これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

昭和の香り―初の姉妹競演!

2012年06月28日 20時53分45秒 | エッセイ
 先日、エッセイ教室があった。今回のお題は「昭和の香り」で、昭和を思い出させる作品を書くことになっている。
 さて、昭和といえば何だろう。他のメンバーは、瓶飲料であったり、シミーズ(下着)やホットケーキなどを選んでいた。見事な出来栄えで、現代から当時にタイムスリップできた。
 一方、私が選んだものは家電製品だった。たまたま、同じ教室に通う姉・小日向流風も、似たような素材を選んでいた。さすがは血族だ。今回はこの偶然を祝い、姉妹競演のイベントを行いたい。

   マスメディアとともに                                                                       
                          小日向 流風(こひなた るか)
 物心ついた時、私はテレビっ子であった。白黒だったかカラーだったか、ハッキリ覚えていないが、よくテレビを見ていた。  
 両親によれば、近所の友達の家にテレビがあり、私がその子の家に遊びに行ったきり、暗くなっても帰ってこないので、父が無理をして月賦で買ったのだとか。
 子供の頃は、妹2人と3人固まって、下手をすると父親も加えた4人で、色々な番組を見たものだ。のど自慢にクイズ、野球や相撲などのスポーツ中継、ドリフのお笑いに時代劇など、昭和40年代終わりから、50年代にかけて、まさにテレビ三昧であった。
 小学生の頃の日曜日は、テレビで終わる。
「あっ、もう6時だ。ガッチャマンが始まっちゃう」
 誰かが言うと、バタバタッと3人でテレビの前へ集まる。続いて、6時半からはサザエさんを見て、7時から夕飯を急いで食べ、7時半からはハイジなどを放送していた、カルピス子供劇場を見なければならない。
「テレビばかり見てないで、夕飯の支度を手伝ってよ!」とか、「宿題は終わったの?!」とか、母の大声が飛び交うなか、
「あんたちょっと、手伝ってきてよ」
 適当に押し付け合って、誰かが少し犠牲になる。それ以外は、CM時に争ってトイレに行くなど、3人の動きは常に同じだった。8時になって、やっとテレビを消すか父に明け渡すか、である。
 毎週こんな日曜日を過ごし、何というか、子供心にも充実した休日を実感していた。
 中学生になると、アニメにとって代わって、『ザ・ベストテン』に代表される歌番組が、興味の対象となる。
 ちょうどこの頃、フォークソングよりちょっとあか抜けた、ニューミュージックなるジャンルが出てくる。この頃の私は、テレビは音楽物が中心となり、自室で友人との交換日記を書きながら、TBSラジオ『夜は友だち』を聴く生活へとシフトしていく。
 この『夜は友だち』は、オールナイトニッポンのような深夜番組ではなく、ちょうど0時で終わるので、これを聞き終えてからベッドに入るのだった。
 大人になった現在は、夕食時にNHKニュースを見るくらいで、普段テレビはインテリアと化している。今にして思えば、テレビ、ラジオを含めて、青春時代のなんと楽しかったことか。
 高校生になってから再放送で、子供の頃に夢中になって見た番組を、見る機会があった。『妖怪人間ベム』、ドラキュラやフランケンシュタインのような登場人物ばかりの『ドボチョン一家』、含み笑いをする犬のケンケンが好きだった『チキチキマシン猛レース』を見たが、これらの一体どこが面白かったのか、さっぱりわからなかった……。
 

   クーラーとカラーテレビ
                                笹木 砂希 
 先日、本格的な夏に備えて、エアコンのフィルターを掃除した。
 私が子供だったときは、暖房機能のないクーラーしかなかったことを思い出す。
 はじめてクーラーが届いたときのことを覚えている。暑い夏の昼下がりだったが、電器屋さんが「HITACHI」と書かれたクーラーを取り付けると、たちまち冷たい風が出てくる。すぐに部屋の中が、デパートのような快適な温度となった。
「どうだ、涼しいだろう!」
 父が満足げに尋ねる。家族のためでもあるが、暑さや寒さを誰よりも我慢できない父が、一番欲しかったのではないだろうか。
 クーラーのあとは、カラーテレビが届く。それまで、うちには映りの悪い白黒テレビしかなかったが、一転して、赤や青、黄色に緑などの色が鮮やかに映るようになる。当時は14インチほどの小さな画面に、細い4本の足が生え、丸いチャンネルを手動で回すタイプのものだった。
「どうだ、面白いだろう!」
 当時、人気のあったテレビ番組「秘密戦隊ゴレンジャー」を姉や妹と見ていたら、父が割り込んできた。「ゴレンジャー」は、スーパー戦隊シリーズの1作目で、赤、青、黄、緑、桃の五色の戦士が活躍し、爆弾が炸裂する中を駆け抜ける、派手なアクションが売り物であった。カラーテレビだからこそ、楽しめたのだろう。
 子供以上に楽しんでいたのが父だった。「何だ、こんなにうまくいくわけないだろう」とご都合主義的な展開に文句を言いながら、画面から目が離せない。母が何か話しかけようものなら、「今いいところだからあとで」とピシャリ。翌週からは、「今日はゴレンジャーの日だったな」と言って、自らチャンネルを合わせていた。
 昭和。それは、働いた分だけお金持ちになれる時代だった。クーラーの利く部屋に集まり、一台しかないテレビを家族で見て、みんなが幸せになれた。
 携帯もインターネットもなかったけれど、そこには夢があった。


 姉は「ゴレンジャー」をおぼえていない。私も、昔のアニメのことは忘れてしまった。
 同じものを見ていたはずなのに、おかしなものだ。


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 「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
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24 コメント

