発するので報道は控えるべきだとの(たわ言)の類などに一切耳を貸す必要性など認められない。寧ろテロを誘発し民主主義の根幹を揺るがす行為だとして容疑者を一方的に断罪するだけで、なぜこのような事件が発生するのかを検証し、社会に漂う閉塞感を打破しようと言う努力を放棄している政治家達こそ責められるべきである。
「テロを起こした人間の主張や背景を一顧だにしない」と主張する自民党・細野豪志議員など政治家失格、政権与党の人間のこの様な軽白な発言こそ事件を誘発している事に気付かない無神経な政治家の何と多いことか。
岸田襲撃事件の動機が社会に蔓延る不合理な問題に対する不作為への抗議行動と報じられているが、岸田の木偶の棒ぶりは目に余る。(総理の椅子に居座り、それを長期間維持する事)が最重要課題、それが自己目的化してしまって、国民・国家に貢献すると言う政治家本来の役割や、自らの理念や信念に従って日本社会を改革しようと言う意思や情熱がまるで感じられない。安倍や菅以上に政権維持への執着心が強く、其の為には善悪お構いなし、短絡的で手段を選ばない政治手法は極めて危険である。
その最たるものは、保守層へのおもねりである。安倍悪政を支えた保守層と緊密な関係を有する派閥・清話会の支持を取り付ける為、松野・萩生田を内閣、政党の重職(官房長官、政調会長)に登用、清話会が最も深く関っていた統一教会問題も解決の姿勢は上辺だけで野放し状態、派閥の重鎮・細田衆議院議長や萩生田の統一教会問題も不問の儘である。保守の総本山、(日本会議)や(神社本庁の政治団体である神道政治連盟)は自民党、特に安倍派・清話会への圧力団体として、日本の近代化に大きな足かせとなって来た。今や実態からかけ離れた「伝統的家族観」から一歩も抜け出せない保守層の圧力に屈して「性的少数者の人権・権利保護」更には「性同一婚」を認めると、世の中の価値観がひっくり返るとまで言わしめている。G7で日本だけがLGBTQに対する真摯な取り組みが殆ど無されず、人権保護の認識の薄さ、後進性を指摘されるのを恐れ、体裁を繕う為の(やってる感)を示す為の心の通わない法案作りを進めている。この(やってる感)こそ木偶の棒総理の真骨頂、保守層の意に沿わないことは(緊張感をもって注視する、今後とも慎重に検討し議論を重ねて行かねばならない)が常套句、端からやる気が無い。其の内忘れられてしまうだろうと放置したままで、(無責任そのもの、恥の観念希薄な木偶の棒総理)の面目躍如である。少子化対策等鳴り物入りで出来上がった「こども家庭庁」も当初子供は社会で育てるものだと言う考えで、「こども庁」であったが保守層や統一教会が主張していた子供は家庭が育てるものだと言う考えに押しきられ「家庭庁」が付け加えられ、当初の理念から後退してしまった。
更には安倍ですら、ためらっていた日本の軍事大国化への道に大きく舵を切った。
2014年7月安倍内閣は、多くの国民の反対を無視して集団的自衛権行使容認を閣議決定を強行した。 これは、歴代内閣が行ってきた憲法第九条の(自衛隊が存在しても軍隊ではない)と言う解釈を投げ捨て、日本が攻撃されていなくても(例えば米国に対する武力攻撃があれば、日本の存立危機事態発生)として、自衛隊の海外での武力行使を可能にする暴挙であった。
この軍国化への総仕上げとして昨年12月岸田内閣は安全保障の基本方針「国家安全保障戦略」の改定を行った。この改定によって瀕死状態の憲法9条の中でかろうじて残されていた(専守防衛)と言う柱が消え去ったのである。「日本が弾道ミサイルなどで攻撃を受けた時、相手国のミサイル基地を攻撃できる能力を自衛隊が保有する」、其の為米国の巡航ミサイル「トマホーク」を500発購入する話まで具体化しつつある。これによって日米安保条約により米軍への基地提供、駐留経費の負担等により守ってきた専守防衛の柱、9条の精神は完全に失われることになった。日本が攻撃された時、ミサイル防衛システムやイージス艦を備えた自衛隊が応戦するのは当然であるが、日本が攻撃されていない、侵略もされていないのに進んで戦争に参加できるようになったのである。安倍・岸田と言う知性無き二人の首相の意思で国民の覚悟はおろか意見さえ聞かずに閣議決定と言う悪習で国の形を変えてしまった。加えて来年度から5年間の防衛費を従来の1.5倍の43兆円と言う途方もない金額に増額する計画も決定した。周辺国との外交努力は全て捨て去って、NATO諸国へ右へ倣えの軍国化への総仕上げである。案の定、5月12日発売の米誌タイムの表紙に強面の写真と共に「日本の選択」と言う記事と共に、岸田が「長年の平和主義を捨て去り、自国を真の軍事大国にすることを望んでいる」と紹介された。慌てた政府は「表題と中身に乖離がある」としてタイム誌に抗議、タイトルを「岸田首相はかつて平和主義だった日本に国際舞台でより積極的な役割を与えようとしている」に変更させた。しかし岸田がやっている事は最初の標題と何も変わっていないし、バイデン米大統領も極めてご満悦だったとの報道もある。
岸田は常々安全保障について「私が会長を務める宏池会は〚軽武装、経済重視〛を志向する政策集団である」と胸を張り、安倍・菅へのアンチテーゼとして「聞く力」を国民に約束して来た。しかし総理の座を維持する為には主義主張や約束は簡単に反故にする。御厨・東大名誉教授は「岸田ほど物事を深く考えず、無頓着な政治家は過去にも見当たらない。深く考えないから状況追随主義である為、結論が早い。自分の欠点を深く考えないので、精神的に参る事が無い。原発事故や戦争、対中関係等で大きな問題が発生した時、非常に脆いのではないか。」と論評している。

