OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

魔女の盟約 (大沢 在昌)

2024-08-07 20:53:06 | 本と雑誌

 いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組大沢在昌さんがゲスト出演していて最新作を紹介していました。

 大沢さんの代表的な作品である “新宿鮫シリーズ” はほとんど読んでいるのですが、この “魔女シリーズ” は初めてでした。お話を聞いていてその主人公の設定にちょっと興味を持ったので、先日まずは第1作目「魔女の笑窪」を読んでみました。
 読んでみた印象は正直なところ “並” だったのですが、ストーリーにも連続性があるということで、第2作目にも手を出してみたという次第です。

 小説なのでネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、1作目よりも主人公をはじめ登場人物が活き活きしているように感じました。
 その分、人物の相関関係や組織が少々込み入っていてまどろっこしいところもありましたが、ラストに向かってのアップテンポな展開はスリリングでしたね。一昔前の “ハードボイルド” 路線の作品です。

 1作目は沈鬱なトーンで今一つ響かなかったのですが、この感じなら、とりあえず第3作も読んでみようと思います。

 

 

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あっぱれ! 日本の新発明 世界を変えるイノベーション (ブルーバックス探検隊・産業技術総合研究所)

2024-08-05 13:27:54 | 本と雑誌

 

 日本経済新聞のサイトで紹介記事があったので、気になって手に取ってみました。

 ここ数十年の日本産業界の衰退ぶりは顕著ですが、それでも地道な研究開発の営みは続けられています。

 本書では、日本の代表的な公的研究機関・産業技術総合研究所における多彩な成果が紹介されていますが、その中から私の興味を惹いたものをひとつ書き留めておきます。

 マルチマテリアル研究部門セラミック組織制御グルー プ 研究グループ長の福島学さんが取り組んでいる「熱伝導率の低いレンガ」の製造
 その過程で「不規則な孔」の発生を抑える技術が必要になりました。その解決策として浮かんだのが、北海道センターで行われていた「不凍タンパク質」の研究でした。

(p69より引用) その担当をしている研究者に福島さんが連絡を取ると、こう言われて歓迎されたという。
「不凍タンパク質が、ほかの想像もつかない分野で使える日がいつか来ると思っていました」
 生物分野で開発した技術が、セラミックスという素材分野で活かされる――。まさに研究者冥利 に尽きる瞬間だろう。

 研究開発の成果が花開く道のひとつは、こういった “発想の出逢い” かもしれません。

(p72より引用) 「技術はどこかで廃れることなく、誰かが別の用途で蘇らせてくれるものなんです」

 そうですね、私もそう思いますし、そうであって欲しいですね。

 そして、研究開発の醍醐味を研究者自身が語っているくだり。「音楽情報処理」をテーマに研究を続けている情報技術研究部門主席研究員後藤真孝さんの言葉です。

(p191より引用) 「基礎技術をつくっただけでは、一般の人々に直接使ってもらうことはできません。そこで、技術で未来を切り拓くために、応用技術としてインタフェースも開発したうえで技術の使われかたを提案したり、サービスとして一般公開することで技術を直接利用可能にしたりする研究開発に挑戦しています。そうすることで、われわれの技術がもつ幅広い可能性を、産業界も含めたさまざまな方々と一緒に考えていくことが可能になるからです」

 この研究開発から実用化に至るプロセスにおいて直面する障害は、研究者にとって、遥か以前から “死の谷” “キャズム” などの名前で呼ばれていた究極の課題ですね。

 本書を読み通して、この課題を克服するひとつのヒントが、「産業技術総合研究所」という “基礎研究の総本山” の存在にあるように思いました。
 研究テーマ同士、研究者同士の “セレンディピティ(Serendipity)” が実用化へのブレイクスルーになることを大いに期待したいものです。

 

 

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ネオ日本食 (トミヤマ ユキコ)

2024-07-26 22:02:47 | 本と雑誌

 いつも聴いている茂木健一郎さんのpodcast番組に著者のトミヤマユキコさんがゲスト出演していて紹介された著作ですが、ピーター・バラカンさんのpodcast番組でも同じく取り上げられていました。

