これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

怖いもの見たさ

2009年05月14日 22時26分08秒 | エッセイ
 那須の両親の家には、子供のときのアルバムがある。昭和40年代のモノクロ写真で始まるこのアルバム、実は恐ろしい写真の宝庫なのだ。
 
 まずは、生後間もない姉の写真があった。
「砂希ちゃんのお姉さんって、デビュー当時の松田聖子に似てるね」
 私は友人から、よくそう言われたものだ。しかし、赤ちゃんのときの姉は、松田聖子とは似ても似つかなかった。でっぷりと肥え、両頬の肉が垂れ下がりそうなくらい丸々としている。目つきも悪く、まるで小林まことの漫画『What’s Micheal?』に登場するニャジラのよう……。
「やだぁ~、朝潮みたいじゃない!!」
 かつて大ちゃんと呼ばれた人気力士、朝潮太郎4代目がふてぶてしくなったような写真を見て、姉は苦笑するしかなかった。

 やがて、私の赤ちゃん時代の写真が現れた。こちらもブクブクと太っている。腕や足には皮膚がはち切れそうなくらい肉が詰まっていて、まるでソーセージだ。目・鼻・口のパーツも、余分な肉に埋もれているではないか。「これが私!?」と、卒倒しそうになった。
 姉は元気を取り戻し、満足そうに言った。
「アンタは朝青龍みたいね~」
 うん、たしかに朝潮と朝青龍で、ちゃんと姉妹に見えるから不思議だ。ちなみに、私を抱いて写っていた母は、セリーナ・ウィリアムズに似ていた。

 幼稚園に上がる頃には、私も姉も、女の子の顔になっていた。
 よく私は、この頃から全然変わっていないと言われる。学生のとき、子供のときの写真を持ち寄り、誰なのかを当てるゲームをしたことがある。男子は容貌の変化が大きく、なかなか当てられないが、私の写真は答えるより先に笑いが起きた。
「ひ~っひっひっひ、これはわかるでしょ!!」
「はっはっは、ラッキーカードだね!!」
 口々にそう言われ、ちょっとショックだった。

 ……そんなに、笑えるかしら?


 不思議なことに、どの写真もカメラのほうを見ていた。運動会でソーラン節を踊っている最中でも、前を向かずに後ろを向き、カメラ目線になっているのだ。
 5歳の私にとって、大事なのは全体での出来栄えではなく、写真にきちんと写ることだったのだろう。


 なんという厚かましさ……。

 妹が赤ちゃんのときは朝潮でも朝青龍でもなく、お人形のように可愛かったが、枚数がやたらと少ない。3人目ともなると、親も雑になるようだ。頭の中もいい加減になるようで、姉と私の幼い頃のことはおぼえているが、妹のことは「さあねぇ、どうだったかしら」を連発する。

 末っ子って可哀想……。

 このアルバムのもっともマズい写真は、4歳の姉と2歳の私が、両親と4人で写っているものだ。妹はまだ生まれていない。朝潮と朝青龍が真ん中で、見ようによってはホイットニー・ヒューストンの母が左、偉人・手塚治虫を凡人にしたような父が右に写っていた。
 この写真のタイトルが、なんと『笹木一家』……!!

「何よこれ! 面白くな~い!!」
 私と姉はウケたが、妹は笑えない。まったく、シャレにならないタイトルだった。

 それにしても、心霊写真のようなアルバムだ……。
 キャーキャー騒ぎながらも、つい見てしまうのはなぜだろう?



楽しんでいただけましたか? クリックしてくださるとウレシイです♪
※姉妹ブログ 「いとをかし」 へは、こちらからどうぞ^^
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする