OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

稲盛流マネジメント (アメーバ経営(稲盛 和夫))

2006-12-09 13:08:45 | 本と雑誌

Clock  本書は、稲盛氏の経営哲学を開陳したものでもありますが、実際の経営において実践したマネジメント手法も列挙されています。

 それらの手法は、稲盛哲学と密結合のものもあれば、どの企業においても参考になるHow To的なものもあります。(ただ、稲盛氏に言わせれば、後者のように見えるものも、氏の経営哲学あっての手法なのでしょうが)

 ここでは、ちょっと稲盛色の漂うHow To的な手法や考え方をいくつかご紹介します。

 ひとつめは、「時間当り採算制度」です。

 これは、アメーバ組織の基本的管理手法です。
 具体的には、独立採算組織としての収入と費用の差を「付加価値」とし、それを「労働時間」で除した数値をあらゆる計画・実績管理に用いるものです。
 「労働時間」を分母にしているのは、組織の生産性を捉えるのに適しているのと、アメーバリーダがコントロールできる経営要素であるからです。

 「時間」の意識を高めることは、生産性向上の王道です。
 京セラでは、この方法で「日々」の採算管理を実施していると言います。

 また、同社では、この「時間当り採算制度」の他にもいくつかのベーシックなルールが尊重されています。
 たとえば、お金と伝票の動きを一体のものとするための「一対一対応の原則」や業務の信頼性を高める「ダブルチェックの原則」等です。

 ふたつめは、「効率的な営業部隊」についての考え方です。

 ラインとしての営業部隊をもつか、ワンストップの営業部隊とするかの問題です。

(p112より引用) 事業本部ごとに専任の営業担当者を置くべきか、業務効率を優先して兼任の営業担当とするべきか、その判断はたいへん難しい問題である。しかし、業務効率ばかり考えていても、売上がいつまでも横ばいのままであれば仕方がない。たとえ、いまの受注が小さくても、専任の営業担当者を置いて、大きな受注に結びつけていくことがあるべき姿である。

 お客様から見たワンストップのよさは肯定しつつも、稲盛氏はこう断じます。曰く、

(p111より引用) たしかに、兼任の営業を置いたほうが効率的に見える。
 ところが、、営業をひとりにしてしまうと、楽に注文がとれる製品に注力しがちになる。その営業担当者にとってはどの事業本部の製品で注文をとっても構わないからだ。したがって、努力と時間を要する新規顧客や新市場の開拓に身が入らない。

アメーバ経営―ひとりひとりの社員が主役 アメーバ経営―ひとりひとりの社員が主役
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2006-09

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稲盛流の普通の経営 (アメーバ経営(稲盛 和夫))

2006-12-08 22:21:43 | 本と雑誌

 本書では、稲盛氏の経営に向かう基本的姿勢が、明確な形で具体的に示されています。
 その多くは、極めて真っ当な王道の勧めです。

 たとえば、「技術と経営」についての指摘です。

(p92より引用) 技術的な優位性というのは、このように永遠不変のものではない。だから、企業経営を安定させようと思うなら、たとえ技術的にさほど優れていなくとも、どこでもやれるような事業を優れた事業にすることが大切である。つまり、誰もがやれるような仕事をしていても、「あの会社はひと味違う」というような経営をすることが、その会社の真の実力なのである。
・・・平凡な仕事を立派な事業にしている会社こそ、実は非凡な会社なのである。

 「組織」についても、「アメーバ組織」という独創的な手法を実践しましたが、その基本的な考え方は非常に素直なものでした。

(p98より引用) アメーバ経営における組織編成は、このように「まず機能があり、それに応じて組織がある」という原則にもとづいて、最低限必要な機能に応じたムダのない組織を構築することが基本になっている。

 また、「人」についてのコメントを2つ。

 まずは、「人材育成」に関してです。

 京セラにおいて、多いときには3000を越す「アメーバ組織」があったそうです。そうなると、それぞれのアメーバを任せられる「リーダ」の育成が非常に大事になってきます。