 トミヤマユキコさんは、東北芸術工科大学芸術学部准教授として少女マンガ等のサブカルチャー関係の研究に取り組むととともに、マンガやフード関係のライターとして数々の著作も発表されています。

 トミヤマさんが命名した「ネオ日本食」とは、「海外から持ち込まれたはずなのに、日本で独自の進化を遂げ、わたしたちの食文化にすっかり溶け込んでいる食べ物&飲み物」とのことですが、トミャマさんは本書にて、その「ネオ日本食」の歴史や魅力にとどまらず、「ネオ日本食」を産み出し提供し続けている “人” や “家族” にもスポットをあて、精力的な取材によりその魅力的な人柄、雰囲気を余すところなく描き出しています。

 とても興味深いエピソードや蘊蓄が満載の内容ですが、それらの中から特に印象に残ったところを少々書き留めておきましょう。

 まずは、目黒の「スパゲッティ ダン」
 先代から引き継いだ島崎弘さんとそのご家族が切り盛りする “たらこスパゲッティ” がお勧めの店です。
 茹で立ての麺に手早くソースを絡める、この作業が「ネオ日本食」を産み出すとのこと。

(p50より引用) 何気ないことのようだが、麺が熱いうちにダッシュでソースを絡めるひと手間が大事なのだ。島崎さんに言わせれば「乗っけるだけなら誰でもできるからね。それはサボってるだけ」とのこと。ネオ日本食の多くは、誰でも作ろうと思えば作れる。だからこそ、何気ないひと手間がモノを言うのだと思う。

 いやあ、確かにそのとおりですね。

 そしてもうひとつ、本書で紹介された「ネオ日本食」の特徴を記しているところです。

(p93より引用) 多くのネオ日本食は、日本にいる作り手がときに知識も材料も足りない中でどうにか海外のものっぽい料理を作ろうとすることによってガラパゴス的なおいしさを生み出してきた。

 なるほど、これも腹に落ちる説明ですね。

 さて、本書で紹介された「ネオ日本食」、「ホットケーキ」「パフェ」「たらこスパゲティ」「ランチパック」「ホイス」「餃子」「カツレツ」「カレー」、どれも頗る魅力的です。
 紹介されたお店、一軒でもいいので行ってみたいですね。

 

 

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15の街道からよむ日本史 (安藤 優一郎)

2024-07-15 19:29:57 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。

 特に「歴史」に興味があるというわけではありませんが。単に「時間軸」を辿るのではなく、こういった何かひとつの “テーマ” を掲げて、それについての論考を進めていくスタイルは気になりますね。

 本書では「街道」が切り口です。

 早速、それらの中から特に私の関心を惹いたところをひとつ書き留めておきましょう。
 「鎌倉街道」
 比較的私の自宅のそばを通っているので、親近感を覚えました。

(p61より引用) もともと、鎌倉街道は幕府(鎌倉府)が鎌倉に軍勢を集結させるための道であった。鎌倉を守るための道だったが、幕府や鎌倉府に敵対する勢力にとっては鎌倉を攻める道となっていた。

 鎌倉に幕府が開かれた以降、戦国時代に入るまでの間は、まさに「いざ鎌倉!」の言葉どおり、新田義貞、北畠顕家らをはじめとした名だたる武将が行き来した “合戦の道” だったようです。

 そのほか本書で取り上げられた “道” は、奥州街道、日光街道、東海道、中山道、甲州街道、北国街道、中馬街道、伊勢参宮街道、熊野古道、西国街道、お遍路道、長崎街道等々。
 そこには武士の奉公の様があり、庶民の生活の跡がありました。大井川の川止めを避けて東海道から中山道に参勤交代のルートが変わっていったとか、江戸庶民の “お伊勢参り” の仕掛け人たる“御師” の役割とか、興味深いエピソードには事欠かない内容でした。


 まあ、正直な印象では、ひとつひとつの章の掘り下げがとても浅いので物足りなさMaxですが、こういう “切り口の妙” を感じる著作も楽しいものです。

 

 