岸田・木偶の棒首相・続編―(2) G7議長として  へ続く

安倍国葬雑感

2022年10月11日 | 政治・経済
安倍国葬雑感

不運と言うべきか、9月27日の安倍国葬の直前19日に、エリザベス女王の国葬が行われる事になってしまった。
誰もが予想した通り、何の疑問も抱かせず粛々と執り行われたロンドン・ウェストミンスター寺院でのエリザベス女王の国葬は、葬儀でありながらイギリス国内だけではなく世界中の人々に大きな感動を与えた。とりわけ印象に残ったのは、美しい建物に響く聖歌の調べやカンタベリー大主教他の聖職者の説教、トラス首相が聖書の一節の朗読など、キリスト教に詳しくなくても全体的に荘厳さと大英帝国の歴史を感じさせる1時間だった。
更に棺が通る女王ゆかりの場所すべてに、多くの人が追悼を惜しまない姿は、真に国民から愛され、尊敬されていたことを証明するものとなった。
一週間後に国葬反対の叫びの中、執り行われた安倍氏の国葬は英国葬以上の国税を投じたにも拘らず、外形様式も内容も何とも見劣りのするお粗末な儀式で、日本のイメージを悪化させる代物となった。安倍の葬儀を執り行った増上寺僧侶が「既に本葬も終わっている。この先何をやるというのか」という趣旨のコメントをしていたが、本葬を2度行うなどあり得ないし、憲法上も無宗教とならざるを得ない為、神官や僧侶も登場しない奇妙な儀式となった。要するに国葬とは名ばかり、血税を使う為の方便であり、宗教色のない単なるお別れ会に過ぎないということが明らかになり、人の心を打つような儀式にならなかったのである。
参列者も、G7現職首脳は全員欠席、関係が深かったと言われていたトランプや、ドイツのメルケル前首相、ファーストネームで呼び合った盟友のプーチンすらも欠席で、なんとも、うら寂しい儀式となった。G7首脳全滅となった事もあって、「そもそも安倍に人望が無く外交の安倍など虚像に過ぎなかった」「頼りなげな岸田首相と会談する価値が感じられない」「あらゆる分野で衰退気味の日本を最早重要視していない」の何れかか、全部ということなのかと言う皮肉な声まで上がる始末、 弔問外交となるはずが、殆どが弔問挨拶となり、日本の影響力低下を象徴する行事となってしまった。
国内参列者もお寒い状況だ。政府は海外や国際機関を除き、約6000人に案内状を送ったが、参列するのは3600人。出席率はわずか6割、案内状を受け取った人の中には「何故自分が?」と不審がる人さえ出る始末、兎に角、参列者を搔き集めようと焦るあまり、クーデターで実権を握ったミャンマーを招待し、国民を虐殺し人権蹂躙する軍事政権に正当性の“お墨付き”を与えたとして、国外から厳しい批判が寄せられるなど、テンヤワンヤの騒ぎとなった。
式典は自民党広報担当であるフジテレビの女性アナが司会を務め、参列した歴代首相や歴代議長の出席も、政権を安倍に売り渡した立憲の野田元首相のほかは自民党OBばかり。葬儀委員長は岸田首相で副委員長は松野官房長官だった為、実態は自民党のイベントか、せいぜい内閣と自民党の合同葬以上の何物でもない事が明らかになった。
更に遺骨を載せた車は防衛省に立ち寄り、式場でも自衛隊の弔砲、儀仗隊の参加、黙祷時の自衛隊軍楽隊の演奏曲は戦前の陸海軍歌で靖国神社式典曲でもある「国の鎮(しず)め」。自衛隊、靖国神社大好きの安倍に相応しい、軍国化の足音が聞こえて来そうな、何となく不気味さを感じさせる自衛隊葬そのものでもあった。
国葬中には、政府が制作した、安倍元首相の足跡や功績を紹介する映像が流された。強調された「功績」の一つが「女性活躍の推進」だが、2021年の世界のジェンダーギャップ指数の順位は156か国中120位で、先進国の中では常に最低レベル、アジア諸国の中で韓国、中国、ASEAN諸国より低い結果となって居り、嘘つき放題が其の儘踏襲された感じである。
岸田首相の弔辞も「安倍さん、あなたは一途な誠の人だった」と述べ、安倍が防衛省訓示で使った新渡戸稲造の「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」との言葉を「Courage is doing what is right」と英訳迄して持ち上げたが、「一途な誠の人」、「正義を行う勇気ある人」とは全く縁遠い人、安倍のどこを見て言っているんだとの声が数多く投げられた、全く同感である。又何かと言うと外交の安倍と持ち上げたがる桜井よし子等の職業右翼に応える為か「重層的な外交は、世界のどの地域とも良好な関係を築かれた。 日米の抑止力を飛躍的に強くしたうえに、インド、オーストラリアとの連携を充実させて、「クアッド」の枠組みをつくりました。 日本と世界の行く末を示す羅針盤として 世界からの参列者は皆同じ思いである筈である」と大見得を切った。しかし海外からの参列者の殆どが「クアッド」とは無関係、その何たるかを理解していたかは極めて疑わしく、長い弔辞に欠伸を噛みしめる人もいた。そんなことより「台湾有事は日本有事」等と中国に喧嘩を売るような安倍外交が世界のどことも良好な関係を築いたと言えるのか。米・バイデンに台湾有事には必ず日本が対応するとの言質を与え、俄かにやたら米議員団が訪台する等活気づいて対中強硬路線を取り始めた。国民の意思も聞かずに日本は本気で中国と戦争するつもりなのか。一朝事あれば沖縄の米軍基地が先ず最初に狙われることに成る、台湾と心中するつもりなのか、安倍は大変なお荷物を残してくれたことになる。日本が危機に瀕した時、海千山千、ロシアとも未だに好関係を維持する全方位外交のインドに期待することなど先ず不可能だと知るべきだろう。
続いて8年に及ぶ安倍悪政の共犯者、菅前首相の弔辞、少女小説にでも出て来そうなセンチメンタルな呼びかけは何とも気持ち悪さを感じさせるものであった。9月30日の東京新聞で北丸雄二氏が「恋々たる生乾きなポエム臭」と表現されていたが、実に言い得て妙である。
総理、あなたの判断はいつも正しかった。あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。一人の人間の判断が常に正しいなんて事があるわけがない。日本の現状に照らして、こんな根拠の無い称賛の言葉に対して拍手が沸き起こるのは無知・無能・無恥の自民党・身内の集まりだからだろう。
そんなことより山縣有朋が出て来たことである。そもそも他人の個室に入って読みかけの本の最後のページのマーカーの附された内容まで読むことなどあり得ない、全く下手な嘘を付くものだと思ったが、これは他人の弔辞の無断借用だったらしい。
それはさておき、安倍が山縣に関する本を読んで居た事は合点がいく。
2018・9・25ブログ戦争責任(4)で触れた通り山縣は外国への侵略主義者である吉田松陰の信奉者で民権運動を弾圧し、徴兵制を敷き、軍人勅諭や教育勅語を作って国民をマインドコントロールして日本を軍国主義化し滅亡に導いた張本人である。安倍が教育勅語を道徳教育に導入したり、メデイアをコントロールしたりしたのは山縣の手法を参考にしていたと考えれば合点がいく。2017年に防衛大の卒業式で「警戒監視や情報収集に当たる部隊は、私の目であり耳であります」「最高指揮官である私との意思疎通の円滑さ、紐帯の強さが、我が国の安全に直結する」などと語って、自衛隊を私兵扱いしていると批判を浴びたスピーチも、山縣が発意した「軍人勅諭」を踏襲しているとも指摘されていたのである。
山縣も国葬されたが国民の参列者は殆ど無く、軍隊葬と言われる程国民には不人気であった。
大正デモクラシーのオピニオンリーダーであった石橋湛山(戦後吉田内閣大蔵大臣、自民党総理・総裁)は 大正11年山縣有朋が亡くなったとき、「死もまた社会奉仕」という痛烈な文章を書いたが、何やら今回の事件を示唆している様な気がする。
あの殺害事件が無かったら、安倍や細田、萩生田、下村(博文)等の愛国・国体重視の職業似非右翼の連中が反社・反日の権化である旧統一教会の広告塔となり、裏で手を結んでいた事実が判明せず、この反日・反社組織がが身内の不幸に遭遇し途方に暮れ、弱い立場いる人に付け込んで、マインドコントロールして追剥ぎ同然の手口で金品を奪い取る事が今尚平然と常態化していたことに成る。
旧統一教会は反社活動を行い易くするため、多くの分派組織を作り蜘蛛の巣の様に張り巡らして国民の目を欺こうとしていた事や、自民党の選挙や政策に迄影響を与えていたことが白日の下に晒される事になった。
更には安倍と言う重しが取れた結果、検察による東京五輪汚職の闇にメスが入ったことである。特捜部の捜査によって、高橋治之元理事が受託収賄の容疑で逮捕され。贈賄側は、紳士服大手のAOKI、出版のKADOKAWA、広告代理店の大広、駐車サービス「パーク24」である。今後も、検察の捜査の対象となる企業が増えてくると思われるし、容疑は現職国会議員にまで広がる可能性もある。検察の捜査によって、五輪のようなスポーツイベントを食い物にする利権の構造が明るみに出て、この分野の政官業の癒着構造にメスが入れば画期的なことで、五輪の商業化に対する歯止めにもなるだろう。検察の存在理由が問われることに成る。
安倍や菅は高級官僚の人事権を使って忖度官僚を作りモラルを低下させる等やりたい放題をやってきたが、官僚制度の劣化にメスを入れその再構築を図る機会を提供したことに成る。
自民党は神社本庁、日本会議等の宗教関連組織を集票マシーンとして利用し、信仰の自由を盾に彼等を擁護して来たことも明らかになった。その辺の解明を進めない限り組織票の力で庶民の一票の価値が失われ、民主主義の存立基盤が失われることに成る。

木偶の棒総理・岸田

2022年09月23日 | 政治・経済
木偶の棒総理・岸田
5月に行われたマスコミ世論調査で、政権支持率が不支持から一挙に反転し岸田政権支持率は50パーセントを超えた。安倍・菅の(酷(国)税無駄遣いのヤリタイ放題政権)の空虚なビジョンやキャッチフレーズ、虚言・妄言・失言から解放されて、ヤレヤレと言う様な一種奇妙な安堵感を覚えたのと、コロナ第6波の一時的鎮静化やロシア制裁へのNATOへの追随、連合吉野会長が自民党茶坊主・田崎と同じスシローと化して自民党に取り込まれた為、野党の存在感希薄化に拍車をかけることに繋がった等々、岸田政権は何もしないのに、労せずしてタナボタ高支持率を懐にした。
訳も分らぬのに、トップダウン一辺倒で回りを混乱に陥れた安倍へのアンチテーゼとして「聞く力」を岸田首相の看板に掲げ、併せて総裁選公約の「岸田ビジョン」として「分断から協調へ」と言う耳障りのいいスローガンを打ち出した。しかしこの協調は自民党内部の話で、我々一般社会に対しては無神経にも真逆、国民の分断を煽るような事を平気で行い、国民無視で全く恥じるところが無い。
岸田の言う協調とは安倍・菅・麻生、その他老醜際立つ痴ほう人紛いの(無能実力者)に対する気配り・ご機嫌取りで、其の為に右顧左眄する姿は何とも痛々しく、ひ弱な総理の姿を炙り出してしまった。もう一つの公約は自派閥・名門宏池会の創設者・池田隼人を真似て「令和版所得倍増計画」を華々しくぶち上げたが、早々と腰砕けとなって「資産所得倍増計画」と言う、似て非なるものに変身させてしまった。「聞く力」は「聞くだけで何もしない・出来ない」 「聞きすぎて何をしたいのか意味不明」と言う自民党内に定着していた悪評が、一挙に一般社会にまで広まり、参院戦・自民危なしの空気が漂い始めた。そこに降って湧いたのが安倍殺害事件である。選挙演説中の衝撃的で生々しいテレビ映像に、すわ、「テロだ、暗殺だ、」と蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。「暴力による言論封殺」、「民主主義を破壊するもの」等々、与野党一斉に声明を発表し、メデイアも追悼の翼賛報道を垂れ流した。それに加えて、テレビ放映された衝撃的な殺害画面に、感情を揺さぶられ情緒的となった人々が献花台に行列を為す様な追悼の動きが、「安倍のミクス」やその失政の軌道修正をしないが為に、悪化する「岸田・インフレ」への批判を選挙戦のテーマから欠き消してしまった。更に殺害目的が統一教会の広告塔となり組織を支援して来た安倍に対する恨みである事が選挙終了まで意図的に伏せられたため、参院選は安倍の弔い合戦の様相を呈し自民の圧勝となった。岸田首相も思わぬ圧勝と、何かと小舅・大舅の様に口先介入しウルサイ重しとなっていた人物が忽然と居なくなり、思わぬ成り行きに動転してしまったのと、更には安倍の取巻き似非保守の(なんちゃって右翼)や党内最大派閥・清話会の支持を取り込む格好の材料とばかり、熟慮も無しに「安倍の国葬」をぶち上げてしまった。国葬をすれば外国要人が来日し弔問外交で国際社会に自分の顔を売り込む絶好のチャンスとも考えた。安倍に対する追悼など二の次、巨額の国税を使って自己の政権の座を安定・延命させようとの意図が丸見えである。しかし事件が落ち着き色々な事実が判明すると、容疑者には政治的意図は皆無、従ってテロや暗殺と言った大それたものではなく、憎むべき統一教会の広告塔、支援者である安倍に対する怨恨から生じた単なる殺害事件に過ぎない事が判明し、其の上自民党・安倍の清話会が統一教会と持ちつ持たれつの深い関係にある事実が次々表面化するにつれ、国民の事件に対する見方が180度転換した。この反社組織とは安倍の祖父岸が育て、父親を経て3代に亙り緊密な関係を続けて来た安倍元総理、それに連なる国会を代表する三権の長・衆議院議長・細田、経産大臣(現政調会長)萩生田、安倍の実弟・岸防衛相の他、安倍の腰巾着・山谷えり子(元国家公安委員長)や下村博文(元文科相)等の清話会メンバーが深く関って居り国政に迄影響を及ぼしている可能性が出て来たことで内閣支持率が急落した。
慌てた岸田は局面打開を図る為、「統一教会との関係断絶」をスローガンに内閣改造・党役員一新に踏み切った。
しかし蓋を開けてみると顔ぶれたるや、「反社組織との関係は切れません」と国民に挑戦状を叩き付けるかの様な陣容となり、一層の支持率低下と国葬反対の機運を盛り上げる結果となった。
安倍の腰巾着で反社組織と最も関係の深い一人萩生田を重要ポスト政調会長に起用し、歩行も儘ならない安倍の実弟・岸信夫を防衛大臣から総理補佐官に横滑りさせたほか、山際経済再生、加藤厚労の様な濃厚関係者を含め8人の閣僚が関係していたことも判明している。安倍お気に入りの高市早苗経済安保相や馬鹿丸出し杉田水脈政務官の登用は安倍に対する餞別の意味合いもあるのではとの噂も聞かれ、更には濃厚接触の疑惑は大臣だけではなく、副大臣や政務官にも広がり、岸田本人も疑惑が持ち上がって、永田町のトレンドワードはたちまち、岸田統一教会内閣”と揶揄される始末である。更に安倍自身が統一教会票を自民党員への配分を差配して居た点、主席秘書官・井上義行が教会から信者扱いされる程親密な事、岸信夫や萩生田の様に安倍の周辺には教会との関係が極めて濃厚な人物が数多く居た事、更には教会の名称変更や安倍や取巻きの右翼紛いの連中の主張が統一教会の主張と全く同じであるところから、統一教会の最大の支援者は安倍一族ではないかと言う事実が浮かび上がった。統一教会に恨みを持つ人間に殺害された支援者・安倍を国葬にして良いのかと言う疑問が出てきて当然である。安倍国葬に対する問題点は、(1)国葬が統一教会信者に信者である事の正当性を与える大きな材料になりこの反社組織を利することに繋がる。(2)国葬の法的根拠がない上、国葬自体「敬意と弔意を国全体として表明する」ものである以上、憲法第19条が保障する「思想及び良心の自由」を侵害することになり、民主主義の理念にも反し、憲法違反である。岸田首相は国民全体に弔意を強制するものでは無いと釈明し始めたが、それでは国葬ではなくなることに成り、明らかに論理矛盾で今や支離滅裂である。(3)巨額の無駄遣いとの国民の非難をかわす為に。費用の算定を過小に発表し国民を欺こうとした下心が見え見えである。当初は2.5億であったものがその後隠蔽体質を非難され16.6億に修正されたが、オリパラ費用が膨大に膨れ上がった例を見せつけられた国民はだれも信用していない。東京新聞によれば、世界各国の要人が集った皇位継承式典関係費として、警察庁は警備費として28億5000万円、防衛省も要人輸送ヘリなどで2億5000万円、外務省も滞在費などで43億1000万円の支出があった、と報じている。これらを合計すると、じつに74億1000万円もの支出となり、物価高騰も手伝い100億に達すると言う声も聞かれる。無駄遣いのやりたい放題だった安倍の追悼に相応しい壮大な無駄遣いとの自虐的な声が聞こえる。(4)安倍が国葬の対象として相応しいかと言う大きな問題がある。安倍の功績とは一体何か。国葬に対し国論が完全に2分したかに見えるが、反対が賛成を遥かに上回る。ネットでのデジタル献花には13万人近い献花があったと報じられているが、添えられたコメントは「国民の為に人生を捧げて下さった。」「体を張って日本と国民を支えて下さった。」の様に何れも情緒的で、国民の為に何をしたのかと言う具体的なものが皆無に近い。具体的に言い表せる様な功績が無いのである。一方、反対署名のコメントには「モリ・カケ・サクラ等の政治の私物化に始まり、安倍のミクスによる金融システム破壊と経済低迷・格差拡大、官僚のモラル低下、虚偽発言・答弁の連発による政治不信、仮病による無責任な政権放り投げ」等具体的な指摘が数多くあった。多くの人が「こんな人物の為に我々の税金が一円たりとも使って欲しくない」と言う反対論に100%同意である。
作家の赤坂真理氏が朝日新聞の「国葬考」欄で今回の事件で「自民党の(中身の無さ)が明らかになった。「何も上手くいっていないのに,上手くいっているように見せかける」のが安倍の本質であるが、本当は既に終わっている筈の自民党を終わっていない様に見せかけていた実態、自民党の空虚さを銃撃事件が白日の下に晒す結果となった。国葬は「自民党を弔う葬儀に見えて来た」との論評を加えられているが、まさに慧眼である。
岸田首相は「国葬を判断した首相として、批判、意見を真摯に受け止め、正面からお答えする責任がある」「閉会中審査の場に私自身が出席し、テレビ(中継)入りで質疑にお答えする機会をいただきたい」「丁寧な説明に全力を尽くす」と訴えた。 国葬実施の是非を論じる際に安倍元首相と旧統一協会との関りの問題を除外することはあり得ない。ところが、9月8日の衆議院議員運営委員会での質疑において、安倍元首相と旧統一協会との関りについて質問が出ると、委員長の自民党議員山口俊一氏が「国葬とは関係ないから答える必要がない」 と質疑を妨害した。事あるごとに丁寧な説明をすると言うが、同じことの繰り返しで、薄汚い言い訳でしかない。既に岸田の後任として茂木幹事長が出ているらしいが、日本の前途は暗い。
安倍元首相には葉茶滅茶総理の名前を進呈したが、岸田首相には木偶の棒総理が最も相応しい。
(註;木偶の棒…1 人形。あやつり人形。でく。2 役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。)