(p110より引用) アメーバ経営では、組織を細分化しているので、将来性のある新しいリーダーを登用して仮にうまくいかなかったとしても、会社の屋台骨を揺るがす危険性は少ない。だから、若干経験不足で不安が残る人材であっても、リーダーとして積極的に登用し、経営者としての自覚と経験を積ませることが大切である。

 「人を育てるアメーバ組織」というわけです。

 もうひとつは、「新規事業と人」に関してです。

(p110より引用) 私は、新規事業を始める場合においては、「人材こそ事業の源である」と考えてきた。だから、単にビジネスチャンスがあるという理由で事業を始めたことはない。・・・「適切な人材がいるから新事業に進出する」というのが私の鉄則である。

 この考え方は、私も真理を突いたものだと思います。
 事業でもプロジェクトでもそうですが、その成否は、リーダやメンバの本気度次第です。「適切」かどうかは、スキルや経験の有無にもよりますが、最終的には「本気」かどうかで決まります。

 「はじめに人ありき」という姿勢です。

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発売日:2006-09

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哲学をもったアメーバ (アメーバ経営(稲盛 和夫))

2006-12-06 00:03:09 | 本と雑誌

Amoeba  著者の稲盛和夫氏は、1959年(昭和34年)4月京セラ(当時:京都セラミック)を興し、現在同社の名誉会長職にあります。

 稲盛氏の本は初めてです。今まではどうも「食わず嫌い」的な感覚でいました。

 本書は、京セラで実践された経営手法である「アメーバ経営」の要諦を解説したものです。

(p4より引用) 企業が健全に発展していくためには、誰が見ても正しい「経営哲学」と、それにものづく「経営管理システム」を確立することが不可欠である。

 まず、「アメーバ経営」の三つの目的です。

(p31より引用)

  • 第一の目的 市場に直結した部門別採算制度の確立
  • 第二の目的 経営者意識を持つ人材の育成
  • 第三の目的 全員参加経営の実現

 この「第一の目的」で示された「部門別独立採算制度」を支える「独立採算組織」が「アメーバ」です。
 アメーバ組織は、経営状況・市場/競合状況・技術動向等に応じて、臨機応変に変化します。さらに小さなビジネスユニットに分裂する場合もあれば、同種のプロセスどうしで統合する場合もあります。

 この「アメーバ」の成立にも三つの条件があります。

(p61より引用) 第一の条件は、・・・「明確な収入が存在し、かつ、その収入を得るために要した費用を算出できること」である。

(p62より引用) 第二の条件は、「最小単位の組織であるアメーバが、ビジネスとして完結する単位となること」である。・・・アメーバが独立したひとつの事業として成り立ってこそ、リーダーが創意工夫をする余地があり、やりがいが生まれる。

(p64より引用) 第三の条件は、「会社全体の目的、方針を遂行できるように分割すること」である。

 第三の条件は、アメーバは分割された小グループでありながら、「部分最適にならない」ことを求めたものであり、これは難しい条件です。

 この点については、稲盛氏自身も「アメーバ組織の弱点」として以下のように言及しています。
 すなわち、「アメーバ」は「独立採算組織」であるがゆえに

(p78より引用) アメーバ組織では、自分の組織を守るという思いが人一番強くなるために、部門間の争いが激しくなり、会社全体の調和が乱れやすいのである。

との指摘です。

 そして、その問題点の克服方法として、こう続けます。

(p79より引用) 個の利益と全体の利益のあいだで対立が起こると、葛藤が絶えない。その葛藤を克服するには、個として自部門を守ると同時に、立場の違いを越えて、より高い次元で物事を考え、判断することができる経営哲学、フィロソフィを備える必要がある。

 この部門間の葛藤の調整は、最終的には上司による「大岡裁き」のような公平な裁定でというのですが、これもまた難しいでしょう。

(p83より引用) 私は常々、リーダーとは、全き人格者でなければならないと言っている。・・・経営トップはもちろん、アメーバリーダーに至るまですばらしい人間性を備えることが必要である。