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魔女の笑窪 (大沢 在昌)

2024-07-08 19:04:15 | 本と雑誌

 いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組に大沢在昌さんがゲスト出演していて最新作を紹介していました。

 大沢さんの代表的な作品である “新宿鮫シリーズ” はほとんど読んでいるのですが、この “魔女シリーズ” は初めてでした。
 お話を聞いていてその主人公の設定にちょっと興味を持ったので、まずは第1作目を読んでみようと思った次第です。

 一言でいえば、女性が主人公の “日本版ハードボイルド” といった類です。
 ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、ストーリーより、ところどころに顕れる大沢さんの価値観や美意識のようなものが気になりましたね。

 たとえば、クリスマスシーズンの街の賑わいを評したくだりは、

(p223より引用) 一年に一度の贅沢など、それ自体が貧乏くさく、私には我慢ができない。私は一年中、一度の贅沢もできなかった時代もあるし、できるようになってからは、ときと場所に関係なく贅沢をしてきた。皆でかけ声をあわせてする贅沢など、それこそ全体主義国家のマス・ゲームのようなものだ。遠目はきれいだが、楽しむ者より演じさせられる者の数の方がはるかに多い。そこにはため息だけしか残らない。

といった感じです。もっとも、主人公の考えを描写しただけかもしれませんが。

 さて、本筋の作品の印象ですが、期待していた割には、正直なところ平凡、 “可もなく不可もなし” といった感じでしょうか。主人公の性格付けも、過去の特殊な出自が繰り返されるだけで、「現在」の部分がほとんど描かれていないので、今ひとつ惹かれません。

 まあ、第二作目まで読んでみて、その先は考えることにしましょう。

 

 

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古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧 (志村 史夫)

2024-07-02 15:19:15 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本の棚で目についたので手に取ってみました。

 ブルーバックスの新刊でこの手のタイトルだと、かなり気になります。よくありがちなテーマですが、メジャーな遺跡や建造物を取り上げているので解説もイメージしやすいですね。

 紹介されている数々のネタの中から、特に私の関心を惹いたところをいくつか覚えとして書き留めておきます。

 まずは、第3章で述べられている「エジプトとギリシャの違い」

(p129より引用) 古代エジプト人の優れた技術、科学は非常に実践的、体験的なもので、彼らはそれらを普遍的な法則あるいは原理として遺してくれていない。特にピラミッドに関する技術については、それが「ファラオの墳墓」であり盗掘を防ぐためなのか、かの膨大な量のパピルスにもまったく記録されていないのである。古代エジプト人は、「〝科学者、というよりも優れた技術者」であった。
 一方、古代エジプト人から多くの技術を学び、習得した古代ギリシャ人は、実践的経験よりもむしろ事象、現象から法則や定理を導き出すのを好んだようである。

 一言でいえば “技術者と科学者の違い” ということですが、この指摘は、なるほどと首肯できますね。

 もうひとつ、こちらは私たちにも身近な話題です。「土器」の位置づけについて解説されたくだり。

(p273より引用) 古代人の生活において、土器の発明は画期的であり、それまでの彼らの生活様式を一変させた。土器の発明によって、古代人は食物を煮て食べられるようになった。従来は食べられなかった物、特に、多くの植物類が食料として利用できるようになったのである。・・・ じつは、この土器の発明こそ、人類が化学変化、すなわち「科学」を応用した最初の発明なのである。
 土器や陶磁器、ガラスや耐火煉瓦などは、総じて“セラミックス”とよばれる。セラミックスこそが、人類が“科学”で得た最初の人工材、人工石であった。

 「セラミックス」は、現在社会を支える半導体の素材です。今につながる発明が古代アジアの土器を源としているというのは興味深い指摘ですね。

 さて、本書を読んで最も印象に残ったフレーズを最後に紹介します。

(p313より引用) 現代社会では、何事も「経済性」と「効率」を最優先し、ともすると目先のことさえうまくつくろえば通用し、社会もそれを是認している風潮がある。
 しかし、古代の技術者たち、それ以前に、古代社会そのものや彼らに「仕事」をさせた古代世界の支配者・指導者たちは、「経済性」や「効率」などを考えることなく、後世に遺せるほんとうによいものを求めたのであろう。技術者たちも、限られた材料、機材の中で、精一杯の智慧をはたらかせ、急ぐことなくたっぷりと必要な時間を費やしたのであろう。そして、彼らは自分たちに課せられた責任感と、それをまっとうすることの誇りをもっていたはずである。古代社会では、彼らの責任感と誇りが正当に評価され、称えられたに違いない。

