ひめちゃんと獅子丸がよく行く新沼の近くにも、牧場があります。
道沿いに、子牛用の牛舎があります。
冬の間、防寒のためでしょう、道端側(西側)に、ビニールトタンが立てられていました。
春になっても、一向に取り外す気配はありませんでした。
昨日の朝、ひめちゃんたちが通ると、あれ、トタンが外されている
後ろ姿で失礼します。
やっと、会えました
風通し良くなって良かったね。
東の牧場は黒毛和牛ですけど、こちらは乳牛です。
みんなだいぶ大きくなりました
「伊勢崎には、何にもないけれど重要な史跡がある」と、さる方からご教示をいただいて、その遺跡・原之城遺跡(げんのじょういせき)に行ってきました。
ナビを入れると、ほぼまっすぐ南を指してます
「到着しました」とナビの声に周りを見ても、案内板しかありません。
東西約110m、南北約170mの豪族居館遺跡で、全国的にも最大級のものとあります。
現地にはこれだけですけど、伊勢崎市教育委員会が出している「原之城遺跡」というA4裏表パンフレットには、出土品の写真があります。
(どこでもらったか忘れましたけど、よくぞもらってありました)
この風景だけでは、なかなか古代豪族の居館に思いを馳せるのは難しそうです。
でも、出土した土器を眺めると、少しばかり豪族居館が浮かび上がってきそうです
北に見えるのは、北関東自動車道です。
東には巨大ショッピングモールです。
ナビに従って、あのショッピングモールの脇の道を、山上(やまがみ)から下ってきたのです
この豪族居館が、山上のほぼ真南であることは、何か意味がありそうです
ついでだから、近くの同じように何もないけど重要な史跡・上植木廃寺跡にも寄って行きましょう。
ナビを入れると、4分とでました。
ナビのガイダンスに従って、到着です。
葱畑の脇に、説明板があるだけです
原之城遺跡は広くはないけれど駐車場はありました。
こちらは駐車場すらありません。
7世紀後半に建立され、11世紀頃まで存続したとあります。
「屋根瓦に、勢多郡新里村の雷電山瓦窯などで作られたのも用いられていました」ですって
新里村の雷電山に瓦を焼く窯があったんですか
ここは雷電山からほぼ真南になります。
「上植木廃寺を造った古代佐位郡の実力者と考えられ、この地域が佐位郡の中心であったと推定されています」ですって
自宅をナビに入れると、ほぼまっすぐ北を指します
またまた、山上の真南です
ひめちゃんちのある山上は、上野国佐位郡の中心地から、真北に位置しているのです
山上は山の上(頂上)では、ありません。
山の麓より少し上です。
そうすると山の上ではなく、もともとは山神(やまがみ)でしょう。
山の神は赤城山、その入り口に位置していたので山神だったのではないでしょうか。