Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

自我 じが ジガ

2008-03-03 23:33:56 | つぶやき
3月1日に参加した深田剛史先生の数霊講座で、
自我について考えさせられたお話があったので記録しておこうと思う。

あたしの誤解のひとつに、自我=個性というものがあった。
しかし、自我=個性ではないらしい。
どちらかというと真我=個性のようだ。

自我という言葉自体、様々な学問で取り上げられていて、
どれが本当の意味かなんて、あたしは専門家ではないから分からない。
深田先生のお話を聞いた今の段階で理解している【自我】は、
利己主義の心であり、愛を認識せずに孤立した自己だ。

精神修養をしていると、自我は手放せ、解放しろと言われるが、
あたしはどうも自我=個性と捉えている部分があった。
そのため、自我を手放すことに恐れがあった。
あたしをあたしたらしめているもの、それが自我だと思っていたからだ。

また、自我を手放した人のイメージも勝手に作り上げていた。
どこから出てきたのか分らないけれど、没個性で張り付いたような笑顔の人。
これが自我を手放した人のイメージ。
何故、こんなイメージを作り上げていたのか

本当の個性は真我にある。
自我が強いと真我が見えない。
だから、自我を手放す必要があるのだ。
これが、深田先生のお話から得た学び。

本当の根本にある個性。
この世にまれて来た理由はひとりひとり違う。
ここで果たすべき使命やできることも。
自我を手放すことは没個性になることではない。
本当の個性を見つけることなのだ。

また、自我が強い人は愛を認識できていないのだそうだ。
愛っていっても様々なものがある。
親の愛、子の愛、友人からの愛、自分自身への愛。
それが認識できないと、『あたしの話を聞いて!』となるのだそうだ。
これはあたしもこの傾向がある…
感謝して、反省しよう。

人にはそれぞれここで果たす役割がある。
その役割は真我の部分にあり、神様に自己申告するのだそうだ。
神様という言い方に抵抗があるなら、ハイヤーセルフでも守護霊でも構わない。
それにはまず真我を見極めること。
そのために自我を手放すこと。

落語の三段落ちみたいだけど、すんなり納得。
これだけの言葉の力を操る深田先生、日頃から勉強してらっしゃるのだろうなぁ。
こうやって日々導いてくださる方に出会うことができる。
感謝。