 「コスパ(コスト・パフォーマンス)」はともかく「タイパ」なる言葉が世に流布していますが、正直、その浅薄さには閉口しています。
 “旧式の人間” 故なのでしょうが、なるほど、「あとがき」に記されたこの志村さんの指摘は、完全に納得です。

 

 

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空白の意匠:初期ミステリ傑作集(二)(松本 清張)

2024-06-26 12:24:10 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本リストで目につきました。

 このところ気分転換に読んでいるミステリー小説は、全作読破にチャレンジしている内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” に偏っているので、久しぶりの松本清張作品です。

 初期の短編8作を収録した傑作集とのこと。
 ミステリー小説なのでネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、やはり清張さんの構成力と筆力は素人目にも卓越しているのを感じます。

 たとえば、4番目に編まれている「白い闇」。読み進めるにつれ高まりゆくクライマックスに向かっての緊迫感。

(p174より引用) 濃い霧は二人を閉ざした。一メートル先が、白い、厚い紗でぼかされていた。ボートとその近い周囲のあおぐろい水だけが人間の視界にはいっている最大限であった。距離感も遠近感もまったく失われ、白い宙の中を舟は動いていた。

といった巧みなシーンの描写表現と作品のタイトルとのシンクロは本当に見事ですね。

 ちなみに、採録されている作品は、すべてが「事件もの」ではありません。市井の人に降りかかる災難を扱ったものやサラリーマンの悲劇を描いたものもあります。

 いずれもが “昭和の世相” の中での物語なので、その空気感を想起できないと清張作品には馴染めないかもしれないですね。やはり清張さんは “昭和の社会派” です。

 

 

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日光殺人事件 (内田 康夫)

2024-06-20 15:12:49 | 本と雑誌

 かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。

 ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始ました。

 この作品は「第22作目」です。今回の舞台は “日光”
 有名な観光地ですから私も何度か訪れたことがありますが、いわゆる観光シーズンの「紅葉の盛り」とかには縁がないので、あまり印象に残ってはいません。ポピュラー過ぎて新鮮さに乏しく感じるのかもしれません。

 で、肝心の作品について。
 ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、「1勝2敗」ですかね。何かといえば、今回、浅見光彦は3つの事件に遭遇したのですが、それらのミステリーとしての出来栄えです。
 事件の背景として物語の大半が使われたのは3つの事件のうちひとつだけ、あとの二つは、ちょっとした伏線の共用はありましたが、かなり唐突感があるものでした。
 やはり、事件に至るプロセスを丁寧に作りこまないと、読み終わっても物足りない後味の作品になってしまいますね。ちょっと残念です。

 さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら” です。

 次は、いよいよ映画にもなった有名作「天河伝説殺人事件」ですね。

 

 

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言葉の風景、哲学のレンズ (三木 那由他)

2024-06-15 07:42:29 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本リストを見ていて、タイトルに惹かれて手に取ってみました。
 哲学者三木那由他さんによる “哲学的な視座” からのエッセイ集です。

 トランスジェンダーである三木さんならではの起点からの興味深い指摘や思索の紹介が数々ありましたが、そういった類のものとはちょっと違ったユーモラス?なエピソードをひとつ書き留めておきましょう。

 三木さんはかれこれ30年来の “GLAY(日本のロックバンド)ファン” とのことですが、言語哲学を学んだあと、歌詞の解釈に新たなバイアス?がかかったというのです。