 稲盛氏の言は否定はしませんし、「難しい」との一言で済ませるべきではないと思いますが、なかなかです・・・。

 稲盛氏によると、あらゆる経営課題にあたっての判断基準は「人間として何が正しいか」だと言います。
 これは、哲学であり信念です。

 良否の評価は別にして、こういったトップの強力な経営哲学に拠った統一的な経営システムは、これはこれでひとつの理想形かもしれません。

 ちなみに、京セラの「経営理念」は、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」だそうです。

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発売日:2006-09

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吉田松陰 (田中 彰)

2006-12-04 22:03:14 | 本と雑誌

Shokasonjyuku  吉田松陰は、安政の大獄を断行する幕府から政道批判を咎められ死罪となりました。30年に満たない短い生涯でした。
 しかしながら、幕末・明治維新期に彼の与えた影響は華々しく、それだけに松陰を描いた著作は数多く公刊されました。

 それらの著作上の松陰像は、明治・大正・昭和(昭和は、戦前・戦後)と時勢に呼応する形で様々に変転しました。「革命家」「憂国忠君の士」「理想の教育者」・・・

 本書は、その変化の様を辿った書です。

 まずは、明治17年に刊行された芝山居士纂輯の「近古慷慨家列伝」による松陰像が記されています。

(p23より引用) ここでの松陰伝では、世界の大勢を察し、海外に心を馳せ、「下田踏海」を決行した松陰像は描かれているが、とくに愛国者松陰像のようなものはない。・・・また、教育者松陰像もないことは、松下村塾の名すら登場していないことに象徴的である。
 われわれは歴史を、あとからつくられた枠組みのみでみてはならない。

 その後の松陰を描いた書は、まさに「あとからつくられた」ものと言わざるを得ないようです。

 徳富蘇峰による書「吉田松陰」の初版本と改訂版に描かれた松陰像の大きな変化はまさに象徴的です。
 それは、日清・日露戦争を境にした時勢の激変を如実に映したものでした。

(p44より引用) 時代と時代思潮の変化が、著者の思想の転回をもたらし、その描く人物像のイメージを大きく変えるという、時代と歴史上の人物像との相関関係が、ここにはみごとに浮き彫りにされているではないか。

 その後の戦時下の「松陰主義?」の熱狂は異常であり異様です。

 一人の人物を著した書が数多く世に出るということは、それほど稀ではないと思います。しかし、これほどまでに時代によってその描かれる人物像が千変万化しているというのは尋常ではありません。

 松陰の素の姿はどういうものだったのでしょうか。

 著者の田中氏は、本書の「第5章 人間・吉田松陰」において彼の一面をこう紹介しています。

(p143より引用) 松陰は、人間が罪を犯したからといって、「何ぞ遽かに禽獣草木に劣らんや」という。「一事の罪何ぞ遽かに全人の用を廃するを得んや」ともいうのである。
 松陰にとっては、罪というのは「疾」のごときものであった。それは治癒させればよい。「疾」さえ治せば、人は真っ当な人間として蘇るのだ、と。松陰は性善説の上に立っていた。

 また、こうも記しています。

(p144より引用) 相手の立場にわが身をおき、相手の心になってわが身を考えようとするのが松陰である。それは同情ではない。相手の喜怒哀楽を松陰自身の喜怒哀楽にしようとしていたのである。松陰は老若男女を問うことはなかった。それは相手がつねにみずからと同じ人間であるという考え方を根底にもっていたからである。

Yoshida_shoin_1  まさに、身分出自に関係なく志ある人々が松陰を慕い松下村塾に集った所以です。

(p17より引用) かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂
 江戸の獄に下る途中のこの感慨は、志すところと現実とを重ね合わせつつ、なお自らの魂の燃焼をどうすることもできない松陰の気持ちを端的に表明している。

 伝えられる松陰像は、到底?代の若者には見えません。

吉田松陰―変転する人物像 吉田松陰―変転する人物像
価格:¥ 735(税込)
発売日:2001-12

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アインシュタイン相対性理論の誕生 (安孫子 誠也)