安倍国葬に根拠無し

2022年08月20日 | 政治・経済
葉茶滅茶総理国葬の不条理

数年毎の首相交代が常態だった日本で、歴代最長の在任期間を誇り、善悪は別にして、それなりの存在感を示していた安倍元首相の銃撃事件で、日本列島に激震が走った。新聞雑誌の殆どに「非業の死」と言う言葉が躍っていたが、多少違和感を感じたのでgoo辞書でその意味を調べてみた処、「非業」の意味②として「前世の善因を受けないこと、又そのさま」とあり、その用例として「非業の死」、更には「天罰逃れ難く、斯る(非業の死)を遂げました」〈円朝・怪談牡丹灯籠〉と言う表記があった。新聞雑誌等の紙上には献花や記帳の写真と共に衝撃的な事件による稍々感傷的ともみられる被害者賛美の記事も見られたが、SNS等の投稿欄には「自業自得・身から出た錆・因果応報」の言葉も数多く見られた。成る程、「新聞等の言う非業の死」とは明治時代に円朝が自作の有名な落語の中で語った意味で言っているとすれば、SNSと同じ考えにも通ずる記事だなと合点した次第である。
銃撃されたのは参院選の応援演説中であったこともあり、奈良県警は事件当日のうちに、「特定の宗教団体」への恨みに基ずくもので「政治的背景は無い」との情報を出し容疑者の動機にかかわる供述を発表したにも拘らず、テレビや政府までもが「政治テロだ」「民主主義への挑戦だ」とセンセーショナルな発言をし、しかも旧統一教会の名前を明かさなかったこともあって、岸田政権に陰りが見えていた選挙が、一気に「弔い合戦」の様相を帯び、これが参院選で自民党有利に働いた可能性が強い。
事件は容疑者の母親が旧統一教会に入信し、マインドコントロ―ルされてしまった結果、自殺した父親が残していった全財産を協会に寄付した上、韓国まで修行に出掛けて何日も家を空け育児放棄の状態にあった。食べる物も無く病気を抱える兄が自殺する等家庭はおろか自分の人生迄破壊されてしまった容疑者の心情を思うと、暗澹たる気持ちになり、とても容疑者を責める気持にはなれない。奈良地検の事情聴取に対し、母親は「事件で旧統一教会が批判され迷惑をかけ申し訳ない」と話しているといった母親の近況が報じられているが、完全に人格破壊されて居り、人間としてはおろか母親としての情愛の念すら捨て去って仕舞っている状況を見て、今更ながらマインドコントロールの恐ろしさに震撼せざるを得ない。一般にマインドコントロールされた人間とは論理的な会話が成り立たず、話がかみ合わなくなると言われて居り、容疑者が絶望感を味わったのもこの辺に原因が有ると思われる。
殺人の動機は一義的には家庭や人生迄破壊した旧統一教会指導者に対する恨みを晴らすものであったが、そのような不法行為を行う団体を取り締まり、国民を保護する立場にある総理が、その団体の不法活動を知りながら、更には被害者救済弁護団からの再三の忠告をも無視し、逆にその広告塔と化して団体発展に寄与しているのを知るに及んで、矛先をその指導者に向けたのは自然な成り行きだろう。とりわけ安倍が旧統一教会に送ったビデオメッセージの中で「教会の家庭の価値を強調する点を高く評価する」と言う部分を容疑者が繰り返し見ていたと供述しており、家庭を破壊された容疑者が安倍に殺意を抱いた大きな要因になったことが伺える。尚メッセージのこの部分は「旧統一教会」の名称を「世界統一家庭連合」に変更することに安倍が深く関与していたことを匂わせる物でもある。
山上容疑者の衝撃的な行為はパンドラの箱を開けることに繋がって、箱の中から肝をつぶすような政界の汚物があふれ出した。
この団体の日本での活動を奨励したのは銃撃された安倍が信奉する祖父の岸信介であり、父親も含め3代に亙って旧統一教会と持ちつ持たれつ、お互い利用し合う緊密な関係を保ってきたことも判明した。オウム事件終了後、取り締まり第2弾として統一教会捜査に罹ろうとした警察の動きにブレーキをかけたのも自民党有力者だとの証言もあり、安倍本人か彼に忖度する議員である事が容易に想像される。
教会の教えではこの世は悪に塗れた世界、植民地支配で韓国を苦しめた「日本はその悪を代表する国家=サタン」、従って「正義・善を代表する韓国」に貢ぐことが義務であるとして、宗教と言う道具を使って、どちらかと言えば純粋無垢で生真面目な日本人をマインドコントロールし寄付や霊感商法で教会の膨大な活動資金を集めたのである。判明しているだけでも被害件数3万件超、総額1000億円超の、巨大な反社・反日・詐欺組織である旧統一教会、彼等にとって日本は自民党政権お墨付きの「金のなる木」であり年間200~500億円に上る巨額の資金が韓国や、米国を中心とする海外の活動資金に流れた。徴用工問題で目くじらを立てる安倍政権や似非右翼連中が旧統一教会の活動を支援し黙認しているのは全く合点がいかない。更にこの韓国の反日・反社組織を日本に導入し支援して来た安倍一族の姿が白日の下に晒され、世の批判を浴びる事となった。
統一教会初代会長・久保木修己氏が2004年に「美しい国 日本の使命」という本を出版しているが、その2年後安倍は「美しい国・日本」を政権構想の一環として声高に唱えており、統一教会の借り物である事も判明している。自民党の改憲草案の半分は教会の主張通りと言われて居り、最早自民党統一教会の様相を呈しているとの声も聞こえる。安倍を賛美する萩生田光一、下村博文、高市早苗等の自民議員や桜井よし子等の頭の軽い似非保守派の開き直りや、混乱・狼狽振りは滑稽と言う他は無い。
旧統一協会は損害賠償訴訟にも敗訴が重なり、世論の目もあって、信者獲得も伸び悩んだため、既存信者への要求が強くなり、無理矢理「借り入れ」をさせ自己破産させる方法まで編み出した。この様な極悪非道な活動を容易にするため、政治を利用することを考え、統一教会の反共政治組織(国際勝共連合)を通じて自民党右派議員との関係を深めて行った。その頂点に居てパイプ役を務めたのが安倍であり彼が牛耳る清話会である。安倍は旧統一教会の票の自民党員への割り振り迄行っていたと報じられて居り、安倍の自民党内での勢力を強める基盤にもなった。清和会(安倍派)は、立法府の長である細田博之衆院議長(78)や行政府の長である安倍総理を筆頭に、岸信夫防衛相、下村博文元文科相、山谷えり子元国家公安委員長、など“ズブズブな仲”が報じられている。国有財産である国会や議員会館の会議室等でも旧統一教会幹部と支援議員との会合まで行って居り、立法、行政が反社会的組織に牛耳られている様相を呈している。 2019年、日刊ゲンダイが「安倍新内閣はまるでカルト内閣」として、教会と関係する大臣や役員が多数いることを伝えていたが、多くのメディアは安倍に忖度しこれを無視したことが今日の問題に繋がっている。メデイアの中にも多額の講演会料等の名目で資金援助を受けていた人物がいたとの情報もあり、社会の隅々に至るまで教会のクモの巣が張り巡らされていた可能性が強い。
“旧統一教会系議連”には判明しただけでも100名近い自民党議員が名を連ねているが、多くが清話会メンバーで彼等は選挙活動支援を受け、見返りに団体の活動への祝電、会合へ出席して歯の浮くような賞賛の挨拶・祝辞等、抜き差しならぬ関係が出来上がっている。統一教会との関係を聞かれても、「やましい事は無い」、「実態を知らなかった」、「関係ない」等々、政治家としての自覚に欠ける発言が多く、あらためて政治家の質の劣化が浮き彫りになった。たとえ無知無能であろうと国会議員と言う名称だけで、おおきな社会的影響力のある事を弁えない様な人間は国会議員の資格が無いと知るべきだろう。
旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)が「正体隠し」に悪用した名称変更をめぐり、関与が疑われる下村元文科相が崖っぷちに追い込まれている。下村氏は教団が19年越しの悲願を実らせた際の文科行政トップ。「受理しろと申し上げたことはない」などと釈明を繰り返しているが、当時の事務方ナンバー2だった元文科次官の前川喜平氏が「(下村氏が)イエスかノーか意思表明する機会があった。下村氏の意思が働いていたのは100%間違いない」と証言したのだ。「週刊文春」7月28日号が、統一教会の関連団体幹部が2014年6月に下村に陳情していたこと、関連団体が下村の政治団体に対し献金や会費を支払っていたこと、教団関係者が頻繁に下村が開いた会合に出席していたことなどを報じた。 又安倍が政権に返り咲いた12年の総裁選で旧統一教会の幹部が安倍氏を支援したと明言しているし、恩義を感じた安倍氏が教団の悲願だった名称変更を下村氏に指示していても不思議はない。  名称変更の申請は2015年6月で、文化庁は同年7月に受理、同年8月26日に認証した。当時の首相動静記録から、下村の名前は8回登場し、6月12日 閣議後、山谷えり子国家公安委員長とともに安倍首相と会談、6月22日 午後6時47分から7時3分まで安倍首相と会談、6月30日 午後2時26分から3時5分まで当時の山中伸一文科事務次官とともに安倍首相と会談等々其の慌ただしい動きが、名称変更への動きとして浮かび上がらせている。