 その歌詞は、こうです。

(p125より引用) 避けられぬ命題を今 背負って迷ってもがいて 真夜中 出口を探している 手探りで

 「pure soul」という楽曲の歌詞なのですが、この中の “命題” という単語に鋭敏に反応してしまうようになったそうです。

(p126より引用) GLAYファンを停止していた時期に言語哲学なんてものを学んでしまったせいで、私の心のなかの哲学者が「命題」という言葉に反応してしまうのだ。・・・・・・
 はっきり言って邪魔で、心のなかの哲学者には「いまいいところだから静かにしてて!」と言いたくなる。でも、「意味」とか「言葉」くらいの日常的に見かける表現ならともかく、「命題」などという凝った言葉になると、あまりに哲学哲学しすぎていて、意気揚々と語りかけてくる心のなかの哲学者に、ただGLAYの曲に集中したいだけの私は競り負けてしまうのである。そうするともう、ずるずると心のなかの哲学者に引きずられてしまって、ちょっとあとの「賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む」という歌詞も、ついつい「ふむ、複数の可能世界がまだ文脈に残されているのだな」と頭の隅で考えながら聴いてしまったりする。

 “哲学者” なら、さもありなん、と思わせるネタですね。

 私も、たとえば(「可能性」ではなく)「蓋然性」といった単語を耳にすると、ちょっと反応することがありますね。もちろん私はアカデミックな世界にいる者ではありませんが、はるか昔、学んだことの断片が顔を出すようです。

 

 

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DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール (ビル・パーキンス)

2024-06-10 09:51:59 | 本と雑誌

 少し前に、大江英樹さんによる「90歳までに使い切る お金の賢い減らし方」という本を読んだのですが、その中で本書が紹介されていました。

 私も「定年」を目の前に控え、僅かではありますが手元にある “資産の処し方” について考えてみなくてはならない歳になりました。そのあたりのヒントにと手に取った著作ですが、結構参考になるアドバイスや新鮮な気づきが得られました。

 その中から特に有益だと感じたところを覚えとして書き留めておきます。

 まずは、著者が本書で伝えたいメッセージを端的に記しているくだりです。

(p19より引用) 今しかできないことに金を使う。
 それこそが、この本で伝えたいことの核だ。
 90歳になって水上スキーを始めるのは難しい。今それを我慢すれば、その分の金は貯まるだろう。だが、十分な金を得たときには、すでにそれができない年齢かもしれない。過去に戻って時間を取り戻すこともできない。
 金を無駄にするのを恐れて機会を逃がすのはナンセンスだ。金を浪費することより、人生を無駄にしてしまうことのほうが、はるかに大きな問題ではないだろうか。

 全く同意です。(が、私はまったく実行できていません)

 そして、著者は、こういう言い方もしています。

(P230より引用) 私たちは、さまざまなことを体験し、発見したいと思っている。仕事をすれば、それらを叶える手段(金)が手に入る。だから私たちは、働き、金を稼ぐことに必死になる。だが、いつのまにかそれ自体が目的になってしまい、もともと求めていたものが何かを忘れてしまっている。それでは本末転倒だ。

 まさにそのとおりだと思いますし、遅まきながら私も完全に「使うフェーズ」に入っています。
 ただ、この歳になっても、「自分のやりたいこと」が明確にあるわけでもなく、(自分で言うのも無責任極まりないのですが、)それについて真剣に考えたことすらないんですね。これが、出遅れている致命的な要因です。

 とてもマズイ状況だということは痛感しているので、ともかく、まずはここからです。

 

 

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ナマケモノ教授のムダのてつがく ―「役に立つ」を超える生き方とは (辻 信一)

2024-06-05 09:57:05 | 本と雑誌

 いつも聴いているピーター・バラカンさんのpodcast番組に著者の辻信一さんがゲスト出演していて紹介された著作です。

 辻さんは文化人類学者で「スローライフ」の提唱者でもあります。
 昨今の「コスパ」「タイパ」という言葉に象徴されるような “効率化重視の生活” のアンチテーゼとしてどんな議論が提示されているのか興味を抱いて手に取ってみました。

