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対話による試練 (プラトンの哲学(藤沢 令夫))

2006-12-01 01:06:25 | 本と雑誌

Platon_2  プラトンの著作は対話形式をとっています。2、3人の対話者によって哲学上の見解・意見が議論されます。

 プラトンの対話篇は、成立時期に応じて初期、中期、後期に分けられます。

 まず、初期の対話篇は、ソクラテスの哲学と問答法を忠実に伝えようとしています。ここでの対話に「無知の知」が登場します。

 中期・後期の対話篇では、依然としてソクラテスが主人公として登場しますが、そこで表明されている哲学はプラトン自身のものだとされています。

 プラトン哲学の中核となる有名な「イデア論」は「饗宴」によって初めて示されました。

 「イデア」とは、「まさに・・・であるもの」という「正しい認識」のことのようですが、私としては、ほとんど理解できていないので、以下のフレーズの紹介にとどめておきます。

(p98より引用) イデアとは、それぞれの感覚(知覚)的判別の成立にあたって働く規範ないし基準として、その不可欠の成立根拠なのである。

 また、プラトンの主著「国家」において表明されたのが、これまた有名な「哲人統治論」です。

(p120より引用) 「哲学者とは、つねに恒常不変のあり方を保つ存在(イデアとしての真実性)にふれることのできる人びとのことであり、他方、そうすることができずに、さまざまに変転してやまぬ事物の中でさまよう人びとは哲学者でない、ということであれば、いったいどちらの人びとが国の指導者となるべきだろうか」

 このようなプラトン独自の哲学の表明においても、その著作は「対話篇」という形式をとっています。

 藤原氏によると、この形式を堅持していること自体、プラトンが師であるソクラテスの教え(無知の知)を墨守する姿勢の表れだと述べています。

(p64より引用) どれほど“形骸化”しているように見えようと、なお枠組として対話篇という形を守ることは、その中で提示される教説についてなお問答による吟味を受ける用意があるという含みを残していること、つまり、依然として自分がその事柄を「知っていると思いこむ」以前の状態にあるのだという、「無知の知」の構えのもとにあることを-そのように自戒していることを-意味している。

プラトンの哲学 プラトンの哲学
価格:¥ 777(税込)
発売日:1998-01

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