霊感商法で悪名高くなった統一教会の名称を変えることで、勧誘や伝道活動をしやすくなり、名称変更後に統一教会とは知らずに深みにはまった被害者もいる。更には旧統一教会とは知らなかったと言い訳に使う悪質政治家も出てくる始末である。
献金、講演料と言う形での現金支払いなどのほか、無料での秘書派遣、選挙の際には大人数のボランティア派遣で選挙支援を行っている。宗教法人は税制面で優遇され、お布施に税金がかからない、また法人名義で不動産登記ができ、礼拝用の建物やその敷地の登記をすると差し押さえ禁止が保障される。宗教法人としての認可を得、そしてその法人格の維持のために、文教族の有力議員に近づくのは他の業界団体と同じ構図である。安倍はここに目を付け、宗教界を支配することが選挙に勝つためのコツだと考えた。これは祖父の岸信介が創価学会に目を付け上手く利用していたのを目にしていたのだろう。
「第二次安倍政権以降の文科相を見れば一目瞭然」、 2012年の安倍政権下以後の文科相は、下村博文、馳浩、松野博一、林芳正、柴山昌彦、萩生田光一、末松信介の7人となり、宏池会(岸田派)の林氏を除けば、全員が清和会だ。安倍政権以後の菅・岸田政権でも文科相ポストは清和会で牛耳った。宗教法人が学校を作りたければ、陳情してくる。法人格の維持も必要となる。その対価として“選挙マシーン”として宗教団体を活用したのです。 国政選挙では、カネもさることながら、無料で働いてくれるマンパワーこそ必要という。「電話かけ」「ポスター貼り」「戸別訪問」、この3つは一般の運動員から敬遠されがちだが、 信者は布教活動で戸別訪問や電話かけなどを日常的に行っている。布教活動と政治活動は通じるものがあり、信者は極めて優秀な“選挙用運動員”となる。安倍元総理は国政選挙6連勝を果たしているが、この自民等連勝の裏には彼らの下支えがあったことは間違いない。 安倍は右ポケットに「統一教会」、左ポケットに「神道系の日本会議」と「神道政治連盟」、後ろのポケットには公明党(創価学会)を入れ、これを上手く使い分けて長期政権を維持してきたのである。安倍のミクスはまさに宗教ミクスだったのである。(石原伸晃の紹介で「崇教真光(まひかり)」の信者宣言までしている。安倍の菩提寺は山口の浄土宗寺、密葬も大本山・増上寺。浄土宗は集票効果なしとして疎遠であった。)
安倍の死はテロでも暗殺でもない、単なる私怨による殺害に過ぎない。もっと言えば「カルト宗教を支援した元首相の末路はカルト被害者の恨みを買い、殺害された」と後世伝えられることになる筈である。
岸田首相はその人物を国葬にすると言う。死去からわずか6日後の14日に官邸記者会見で、自ら電撃的に国葬を実施すると表明し、各メディアは「重大速報」として世界に発信した。慎重居士、優柔不断で鳴る岸田首相が憲法違反を犯してまで愚かとしか言いようのない即断を行ったのは何故なのか。一つには保守・右翼に対するおもねり、二つ目には弔問外交で主役となり外交得点を稼ぐことぐらいだろうか。いずれにせよ巨額の国税を使い、無理矢理国民を巻き込んだ岸田政権のの延命策、自己中心の考え方である。
国葬を開く理由についてもっともらしく『①憲政史上で最長期間首相を務めたこと、②さまざまな分野で重要な実績をあげたこと、③国内外から哀悼の意が寄せられていること』の3つを上げ、「安倍元首相を追悼するとともに、わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く」と国葬の意義を語った。 
しかしこの3つの理由は、どれも納得できるものではない。
首相在任・憲政史上最長期は安倍の宗教ミクスを巧みに使い、森・カケ・桜の疑惑も官僚や司法を人事権を巧みに使って切り抜けたからにすぎない。権謀術数には長けていたが、特段立派な政治的実績を上げ国民の絶大な支持を得たことによるものではない。8年8カ月という憲政史上最長の首相在任期間、大統領任期で言えば2期に及ぶような長期間である。有能な政治家が本気で取り組めば後世に誇れるような政治的成果=レガシーが造れたはずである。しかし安倍の長期政権はレガシーどころか、日本に大きな負の遺産を残す結果となった。安倍政権下で日本の経済力は著しく低下した。先進40か国の国民1人当たりGDP(国内総生産)は、アベノミクスが始まる直前の2012年には、世界第13位、第10位のアメリカの95%だったが、2021年では日本は4万0704ドル、世界第24位まで急降下、世界第1位のルクセンブルクの3分の1以下、アメリカ(6万9375ドル)の58.7%、アジア第1位シンガポールの61.4%でしかない。韓国は3万5195ドルで日本より低いが、成長率が高いので、逆転は時間の問題である。2000年から2021年の増加率は日本が4.6%、アメリカが91.0%、韓国が188.0%、イギリスが78.5%、ドイツが64.2%と目を覆うばかり、原因は日本の成長率の低さと、アベノミクスによる円安の弊害である。「世界デジタル競争力ランキング2020」によると、米国が3年連続1位で、シンガポールが2位、中国(16位)や韓国(8位)が順位を上げるなか、日本は27位と、前年の調査から4ランクダウンという結果になっている。特に問題点として指摘しているのは「将来への備えー科学への取り組み」である。コロナ給付金で大騒ぎになりデジタル化が多少動き出したが行政のデジタル化の遅れが気の遠くなるような巨額の行政費の浪費に繋がっている。これらは全て政治の不作為の結果である。
現在IT・デジタル化推進による経済効果は約12.5兆円と言われて居り、河野大臣の手腕に期待したい。
そのほかでは間違った科学政策により頭脳の海外流失等日本の科学技術力は凋落の一途をたどり、特にインパクトのある科学論文数は2004年の4位から、現在は10位に迄下がっている。 
マレーシア元首相のマハティールは、かつて「ルック・イースト」を掲げ、日本を手本にする運動の先頭に立ってきたが、最近はその対象を日本から中国、韓国に切り替え、日本を失敗の経験から学ぶべき「反面教師」の対象に変えてしまった。
安倍政治に付いては2020年初頭より半年間に亙り「葉茶滅茶総理」と言うブログ標題で詳述したが、そのエッセンスは「葉茶滅茶の宴の終わり」として後部に再掲した。
岸田首相の言う様々な分野での重要な実績とは何か、国会を開けば野党から追求される為、外国訪問だ、夏休みだと逃げの一手である。
国内外から哀悼の意が寄せられていると言うが、殆どが儀礼的なもの、中には安倍の巨額の国費のバラマキ外交の謝辞のつもりだろう。安倍が銃撃された直後,献花や記帳がテレビに大々的に報じられた。ニュースが衝撃的であった為、一時的に感情が揺さぶられ感傷ムードが漂った事は事実であるが、統一教会の問題が表面化してからはどうであったか。献花や記帳に統一教会の2世メンバーが動員されていると言う情報も数多く流れている。銃規制の厳しい日本で首相が射殺されたと言うニュースが余りにショッキング・センセーショナルであった為、海外から多くの哀悼の意が寄せられたのは事実であるが、彼等は安倍が行政の私物化を極め、又国会で「モリカケ桜」疑惑に118回もの虚偽答弁を行った事など知る由も無い。岸田首相は「民主主義を断固として守り抜く」と力んでいるが、安倍の国葬と民主主義がどう結びつくのか、国葬は民主主義とは相入れないとして、戦前の1926年に制定された「国葬令」は政教分離を定めた現行憲法の施行により失効している。困窮にあえぐ国民が多い中で巨額の国費を使い,国会審議もせず強行する等、当に民主主義に反する蛮行である。統一教会とは長期に亙り利用し合う間柄だった安倍氏を国葬することは、国を挙げて統一教会を肯定し、応援することにも繋がる。国論は2分し内閣支持率は一挙に下降した。 世論調査の結果も国葬反対が賛成を大きく上回る傾向が強まっている。 
無意味・無駄な国葬は取止め巨額なその費用はコロナや災害に困窮する人々に回すべきである。


