西目潟(にしめがた)物語:未来を耕した挑戦者たち
昨日西目小学校5年生50人に西目潟干拓について講義しました。以下が自分で小学生向けに書いた西目潟物語です。
むかしむかし、今の秋田県西目地域には、キラキラ輝く大きな潟(かた)が広がっていました。西目潟です。この潟は、まるでこの地域のへそのように、たくさんの命を育む場所でした。水辺には草木が生い茂り、魚や貝も豊富。人々は潟から恵みを受け、周りの田畑を耕して暮らしていました。
「見て! 今日の夕焼けも潟に映ってきれいだなあ。」 「ああ、本当に。この潟があるからこそ、私たちはこうして生きていけるんだ。」
春には新緑が水面に映り、夏には子どもたちが水辺で涼み、秋には渡り鳥が羽を休める。そして冬には静かに凍りつき、一面の雪景色の中で特別な美しさを放っていました。西目潟は、人々の暮らしに欠かせない、大切な場所だったのです。
厳しい自然からの試練
でも、この潟は、いつも優しいだけではありませんでした。冬になると日本海から吹き荒れる強い風が、ある困った問題を引き起こしました。
「うわあ、また砂が飛んでるよ!」 「ああ、『とび砂』だ。河口がふさがっちまう…」
強風で舞い上がった砂が、潟と海をつなぐ河口に積もり、水の出口をふさいでしまうのです。すると潟の水がせき止められてしまい、洪水のリスクが高まります。
「困ったなあ、このままだと田んぼが水浸しになっちまうぞ。」 「魚も住みにくくなるし、水も悪くなる一方だ…」
そして、梅雨の時期になると、さらに深刻な水害が人々を襲いました。
「お父さん、また家の中まで水が入ってきたよ!」 「ああ、今年もか…」
潟のある場所はもともと低い土地だったので、大雨が降るとすぐに水があふれ出しました。冬の「とび砂」で河口がふさがったままだと、潟に溜まった水が逃げ場を失い、田んぼや家々が水没してしまうのです。毎年繰り返される水害に、人々は途方に暮れていました。
「どうすればいいんだ…このままじゃ、安心して暮らせないよ。」 「なんとか、この潟を、この土地を変えることはできないものか…」
人々は、この厳しい自然の力にどう立ち向かうべきか、真剣に考え始めました。この潟をどう守り、どう利用していくか。それは、地域全体の未来を左右する、大きな課題だったのです。
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