2006-12-03 14:16:58 | 本と雑誌

Einstein_2  現代の物理学に大きな影響を及ぼしたアインシュタインの三大業績(ブラウン運動の理論・光量子論・特殊相対性理論)は、彼が26歳のとき(1905年)、しかもわずか4ヶ月の間に発表されたと言います。

 本書は、アインシュタインを取り巻く種々の文書(各種論文をはじめとしてノートや手紙も含む)から、三大業績さらには一般相対性理論に至る思索の道程を丁寧に辿って行きます。
 物理学に詳しい人にとっては、興味深い内容だと思います。

 ニュートンは、りんごが木から落ちるのを見て「万有引力の法則」のヒントを得たと言われています。
 同じように、アインシュタインが「一般相対性理論」に至るにも突然の気付きがあったようです。

(p147より引用) 私は特許局における一つの椅子に座っていました。そのとき突然一つの思想が私に湧いたのです。
「ある一人の人間が自由に落ちたとしたなら、その人は自分の重さを感じないに違いない」
私ははっと思いました。この簡単な思考は私に実に深い印象を与えたのです。私はこの感激によって重力の理論へ自分を進ませ得たのです。私は考え続けました。
「人が落ちるときには加速度をもっている。この人間が判断する事柄は即ち加速度のある系に於けるものに外ならない」
 と。そこで私は単に一様な速さで動く系だけでなく、加速度をもつ系にまで一般に相対性原理を拡張しようと決心したのでした。

 本書では、アインシュタインが如何にして「相対性理論」に至ったかの考察のほかに、いくつかの「相対性理論をめぐる論争」についても紹介・解説しています。

 特に「特殊相対性理論はアインシュタインのオリジナルか」とのテーマは、「ローレンツ-アインシュタイン問題」として有名なものです。
 物理学の素人である私にとっては、このあたりの議論の内容は理解しきれません。しかしながら、その議論の過程は結構面白く感じます。

 また、「一般相対性理論」は必要かとの章も関心を引きました。
 「特殊相対性理論」は座標軸どうしの相対速度が一定である場合を扱い、「一般相対性理論」は座標軸どうしが互いに加速度運動をしている場合を扱います。

(p231より引用) 加速度系は、瞬間瞬間に相対速度が変わる等速度系で置き換えることができるから、そこで生じる事柄は特殊相対性理論によって検討することが可能である。

との説明には納得してしまいます。

 しかしながら、著者は(もちろんアインシュタインも)否定します。「計算方法」の領域の問題ではなく「概念的問題」の領域だと言いうのです。

 やはり、このあたりを理解するためには、きちんと基本を勉強しなくてはだめですね。

アインシュタイン相対性理論の誕生 講談社現代新書 アインシュタイン相対性理論の誕生 講談社現代新書
価格:¥ 756(税込)
発売日:2004-02-21

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現代のプラトン (プラトンの哲学(藤沢 令夫))

2006-12-02 20:20:44 | 本と雑誌

Sansei_u   「知る」ということについて、プラトンは「知識(思惟によるイデアの把握)」と「知覚」を峻別する立場をとっています。

 プラトンにおける「知覚」とは以下のような事態だと説明されています。

(p171より引用) 知覚とは、どのような事態として示されたか。さしあたってそれは、次のように素描される。
例えばいま私に、石の白い色が見えているとする。この白い色という視覚される性質は、私の目の外にそれ自体で別箇のものであるのではないし、さりとて私の目の中にあるのでもなく、両者の間に各人各様に生じるものであって、私にとってのその色の現われと、他の人にとっての現われは同じでない。さらに、私の状態もたえまなく変動しているから、私自身にとってさえ、それが正確に同じものとして現われることはない。

 どことなく、ちょっと前に読んだ本(「だまされる脳」にあった「バーチャルリアリティ」の解説のような感じです。

(p173より引用) すなわち、知覚という事態において、「白い石」といういわゆる“対象”も、「目」という“感覚器官”も、知覚の現場を離れてあらかじめ独立に存在するような「或る何ものか」として、固定的に考えることはできないということである。

