著者の片山杜秀氏は、もともとは政治思想史の研究者ですが、音楽・映画・演劇といったジャンルにも造詣が深くその方面での評論活動も活発です。
そういう背景もあり、本書では、「伝統芸術」の世界が、しばしばコラムの題材として取り上げられています。
そのうちのひとつ、「古典芸能」という一種聖域に関しての著者の指摘です。
(p119より引用) 実は能とは、武士の厳しさと、昔の村祭りとかの気楽さとがゴチャマゼのまま残ってきた、とてもいびつな芸能なんです。・・・
これと同じことは、他の古典芸能にも言えます。長い歳月をかけると洗練されるという話は、もっともらしい嘘です。実際は歳月を経れば経るほど、いろんな出来事が覆いかぶさるから、いびつになってゆくのです。そして、いびつなものほど色々に受け取れるから見飽きません。
古典芸能の真の味わいは、いびつさにあり!
確かに、「芸能」は、生まれたばかりの方が純粋だったというのは首肯できます。その姿を芯にして、様々な時代や心情の粘土が塗り重ねられ、塑像のように形作られていくものなのかもしれません。
続いては、狂言師野村萬斎さんの芸風を切り口にした「個性を育て大事にする教育」についてのコメント。
(p253より引用) 「真似しちゃいけません、おのれの個性は自力で育てましょう」でしつけられた子供たちは、周囲から、ユニークな人、学ぶ(真似ぶ)べき人を見つけ、いろいろ真似し、そこから自らの個性をはぐくむことを妨げられたあげく、結果として、流行とか時代の空気を追うのが精いっぱいの無個性人間にばかり、育ってるんじゃないか?
歌舞伎・能・落語等々、伝統芸能の一流は皆、名人先達の芸を「真似」ることを修行としました。それを極めることにより、先達とは異なる自らの個性・自分らしさが磨かれ出るのでしょう。自主性を重んじるという掛け声だけで「個性的な人間」が育つはずもありません。「真似る」ことは個性発揮のための必要なファーストステップだとの主張です。
とはいえ、生け花の草月流創始者勅使河原蒼風を採り上げたコラムでは、著者はこう声高に叫んでいます。
蒼風は狭義の生け花に対して、生ける客体を広げていきました。
(p512より引用) そんな蒼風のやり方はあまりに近代日本の姿にダブる。だってこの国は外国の科学技術や制度や思想を何でも頂いては少しアレンジするだけで、ずっとやってきたのだから。日本とは実は生け花国家であったのか!・・・
ああ、日本は再び生けるべき何かを発見できるえだろうか?頼むよ、誰か真似させておくれよ!
さて、本書、ともかく文字が小さくて分厚い。それだけに百花繚乱、玉石混交・・・、コラムの主張内容も首肯できるものばかりではありません。が、著者独特の視点はとても刺激的です。
いろいろな意味で「なるほど」と興味深く感じられる評論が目白押しのなかなか楽しい本です。
ゴジラと日の丸―片山杜秀の「ヤブを睨む」コラム大全 価格:¥ 2,835(税込) 発売日:2010-12 |
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