ブログ:葉茶滅茶総理最終章、葉茶滅茶の宴の終わり  ***より
「アベノミクスで始まり,アベのマスクの醜態で呆気なく幕を閉じた政権」「仮病で国民の同情を上手く誘って放り投げた無責任政権」「憲政史上最長だけがレガシィ」の空しい安倍政権であったと言える。 コロナ対策という突然世界各国首脳に出されたセンター試験に安倍はものの見事にその無知・無能・無策振りを曝け出した。主要23か国で行われたコロナ対応に関する国民の政権評価の内「政治的リーダーシップ」の項目では世界平均40点に対し日本は驚きの5点,断トツの最下位であった。安倍の「私や妻が…」の発言を契機に、まじめな官僚が命を絶ち、高級官僚は出世・栄達に目が眩んで、文書改竄・破棄は勿論、平気で虚偽の証言をするなど、官僚を中心に国家のモラルが地に落ち、民主政治が根底から破壊されるに至った。財務省の文書改竄、防衛省の日報隠し、厚労省の統計疑惑など、霞が関官僚群の劣化と見られる一連の現象も安倍政権による典型的な民主政治破壊行為の一つである。加計問題、桜を見る会、河井前法相・参院選買収事件等にみられる政治の私物化は正に犯罪行為であり、首相が市民から刑事告発されるに至っているものまである。

