・・・・・・箕輪城
訪れてみたかった城の一つ、箕輪城です。
榛名山に登り、汗を流したあと、寄ってみました。
時間も遅くなってきたので、城への狭い道を通り、二の丸の駐車場へ入りました。
駐車場には車が一台。城好きと思われる男性が写真を撮ってました。
その助手席には、あくびをしている女性・・・。
日本百名城の旗。上野国の名城です。
国指定史跡 箕輪城跡の石碑。
箕輪城と言えば、「上州の黄班」 長野業正。
「黄班」とは虎の意で、名の通り、武田軍の侵攻を、幾度となく退けました。
永禄四年(1561)、勇将・業正は病没。
信玄の侵攻によって、支城が次々と落城。箕輪城も包囲されてしまいます。
子の業盛は奮戦するも、自害してはて、箕輪城は陥落。武田家の支配するところとなり、重臣・内藤昌豊が治めました。
武田家滅亡後は、織田家家臣・滝川一益の治下に入るも、それもつかの間、本能寺の変によって北条領となり、北条氏邦が城主となりました。その後、小田原討伐によって関東は徳川家の領するところとなり、井伊直政が12万石で入城。
慶長三年(1598)廃城となる。
長野家滅亡後、城主となるのは重臣ばかり。
西上州の拠点となっていたことが窺い知れます。
でかい縄張りです。外縁も歩ければ良かったんだけど・・・。
本丸址です。一郭一郭が広いです。
本丸と御前曲輪との間に造られた空堀。
結構な広さがあります。
御前曲輪。重要拠点になります。
御前曲輪の奥に、井戸があります。
石碑は箕輪城兵の慰霊碑。
三の丸門跡と石垣。
三の丸の石垣です。
現存の堀や石垣などは、徳川家臣・井伊直政が城主として治めていたときのもののようです。
発掘調査によって、城主が変わるたび、城が修築されている状況のようです。
2011. 5. 2
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