黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

獅子丸家の真実(ご先祖様のああ勘違い)・その2

2019-03-20 20:38:57 | 獅子丸な日々

朝、ひめちゃんは小次郎パパと堀之内を北に出て、諏訪神社の西を帰りました。
ひめちゃんはまだ恋の季節ではなかったようです。
成長するに従って、恋の季節の証拠を隠します。
パパの反応が一番わかりやす証拠です。

恋の季節といえば、先日ポメラニアンのミーナちゃんが、獅子丸家から出て行くのに出くわしました。
「どうしても寄って行くと、言うこときかなくて」と、ミーナちゃんのおとうさん。
ミーナちゃんは恋の季節まっただ中です。

獅子丸くん、よかったね



今換毛中で、モコモコ状態です。
ほんとはもっといい男ですよ
赤ちゃんの頃は巨大だった獅子丸は、さほどの巨漢にもならず、まあ普通の柴犬の大きさです。
小次郎パパの方がはるかに大きいです。
獅子丸はパパが苦手です。




獅子丸家のご先祖は、常広寺(じょうこうじ)の開基・本橋院殿寶輪廣誉大居士(ほんきょういんでんほうりんこうよだいこじ)です。
そして、彼の俗名は山上郷右衛門顕将(やまかみごうえもんあきまさ)だといいます。
小田原からやって来たと伝わり、家紋の裏紋は三つ鱗です。
そして、北条から嫁が来たともいいます。

ええ


伝承しかありませんけど、獅子丸家はこのあたりでは一番古い家です。
それはほとんどの人が認めているところです。

ひめちゃんや獅子丸が住んでいる葛塚の要害の地は、関東管領と古河公方が衝突する紛争地域でした。
その後もさまざまな勢力に蹂躙されて、こかんの郷(荒れ果てた土地)になってしまったのです。

世の中が収まって最初にやって来たのは、獅子丸家の人々でした。
戦乱で無くなった人々の霊を弔うため、山上城の鬼門に常広寺を建てました。



自家は葛塚城の鬼門に長安寺を建てました。
(山上城から北東に数百mで葛塚城です。)
ここには以前にも寺があったようなので、再興というべきかもしれません。


戦国武将・小田原北条家家臣山上郷右衛門は、上野国、特に東上州を動き回りました。
郷右衛門は、小田原城開城後北条氏直に従って高野山に行っています。
その後、徳川家康に使番(伝令将校)として使えたと言います。

なぜ晩年山上の地にやって来たのか?

山上はいまだに全国の山上さんがルーツの地としてやって来ます
もしかしたら郷右衛門さんもご先祖の地と勘違いして、この地に執着を持っていたのかもしれません。

小田原からやってきて帰農した山上さんは、ご先祖様の戒名にちなみ改姓しました。
山上の山上さんであることが、何か煩わしさをもたらしたのでしょう。

父祖の地と勘違いして、こかんの郷にやって来た獅子丸家もあれから400年、誇りと伝承をのみ残して、最後の一人になっています












コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 獅子丸家の真実(ご先祖様の... | トップ | 中世葛塚村 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

獅子丸な日々」カテゴリの最新記事