 期待どおり、なかなか面白い議論が紹介されていたのですが、それらの中から特に印象に残ったところをいくつか書き留めておきましょう。

 まずは、本書のテーマである「ムダ」の意味づけについて語っているところからです。

(p25より引用) 「ムダ」というのは、いつでもある特定の視点からの、ひとつの価値判断にすぎない、ということを覚えておこう。それがある時空間の文脈のうちで、いかに優位で特権的な地位を占める視点であったとしても。ムダと断定されたモノやコトやヒトのなかに、その視点をすり抜ける、ほかの誰かや何かにとっての価値が、いや誰にも予想できない何らかの可能性があり得るのだ。

 もうひとつ、この「ムダ」ですが、しばしばその対立概念として「役に立つ」ということがいわれます。“役に立たないものは「ムダ」” だといった言い方が代表的です。
 こういった考え方について、辻さんはこう捉えています。

(p190より引用) ぼくは「ムダ」と「役に立つ」を対立するものと見ているわけでもないし、「役に立つ」を否定しているわけでもない。逆に、両者を対立としてみる見方こそが、問題だと考えている。「役に立つ」ことを絶対視して、一見、役に立たないように見えるものを「ムダ」として切り捨てるようなやり方に「NO!」と言っているだけだ。
 教育においても、「役に立つ」ことが重要なのはもちろんだ。しかし、「役に立つ」が独裁的な権力を得て、そこから外れる「モノ」「コト」「ヒト」を排除するようになったら、どうだろう。それがまさに、試験に役立つ勉強や、就職に役立つ進学、お金儲けに役立つ授業・・・・・・などが席巻しているいまの日本なのではないか。

 そして、「終章」で示されるのが、辻さん流の “愛の定義” です。
 「愛とは相手のために時間をムダにすること」

(P235より引用) 「あなたは効率的に愛されたいですか?」

 この自問のインパクトは強烈でした。

 さて、最後に本書を読み通して一番印象に残った30年以上環境運動家として活動してきた辻さんの台詞を書き留めておきます。

(p150より引用) ぼくたち人類を絶望的な窮地に追いこんた要因は、自分たちもその一部である自然をただのモノと見なし、役に立つものと役に立たないムダなものとに分けるような態度だ。そのあげくに、ぼくたち人間は自然界にとっての厄介者、つまりできればないほうがいい、ムダな存在に成り果てている。

  厳しい言葉ですが、現実ですね。

 

 

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親密な手紙 (大江 健三郎)

2024-05-31 11:40:33 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本リストで目につきました。

 大江健三郎さんに関わる本は、以前「同じ年に生まれて-音楽、文学が僕らをつくった」という小沢征爾さんとの対談集ぐらいしか読んだことはないと思います。

 本書は、小冊子「図書」連載のコラムを収録したものとのことで、第一印象では読みやすそうな印象をもったので手に取ってみました。

 数々の興味深いエピソードや大江さんらしい思索の紹介がありましたが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをひとつ書き留めておきましょう。

 「人間を慰めることこそ」と題された小文から。大江さんの義父にあたる伊丹万作さんのエッセイからの引用です。

(p29より引用) 私が十三に代って書いた解説のなかに引用しているものだが、伊丹万作が戦後すぐ、その死の直前に発表したエッセイの次の言葉に、「福島三・一一」後の日本の知識人たちからあらためて共感をあらわす幾つもの言及が行なわれた。ここにも私はそれを繰り返したい。《・・・・・・だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。》

 まさに、知識人たる伊丹万作氏の面目躍如の指摘ですね。

 さて、本書を読んでの率直な感想です。

 大江さんの作品とはいえ、小冊子に連絡されたエッセイ、コラムを採録したものとのことで少々気楽に構えていたのですが、読み進めていくにつれ私の手には全く負えなくなってきました。
 大江さんと交友関係にある方々の話題については当然私の予備知識は皆無ですし、処々に登場する御子息の光さんに係るエピソードもその背景としてある大江さんの心情まで思いを巡らすこともできずで、かなりの消化不良で終わったという情けない結果でした。

 さて、私にとっては手強い大江作品、次は何にチャレンジしましょうか・・・。

 

 