戦争責任最終回ー3

2022年03月20日 | 政治・経済
戦争責任最終回―3

1945年8月、日本がポッダム宣言を受諾し敗戦日となったその僅か2年前、1943年10月21日氷雨降る神宮外苑競技場に於いて、文部省主催の「出陣学徒壮行会」が開催された。戦況悪化・戦死者急増による兵員不足を補う為に、20歳以上の学生の兵役免除が解かれ、全く勝てる見込みのない戦地に無理矢理送り込まれることになった25,000人の大学生の出陣壮行会が行われたのである。観覧席には動員された女子学生や旧制高校生・約50,000人がずぶ濡れになりながら彼等を見送った。壮行会は大阪他5大都市、台湾、朝鮮でも挙行され、その徴兵者数合計は極秘扱いとされたが推定13万人と言われている。
「御国(みくに)の若人たる諸君が勇躍学窓より征途につき、祖先の威風を昂揚し、仇なす敵を撃滅して、皇運を扶翼し奉るの日は 今日来たのであります。 諸君はその燃え上がる魂、その若き肉体,清新なる血潮、全てこれ御国の大御宝(おおみたから)なのである。この一切を大君の御為に捧げ奉るは皇国に生をうけたる諸君の進むべき唯一つの道である。」
既に枢軸国3国の内、イタリアが無条件降伏し、日独共に敗色濃厚の中、総理兼陸軍大臣の東条が壇上、拳を振り上げ、甲高い声を一段と張り上げ亡国の演説を行っていた。「御国の大御宝」であるはずの若き学徒達に空虚な美辞麗句を並べたて、責任を回避する為、天皇の名を無断借用し、無駄死を強いる演説を行っていたのである。行軍に参加した学徒の多くは、陸海空軍幹部が考案した元祖自爆テロ「神風特攻隊」に無理矢理「志願兵」に仕立て上げられ若い命を断った。その無念の思いは彼等の遺書を集めた遺稿集「きけわだつみのこえ」に残されているが、その断腸の思い、涙無くして読むことが出来ない。
東条は自害に失敗し「捕虜になるなら自害せよ」との、自らが作った「戦陣訓」に背いて連合軍の捕虜・戦犯となり絞首刑となった。そればかりでなく、多くの国民を死に至らしめ国家を滅亡に導いた戦争犯罪人達のトップに立つ人間であるにも拘わらず、いつの間にか「昭和殉難者」という戦争犠牲者のトップに変身させてもらい、靖国神社に合祀までして貰って、戦争の歴史に学ばない「無知な総理」や、ネトウヨ・神道関連の票欲しさの卑し気な「所謂・なんちゃって右翼国会議員達」の参拝を受けている。内外の批判を無視して参拝する彼等の言い分は一様に「国家の為に犠牲となった方達に感謝し…」が決まり文句であるが、一体全体「国家の為に」とは「具体的に何を意味するのか、どの様に国家の為になったのか」、彼等の口から明確な説明を聞いたためしが無い。靖国に合祀された東条や軍幹部の多くは自分達の出世欲を満たす為に、侵略戦争を強行、勝算皆無の戦争を続行する等、幼稚・愚かな判断で「国家・国民にとって全く不必要な犠牲」を強いた人間達である。更に戦場で死亡した兵士達の多くは無能な陸海軍の高級官僚に騙され、或いは否応無しに無理矢理戦場に駆り出されて、犠牲になったのであり、残念ながら国家・国民に対して何等プラスを齎すものではなかった。
アジア太平洋戦争従軍戦没者約210万人の内、餓死・栄養失調による死者は60%強の127万人に昇ると言われて居る。安全快適な日本の料亭で、のほほんと美食三昧に浸りながら非情な戦争指揮を執っていた軍・幹部達と靖国に合祀されると言う事を知ったなら、餓死・戦死した兵士達は何と言うであろうか。これが無事生還した元陸・海軍兵士達の偽らざる声である。木戸内大臣によれば東条は明治の元勲同様に華族になりたかっただけだと述べている。
尚靖国神社でのA級戦犯合祀を取止める論議に強硬に反対しているのは東条家(主に次男)を中心に軍属、更には一部の右翼を中心とする東京裁判否定論者達である。彼等の言い分は、東京裁判は 「勝者の裁き」「勝者の復讐Jであるとか,事後法であるとか, その法的性質に論点をすり替え、東条達戦犯が犯した国家・国民、或いは朝鮮、中国更にはアジアの国々に対する犯罪を隠蔽しようとするものである。
確かに太平洋戦争には二面性がある事は否定できない。米英やソ連に対しては帝国主義国家間の覇権争いであって双方に善も悪も無く、勝者が敗者を国際法違反だと裁いたのはおかしい。しかし朝鮮・中国やアジアに対し帝国主義・侵略戦争、植民地化を進めた日本の責任は極めて大きく、アジア解放、植民地解放と言うのは言い逃れであり、何よりも日本国民に対して行った犯罪行為に対する責任は万死に値すると言えよう。連合軍による東京裁判が行われた為、日本国民による戦争指導者への追及が有耶無耶になってしまい、本来重罪に処されるべき人物が、戦後我がもの顔で日本社会において枢要な地位を占め優雅な生活をエンジョイし、昨今の無責任社会への温床となる弊害を生むことに繋がった。

長州藩・足軽の身分から謀略により、公家や徳川・島津・毛利等の大名と同じ公爵にまで昇りつめた山縣有朋が作った日本の軍隊、この特異な社会では人権無視等々外国には見られぬ独特の要素が盛り込まれていた。山縣の手によって1873年に徴兵令が施行されたが、当時の「海陸軍刑律」では戦闘に於いて降伏・逃亡する者は死刑に処すると定められていた。軍規律や上官の命令に背く者はその場で射殺することが認められていたのである。厳しい規律と過酷な懲罰により絶対服従が習性になるまで訓練し、兵士が自分の頭で考える余裕を与えず命令に機械的に服従する習慣を身につけさせた。
明治維新以降の政府・軍トップには兵隊は戦争の「人的資源」と言う考えがあり、目的達成の為にはその資源費消に躊躇する所が無かった。陸軍歩兵の戦場に於ける行動マニュアルである「歩兵操典」では「歩兵の本領は地形や時期を問わず戦闘を実行し突撃をもって敵を殲滅するにあり」として、肉弾戦を命じている。又兵士の生命を尊重せず、生命を守る配慮が極端に欠落していたのが日本軍隊の特徴であった。圧倒的勝利に終わった日清戦争では戦死者1400人余に対し病死者は10倍近くの1万2千人弱に達し、過酷劣悪な衛生状態を露呈した。
一方日露戦争では火力装備に劣る日本軍は兵士を「人的資源=肉弾」と見做してマニュアル通り白兵突撃を繰り返し、ロシア軍の大砲、機関銃の前に膨大な犠牲を出した。科学技術の進歩、新兵器による殺傷能力の増大にも拘らず、兵士の生命を軽視した白兵突撃や精神力が勝利の最大要素だと主張し続けた。日露戦争に於いて乃木大将が203高地で「忠義だ、御国の為だ」と言う美名のもとに肉弾攻撃を強行し多くの人命を失った。この乃木思想が神格化され軍人勅諭や戦陣訓となり、兵士が戦争の人的資源化されていくことになる。「肉弾3勇士=軍神」と言う様な異常な言葉が国威発揚の為として世間を賑わした。
更に兵士の健康・生命維持に不可欠な物資補給・輸送に対する配慮の欠如が人命軽視に繋がり、日本軍の残虐性が定着する遠因となった。この兵士の生命軽視、白兵突撃、精神主義の強調が何等反省されることなくそのまま受け継がれて、太平洋戦争の玉砕、特攻等に形を変え大きな犠牲に繋がって行くことになったのである。この様な実態は野間宏の小説・映画の「真空地帯」に詳しく記されている。
只、乃木大将の場合、明治天皇崩御に伴い夫婦で殉死し、日露戦争後の戦勝報国会に出席した際には、「皆様方の子弟を殺した乃木でございます」と目に涙を浮かべ後は首を垂れ、終始無言だったと言う。指揮官としての責任を自覚しての行動であり、国民から敬愛され乃木神社や乃木坂として後世に名前を残すところとなった。東条との大きな違いである。

