朝から猛烈な日射しです
ひめちゃんと獅子丸は、遠出を諦めて、堀之内周辺を歩いてきました。
自然と早足になります。
帰り道、オニユリに出会いました
ひめちゃんちのオニユリは、今年は姿を見せません
6月9日、大久保不動尊から道を渡って、大久保赤城神社に参拝です。
村社赤城神社、きれいな文字です
村社、消されなくてよかった
真っ赤な元気な鳥居です
傍らに、歌碑があります。
長寿の記念に奉納されたものかな?
さりげなく、こんな長寿の言祝ぎかたもあるのですね
神社の由緒もあります。
この村は、平治物語によると、東山道(あづまみち)が通っていた。この地に大窪太郎が館を構えていた。保元の頃(1156)この者の娘が奥州平泉の奥州藤原氏を頼って行く途中みちのく信夫の郡司小大夫の妻となって二人の男子を育てた。兄は佐藤継信、弟を忠信と称していた。二人は縁あって源義経の家臣となり、兄は屋島の合戦の際義経の身代わりとなって戦死した。弟忠信は平家滅亡後義経と行動を共にしていたが京都の館にあった時、頼朝の軍勢に攻められた。この時義経の鎧を着用し身代わりとなって討ち死にをした。
ここは、あの佐藤兄弟おかあさんの故郷ですか
あの佐藤兄弟のおかあさんは、奥州藤原氏の出身という話もありますけど
大窪太郎の創建で、江戸初期に岡上影能が赤城神社として鎮座したんですね
近くを、東山道(あづまみち)が通っていたんですね
我々が思うより、奥州が身近であったかも知れません
落ち着いた社殿です。
2礼2拍1礼です
社殿の裏も一回りです。
派手ではないけれど、それなりに石造物があります
「金山彦神」、何か金属が出たのかな?
後日、世良田の八坂神社が、ここの宮司も兼任していると言うことで、御朱印を頂きました。
「あずま道」周辺の記憶も、心惹かれるものがあります
ここは奥州と繋がっていたのですね
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