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恐山殺人事件 (内田 康夫)

2024-05-26 14:54:52 | 本と雑誌

 かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。

 ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “浅見光彦シリーズ” の制覇にトライしてみようと思い始ました。

 この作品は「第21作目」です。今回の舞台は “恐山”
 恐山には、大学時代に東北をぐるっと回る旅行をした際訪れたことがあります。もう45年ほど前になりますが、いかにも “賽の河原” といった荒涼とした風景が記憶に残っています。

 ネタバレになるとまずいので内容の詳細には触れませんが、この作品、内田さんのミステリーにしてはかなりレベルが低いと言わざるを得ません。
 犯行の動機は極めて在り来たりですし、読者の推理をミスリードさせるようなエピソードもかなり唐突に差し込まれていて、不自然さが半端ではありません。警察の事件捜査と並行して光彦の推理を辿るという楽しみも用意されず、ラストも雑ですね、とても残念です。

 さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら” です。

 次は、「日光殺人事件」ですね。

 

 

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錆びない生き方 (五木 寛之)

2024-05-21 09:23:43 | 本と雑誌

 いつも利用している図書館の新着本リストで目につきました。

 「サンデー毎日」連載のコラムの書籍化です。定番の「五木寛之」さんの最新版といってもいいエッセイなので、条件反射的に手に取ってみました。

 早速、私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきましょう。

 まずは、1972年春、モハメッド・アリさんへのインタビューの思い出から。

(p145より引用) 少量の白身魚の身を指でほぐして、貴重なものを味わうように口に運びながら、アリはこんなことを話した。
「たとえばエンジェル・ケーキといえば真っ白いケーキで、デビル・ケーキというのはチョコレートで作った黒いケーキのことです。黒い帽子というと不吉の星を意味するし、脅迫することをブラック・メイルという。ブラック・リスト、ブラック・マーケット、とにかく白は常に良くて、黒は常に悪いという印象を私たちは植えつけられてきました。この刷りこみから自由になることが私たちには大事なんです
 これまで会った中でも、ことに忘れがたい人物の一人である。

 モハメッド・アリさんとはじめて会った五木さんは、繊細で知的な人物だという印象を受けたといいます。

 次に、1979年冬、写真家リチャード・アドベンさんへのインタビュー。

(p147より引用) アベドンがベトナム戦争のときに、現地で多くの写真を撮ったことは、あまり語られることがない。私がそのことをたずねたとき、彼は口ごもりながら答えた。
「そう。ぼくはベトナムで千枚以上の写真を撮った。でも、その中の一枚だけしか発表しなかった。ある将軍のポートレートを、一枚だけね」
「なぜベトナムの写真を発表しなかったんですか」
 彼はしばらく黙ってから答えた。
「ぼくの撮った戦争の写真が、あまりにも美しすぎたから」
 私には彼の言わんとするところがよくわかった。

 “考えオチ” のような問答ですが、これもまた言葉のコントラストが心の底にまで響きますね。

 さて、本書を読んでの感想ですが、何より五木さんが持つ “素晴らしい言葉” に出会う能力には驚かされます。何がその確率を高めているのでしょう。
 もちろん “類は友を呼ぶ” ということで、その機会が増すということもあるでしょうし、五木さん自身が育んできた “感度の高さ” も大きな要因です。

 私にはそういった素養は全くないので、こうやって五木さんの著作を読むことで、ご相伴に与ることができでいるわけです。

 

 

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殺人のスポットライト (森村 誠一)

2024-05-16 10:16:36 | 本と雑誌

 いつも行く図書館の返却本の棚で目につきました。

 今読みかけている海外ミステリーのページがなかなか進まないので気分を変えたかったのと、ちょっと前に読んだ森村誠一さんの作品が今ひとつだったリベンジをということで手に取ってみた次第です。

 本書は、新宿のホームレスの世界を舞台とした8編の短編小説集です。

 ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、やはりミステリーの「短編」というのは物足りなさが拭えませんね。
 ラストに向かっての急転直下の謎解きの強引さは、森村さんの筆力を持ってしても避けられなかったようです。

 

 

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