日本軍隊・将官教育用の「統帥綱領」には「勝敗の主因は精神的要素に存する事、古来変わる処無し」と記されて居り、真面目なだけが取り得で頭角を現した東条はこのテキストを盲信し常日頃から金科玉条の如く「畢竟、戦争とは精神力の戦い。負けたと思った時が負けである」「敵機は精神で撃墜するのだ」等と馬鹿丸出しの発言を繰り返し、情報を軽視し冷静な判断を怠る事を繰り返して国家滅亡への道を邁進した。
国家の未来を大局的に俯瞰するよう多少なりとも訓練されていた武士を中心とする明治の軍人とは異なり、昭和の軍人は軍の中で純粋培養され、判断力を養う教育を受けず、知識の詰め込み教育一辺倒でペーパーテストには優秀なキャリア組のエリート軍人官僚であった。応用力や常識に欠け、軍人こそ出世・栄達の近道であると言った偏った考え方を持っ人間の集団であった。
国力に於いて10倍以上、遥かに優勢でしかも軍需物資(石油・鉄・機械類)の輸入供給先でもある米英等連合国相手に開戦するなど、常識では到底考え難い。結果は連戦連敗で武器弾薬を使い果たし、人間を戦争資源として戦争を継続し、最終的には一億玉砕、全国民を玉砕させようと迄考えた。自分達軍人は国家抹殺に類する事迄出来るんだと考えていたとすれば最早狂人の域である。天皇の持つ統帥権と言う錦の御旗を簒奪し狂犬の様に過激な発言を繰り返しクーデターの恐怖を武器に日本の政治を左右した軍幹部や高級参謀達の「無知」や「愚かさ」とは一体どの様なものであったのか。
日本では陸軍・海軍に於ける将官教育システムが確立せず、明治初期に導入した「皇帝の為に命を捧げる事が最も重要である」と言う様な情緒的で合理性の乏しい「プロイセンの軍事学」が昭和に至っても、そのまま通用していた。其の為、幅広い視野で現実を見据え、柔軟・臨機応変な判断を行い、組織を統括運営できるゼネラリストの育成が出来なかったのである。大局観が無く合理的・論理的判断力を欠いて居た為、根拠無き楽観論が戦争指導者の頭を支配していた。元々日本は神々の加護の元にあると言う「神国思想」があり、鎌倉時代中期の2度に亙る蒙古襲来も俄かに(神風=台風)が吹き、勝利したと言う話が広く信じられていた。更に明治政府が統治の必要性から天皇を神格化し「日本は天照大神の来孫である天皇が統治する国=神州」であるとして国家神道の徹底を図った。日清・日露戦争の勝利によりこの神国思想が一層浸透し,例え敗色濃厚でも、いずれ神風が吹き最後は「神州不滅」日本が勝つのだと言う全く根拠の無い楽観論が軍上層に蔓延していた可能性が強い。
この様な楽観論をベースに物事は容易に達成出来ると言う安易な考えで軍事戦略が建てられた。「中国は一撃でおとなしくなるはずだ。ドイツはイギリスを、或いはロシアを屈服させるはずだ。アメリカは女性の力が強く、イギリスがドイツに屈服し戦争が長引けば米国内に厭戦気分が広まり、停戦を申し出てくるはずだ。」 これらの根拠無き希望的観測は尽く裏目に出たのである。
3年9カ月に及んだ太平洋戦争のうち2年9カ月を主導した東條の戦歴は最初の闇討ち的「宣戦布告無き真珠湾攻撃」を除き連戦連敗、6か月後のミッドウエー海戦では米軍を侮り太平洋の制海・制空権一挙に喪失した。これにより武器弾薬・食料・兵員の補給が困難となり対米戦争継続は最早不可能な状況となったが、海軍が組織防衛優先のあまり、実情を隠蔽・公表せず連合艦隊司令部の責任追及もしなかった為、失敗を教訓として生かされなかったばかりか、戦局認識を誤らせ戦争を継続した為、無援の孤島が次々玉砕、戦争被害を拡大した。一年後44年7月サイパン島が玉砕したが、東条が「絶対国防圏」の一つとしていたサイパン陥落により、大本営戦争指導班は「今後帝国は作戦的に体制挽回の目途無く,ドイツの様相も概ね帝国と同じく、今後遂次じり貧に陥るべきを以て速やかに戦争終末を企図すべき」との結論を出した。この一連の動きに加え憲兵隊を使い恐怖政治行っていた東条に対し退陣要求が激化し、最早天皇の信任も無くなったと知った東条は渋々辞任した。この時期こそが戦争終結の好機で沖縄戦での大きな犠牲や本土空襲、原爆、ソ連の条約無視の対日参戦による大きな被害も防げたことになる。
次期総理を誰にするか、揉め抜いた末、朝鮮総督であった力量不足と言われる小磯に白羽の矢が立った。小磯が新設した最高戦争指導会議には梅津参謀総長、杉山元陸相、及川軍令部総長らが出席したが、東条同様「戦争完遂・重大時局克服突破」等々、対策・成算皆無にも拘らず、勇ましい言葉だけが踊っていた。小磯も戦争終結の真剣な議論をせず、希望的観測が頼りの「一撃講和論」を主張、フィリピンでの対米決戦に勝利し米国との終戦交渉を有利に進めるとの方針を決定した。しかし44年10月フィリピン・レイテ島で大敗を喫し、海・空戦力大半を消失し沖縄・本土決戦に舵を切った。「必勝の確算は無いが必ず負けるとは断定出来ない。死中に活を求める気迫を以て本土決戦に邁進する」「国民に竹槍の指導を行い、上陸する米兵に徹底抗戦・一撃を与え、有利な条件で講和の道を探る」。戦争に負けたら軍隊は組織・権力を失い戦争責任も問われる。どうせなら、日本民族もろとも心中しようという精神構造である。

無謀な戦争継続で戦力を失った結果、かねて戦力補強策として陸・海軍は競って特攻戦略の研究を重ねて来た。海軍は「特攻部」を作り、航空機による体当り攻撃、有人爆弾「櫻花」、人間魚雷「回転」を開発した。陸軍も負けじとし体当り攻撃を作戦の主役とし、大本営陸海軍部迄もが「全機特攻化」を決定する狂気に近い状況となった。兵士の死を前提とした特攻作戦により終戦までの間に9千5百人余りに達する若者が命を断った。
特攻の生みの親と伝えられる大西瀧治郎軍令部次長は特攻作戦では勝てない、しかし日本人の5分の1,2千万人が死んでみせる、そうすればアメリカは驚いて和平を申し込んで来る筈だ……このような無茶苦茶な発想が常に軍上層部の頭にあった。
戦艦大和の海上特攻命令と撃沈で日本の海軍の戦闘能力が消滅したにも拘わらず神風特攻機の沖縄海域への自爆攻撃が続けられた。沖縄特攻作戦を指揮した陸軍航空隊の最高責任者、菅原道大・中将は特攻隊員に「お前達に続いて我々も必ず行く」と言いながら、航空機トラブルで3回も玉砕に失敗した若き兵士を懲罰的に特攻最後の兵として特攻に送り出し、特攻兵は志願だったと弁明して戦後もおめおめと生き伸びた。特攻生みの親・大西瀧治郎軍令部次長は終戦の翌日,介錯を断り壮絶な割腹自殺を行った。大西と共に徹底抗戦派だった阿南陸相も軍を平静に保ちクーデターの芽を摘むため自決した。8月15日ポッダム宣言受諾の玉音放送後あった日の午前10時半、茨城県の百里原基地から房総沖の敵機動部隊に向け、特攻隊・第四御楯隊の彗星(艦上爆撃機)8機が出撃し、18歳から25歳までの搭乗員16名が戦死している。
また同日夕刻、九州の第五航空艦隊司令長官・宇垣纏中将は、大分基地より艦上爆撃機・彗星11機を率い、最後の特攻隊として飛び立った。宇垣中将はこれまで大勢の部下を死なせた責任をとるつもりであったが、この出撃は、玉音放送後に若者を死地に追いやった「私兵特攻」として、いまもなお強い批判を浴びている。自殺に他人を道ずれにすると言う卑劣な人間の発想である。

小磯は沖縄で多くの犠牲を生み1945年4月終戦への道筋も付けることが出来ず退陣した。後継首相は元侍従長で老齢の鈴木貫太郎(77歳)に決定した。東条が陸軍のクーデター説まで持ち出し陸軍畑の人間を推したが、結局天皇の信任が厚い鈴木に決定した。無能・杉山陸相は「戦争完遂、本土決戦必勝の陸軍施策実行」を組閣条件とした。
新内閣の外相には開戦時の外相・東郷茂徳が就任、早期和平を期しソ連に和平仲介を頼むことにしたが、ソ連からは日・ソ中立条約の不延長を通告して来て居り、まさに「愚策」であった。ソ連の最高指導者・スターリンは日本の領土に野心を抱いており、日ソ条約を無視して何時参戦に踏み切るか探っている最中で、当然明確な答えはしなかった。1945年7月26日ポッダム宣言が発せられた。日本は宣言を拒絶はせず少しでも有利に交渉を進める為、ソ連の返事を待とうと引き延ばし策に出たが、鈴木首相が記者会見で「何等重大なものと考えない、黙殺し戦争完遂に邁進するのみ」と答えてしまい、これが宣言拒否と受け取られ、8月6日広島原爆投下、8日ソ連対日宣戦布告、9日長崎原爆投下、の口実を与えて仕舞った。東郷の「愚策の為の時間の空費」と鈴木の「不用意な発言」が招いた取り返しのつかない悲劇である。
結局、10日陸相・阿南、参謀総長・梅津、軍令部総長・豊田の反対を押し切り天皇聖断により宣言受諾を決定、太平洋戦争終結となった。

戦争責任最終回ー3 太平洋戦争責任者総括