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こんばんは (Yano)
2012-06-28 21:38:44
こんばんは。
何とも懐かしい気分になるコラムです。
昭和40年代には、うちには贅沢にもテレビが2台あり、4本脚の白黒テレビでした。それがやがて、横に回転式のチャンネルがあるカラーテレビへ、そしてタッチチャンネルのテレビという変遷でした。
昭和50年代には、念願のクーラーも入りました。とはいえ、今ほど暑い夏ではなかった事もあり、使った記憶はあまりありませんが…。
うちは厳しかったので、子供の頃には父親により“テレビは観ない日”が決められておりました。なので、それを何曜日にしてもらうかでは兄弟で揉めた覚えがあります。テレビ番組がつまらない日を、観てはいけない日にしてもらいたかったからです。
何故か「キャンディキャンディ」や「はいからさんが通る」を観ていた印象が一番強いです。^^
年がちがうよー (YUMI)
2012-06-28 21:48:56
子どもの頃見たテレビ番組の話で、年がわかりますよね。
砂希さんは、たぶん私よりだいぶ下なのでは…
ゴレンジャーは見ていない。変身ものはウルトラセブン。
中学生の頃は巨人の星。
一番最初に見たテレビ番組として覚えているのは狼少年ケンなんだけど、知りませんよね(^^;)
誰かそのくらいの年の方はいませんかー。
37年生まれですが、あまり見ておりません (FREUDE)
2012-06-28 22:47:49
学校ではテレビの内容を話題にするクラスメートが多かったですね
チャンネル権がなかったせいもあり、
あまりテレビを見ておりません

友人がゴレンジャーの桃の、スタントマンでした

エッセイ教室に行けば、私も文章がうまくなるかなあ…
はじめまして (mao)
2012-06-28 23:29:26
はじめまして。(と云ってもエッセイではご一緒させていただいてます)
姉妹競演、楽しいですね。同じ体験でも御姉妹でとらえ方が違って、お二人を合わせ読むとおうちの中の様子もより見えてきて、おもしろいです。
子供の頃見ていたテレビの話題は、どこでも話が弾むものですね。
私はYUMIさんと同年代、狼少年ケンなつかしい、巨人の星も~。
初めまして (陽水)
2012-06-29 06:51:30
小日向流風様初めましてm(_ _)m
いつも砂希先制にはお世話?になってるやらしてるやら…(笑)
家にカラーテレビが入ったのは大阪万博の頃でした。当時はテレビより外で遊んでる方が面白かったのかあまり覚えてないです。タイガーマスクとひよっこりひょうたん島だけは観てたような…後は記憶にないです。
流風さん~mixiやFacebookもなかなか面白いと思います。気が向いたら是非仲間に入って下さいm(_ _)m
先生!家にエアコンが入ったのは…平成に入ってから(笑)網戸にしてたら自然の風が…牛の臭いも入るけどね(爆)
(・_|襖|←市原悦子 (片割れ月)
2012-06-29 12:08:39
お久しぶりです~
いまだ海外にいるものでなかなかコメントできないでおります。
でもー、昭和と聞いて飛んできました。
我が家でカラーテレビを買ったころ放送していたアニメ番組がありました。
タイトルはすっかり忘れて内容もとんと憶えてない。
ですが~、堀江美都子が歌っていた主題歌の声があまりにも可愛かったのでレコードを買った記憶があります。
そう、堀江美都子が初恋の相手です
物置を探したら出てくるかも…、出てきたらエッセイになりそうです。
砂希さん姉妹は同じような感性なんですね。
でもやっぱり、妹さんのほうがちょっと幼稚かな。(*^・^*)チュッ♪
いや~懐かしいな~! (昭和を懐かしむ純)
2012-06-29 23:07:03
狼少年ケン、よくみてましたよ!
うちは高校受験の時の一年間はテレビをしまわれてまったく見る事ができませんでした。おかげで合格できましたがラジオにはまりよく深夜のパックインミュージックとかセイヤングとか聴きまくってましたね!
にてる~ (べんじょコオロギ)
2012-06-30 01:20:12
姉妹だけあって作風がにておりますな~(^◇^)個々に感性が違い面白いです。
昭和な話は語らせたら尽きませんぜ(^^♪だから長くなるのでやめときます。
なつかしい昭和。「夢があった」との表現は同感です。本当にいい時代だったし、国が志を持っていました。おかしくなったのはバブルからかな。豊かな暮らしは、心の豊かさ引き換えにしてしまうようです。バランスって難しい。
ノーテレビday (砂希)
2012-06-30 14:39:20
>Yanoさん

どうも、カラーテレビは東京オリンピック開催時に焦点を合わせて販売されたようですね。
うちは40年代末にやっと買えたようです。
間に合わなかったということでしょう。
白黒といえども、当時テレビが2台あるとは珍しい。
贅沢していましたね。
たしか、小学生のときは学校で「週に一度はテレビなしの日を作りましょう」と言われたような…。
キャンディ・キャンディも、はいからさんも見なかったけど。
お姉さま (砂希)
2012-06-30 14:43:07
>YUMIさん

そうですね、YUMIさんのほうがちょっぴりお姉さまだと思います。
狼少年ケンは見ていないけれども、聞いたことがあります。
巨人の星は見ましたよ。
あの太い眉と、鉤鼻のインパクトが強すぎて(笑)
わかりやすいアニメでした。
ウルトラセブンの主題歌が、いまだに耳にこびりついております。
子ども番組の王道ですね。

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