那須の両親の家には、子供のときのアルバムがある。昭和40年代のモノクロ写真で始まるこのアルバム、実は恐ろしい写真の宝庫なのだ。
まずは、生後間もない姉の写真があった。
「砂希ちゃんのお姉さんって、デビュー当時の松田聖子に似てるね」
私は友人から、よくそう言われたものだ。しかし、赤ちゃんのときの姉は、松田聖子とは似ても似つかなかった。でっぷりと肥え、両頬の肉が垂れ下がりそうなくらい丸々としている。目つきも悪く、まるで小林まことの漫画『What’s Micheal?』に登場するニャジラのよう……。
「やだぁ~、朝潮みたいじゃない!!」
かつて大ちゃんと呼ばれた人気力士、朝潮太郎4代目がふてぶてしくなったような写真を見て、姉は苦笑するしかなかった。
やがて、私の赤ちゃん時代の写真が現れた。こちらもブクブクと太っている。腕や足には皮膚がはち切れそうなくらい肉が詰まっていて、まるでソーセージだ。目・鼻・口のパーツも、余分な肉に埋もれているではないか。「これが私!?」と、卒倒しそうになった。
姉は元気を取り戻し、満足そうに言った。
「アンタは朝青龍みたいね~」
うん、たしかに朝潮と朝青龍で、ちゃんと姉妹に見えるから不思議だ。ちなみに、私を抱いて写っていた母は、セリーナ・ウィリアムズに似ていた。
幼稚園に上がる頃には、私も姉も、女の子の顔になっていた。
よく私は、この頃から全然変わっていないと言われる。学生のとき、子供のときの写真を持ち寄り、誰なのかを当てるゲームをしたことがある。男子は容貌の変化が大きく、なかなか当てられないが、私の写真は答えるより先に笑いが起きた。
「ひ~っひっひっひ、これはわかるでしょ!!」
「はっはっは、ラッキーカードだね!!」
口々にそう言われ、ちょっとショックだった。
……そんなに、笑えるかしら?
不思議なことに、どの写真もカメラのほうを見ていた。運動会でソーラン節を踊っている最中でも、前を向かずに後ろを向き、カメラ目線になっているのだ。
5歳の私にとって、大事なのは全体での出来栄えではなく、写真にきちんと写ることだったのだろう。
なんという厚かましさ……。
妹が赤ちゃんのときは朝潮でも朝青龍でもなく、お人形のように可愛かったが、枚数がやたらと少ない。3人目ともなると、親も雑になるようだ。頭の中もいい加減になるようで、姉と私の幼い頃のことはおぼえているが、妹のことは「さあねぇ、どうだったかしら」を連発する。
末っ子って可哀想……。
このアルバムのもっともマズい写真は、4歳の姉と2歳の私が、両親と4人で写っているものだ。妹はまだ生まれていない。朝潮と朝青龍が真ん中で、見ようによってはホイットニー・ヒューストンの母が左、偉人・手塚治虫を凡人にしたような父が右に写っていた。
この写真のタイトルが、なんと『笹木一家』……!!
「何よこれ! 面白くな~い!!」
私と姉はウケたが、妹は笑えない。まったく、シャレにならないタイトルだった。
それにしても、心霊写真のようなアルバムだ……。
キャーキャー騒ぎながらも、つい見てしまうのはなぜだろう?
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まずは、生後間もない姉の写真があった。
「砂希ちゃんのお姉さんって、デビュー当時の松田聖子に似てるね」
私は友人から、よくそう言われたものだ。しかし、赤ちゃんのときの姉は、松田聖子とは似ても似つかなかった。でっぷりと肥え、両頬の肉が垂れ下がりそうなくらい丸々としている。目つきも悪く、まるで小林まことの漫画『What’s Micheal?』に登場するニャジラのよう……。
「やだぁ~、朝潮みたいじゃない!!」
かつて大ちゃんと呼ばれた人気力士、朝潮太郎4代目がふてぶてしくなったような写真を見て、姉は苦笑するしかなかった。
やがて、私の赤ちゃん時代の写真が現れた。こちらもブクブクと太っている。腕や足には皮膚がはち切れそうなくらい肉が詰まっていて、まるでソーセージだ。目・鼻・口のパーツも、余分な肉に埋もれているではないか。「これが私!?」と、卒倒しそうになった。
姉は元気を取り戻し、満足そうに言った。
「アンタは朝青龍みたいね~」
うん、たしかに朝潮と朝青龍で、ちゃんと姉妹に見えるから不思議だ。ちなみに、私を抱いて写っていた母は、セリーナ・ウィリアムズに似ていた。
幼稚園に上がる頃には、私も姉も、女の子の顔になっていた。
よく私は、この頃から全然変わっていないと言われる。学生のとき、子供のときの写真を持ち寄り、誰なのかを当てるゲームをしたことがある。男子は容貌の変化が大きく、なかなか当てられないが、私の写真は答えるより先に笑いが起きた。
「ひ~っひっひっひ、これはわかるでしょ!!」
「はっはっは、ラッキーカードだね!!」
口々にそう言われ、ちょっとショックだった。
……そんなに、笑えるかしら?
不思議なことに、どの写真もカメラのほうを見ていた。運動会でソーラン節を踊っている最中でも、前を向かずに後ろを向き、カメラ目線になっているのだ。
5歳の私にとって、大事なのは全体での出来栄えではなく、写真にきちんと写ることだったのだろう。
なんという厚かましさ……。
妹が赤ちゃんのときは朝潮でも朝青龍でもなく、お人形のように可愛かったが、枚数がやたらと少ない。3人目ともなると、親も雑になるようだ。頭の中もいい加減になるようで、姉と私の幼い頃のことはおぼえているが、妹のことは「さあねぇ、どうだったかしら」を連発する。
末っ子って可哀想……。
このアルバムのもっともマズい写真は、4歳の姉と2歳の私が、両親と4人で写っているものだ。妹はまだ生まれていない。朝潮と朝青龍が真ん中で、見ようによってはホイットニー・ヒューストンの母が左、偉人・手塚治虫を凡人にしたような父が右に写っていた。
この写真のタイトルが、なんと『笹木一家』……!!
「何よこれ! 面白くな~い!!」
私と姉はウケたが、妹は笑えない。まったく、シャレにならないタイトルだった。
それにしても、心霊写真のようなアルバムだ……。
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