 また、藤原氏は、この本の最終章において、
 昨今の「物質一元」的な「科学技術」推進の動きは、いつか、切り捨てられていた他の精神的諸価値と衝突して「価値摩擦」を起こすことになるだろう
と、現代の「自然科学」「科学技術」の状況に言及しています。

(p216より引用) 自然科学は、・・・活力としての〈プシューケー〉と、「形」を与えて秩序づける要因としての〈ヌース〉(知性)と〈イデア〉を基本原理とする-そして〈物〉を二次要因とする-プラトンの自然万有の基本描像との同型性を、しだいに示し始めているといえるだろう。

と、このあたりの解説は、私の理解が全く及んでいないのでよくわかりませんが、延命医療に関して、生命の質を論じた「現代におけるソクラテス(プラトン)の意味」に係る以下の文脈は、なるほどと思います。

(p220より引用) 「ただ生きることでなく、よく生きることをこそ、何よりも大切にしなければならない」という、プラトンがソクラテスから受けとめた根本原則そのものであり、われわれがいま、このソクラテスの言葉がかつてなかったほど重い意味をもつようになった時代に生きていることを告げている。

 科学技術の進展という「生き延び原理(快適志向)」の追求は、現実社会において、先の医療問題に限らず、遺伝子操作・地球環境問題等、種々の問題を現出させています。こういった事態への対抗力としては、何らか「精神的価値」に基づく営みが必要となるでしょう。

 こういった状況に関しては、ご都合主義に対する「倫理のぼやき」も聞こえてきます。

(p221より引用) もし「倫理」が口をきくことができたなら、こんな理不尽な話があるものかとぼやくだろう。“純粋”で“客観的”な研究の邪魔になるからと追い出され、そのあとに出て来た科学技術の猛進のために生じたトラブルの始末を、いまになって押しつけられるとは何たることか、と。・・・

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発売日:1998-01

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対話による試練 (プラトンの哲学(藤沢 令夫))

2006-12-01 01:06:25 | 本と雑誌

Platon_2  プラトンの著作は対話形式をとっています。2、3人の対話者によって哲学上の見解・意見が議論されます。

 プラトンの対話篇は、成立時期に応じて初期、中期、後期に分けられます。

 まず、初期の対話篇は、ソクラテスの哲学と問答法を忠実に伝えようとしています。ここでの対話に「無知の知」が登場します。

 中期・後期の対話篇では、依然としてソクラテスが主人公として登場しますが、そこで表明されている哲学はプラトン自身のものだとされています。

 プラトン哲学の中核となる有名な「イデア論」は「饗宴」によって初めて示されました。

 「イデア」とは、「まさに・・・であるもの」という「正しい認識」のことのようですが、私としては、ほとんど理解できていないので、以下のフレーズの紹介にとどめておきます。

(p98より引用) イデアとは、それぞれの感覚(知覚)的判別の成立にあたって働く規範ないし基準として、その不可欠の成立根拠なのである。

 また、プラトンの主著「国家」において表明されたのが、これまた有名な「哲人統治論」です。

(p120より引用) 「哲学者とは、つねに恒常不変のあり方を保つ存在(イデアとしての真実性)にふれることのできる人びとのことであり、他方、そうすることができずに、さまざまに変転してやまぬ事物の中でさまよう人びとは哲学者でない、ということであれば、いったいどちらの人びとが国の指導者となるべきだろうか」

 このようなプラトン独自の哲学の表明においても、その著作は「対話篇」という形式をとっています。

 藤原氏によると、この形式を堅持していること自体、プラトンが師であるソクラテスの教え(無知の知)を墨守する姿勢の表れだと述べています。

(p64より引用) どれほど“形骸化”しているように見えようと、なお枠組として対話篇という形を守ることは、その中で提示される教説についてなお問答による吟味を受ける用意があるという含みを残していること、つまり、依然として自分がその事柄を「知っていると思いこむ」以前の状態にあるのだという、「無知の知」の構えのもとにあることを-そのように自戒していることを-意味している。

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