黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

岩神様のものがたり

2020-06-01 15:46:04 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、葛塚城の堀切跡を渡り、岩神沼(いわがみぬま)に到着です。

あれ、黄色い帽子の集団だ

ひめちゃんは、子どもが苦手です。

今日から、また集団登校が始まったのかな?

少し後ろに下がって、通り過ぎるのを待ちます。

クワバラ、クワバラ

ひめちゃん、かなりのモコモコ状態です。

また、換毛です。

 

岩神沼は静かです

今朝は、カモもサギも、だれもいません。

右上角の森が高縄の摩崖仏です。

岩神とは石の仏様、つまり高縄の摩崖仏のことです

摩崖仏の方へ、上ります。

このあたりは、棚田です。

不思議な事に、沼より高い田んぼもあります

 

高縄の摩崖仏に寄ります。

検索してみると、桐生市指定の重要文化財になってます

高縄の摩崖仏は、赤城山の泥流によって運ばれた高さ3.8m、幅約4mの大岩の南面に阿弥陀三尊像が彫られています。

中央には、高さ56cmの阿弥陀如来、脇侍として右に高さ50cmの観世音菩薩、左に高さ50cmの勢至菩薩が半肉彫された典型的な配置で、鎌倉時代に掘られたものと推定されています。

 

鎌倉時代から、ここにおいでなのです

どんな人が彫ったのでしょう?

鎌倉時代に、上野の山上で阿弥陀信仰を持った人々は、どんな人々でしょう?

一般庶民ではありませんね。

 

ふと、行仙上人(ぎょうせんしょうにん)を思い浮かべてしまいました。

上野国山上(やまがみ)といふ所に、行仙坊とて、本は静遍僧都の弟子、真言師なり。近き頃、念仏の行者として、尊き上人と聞こえき。

(『沙石集』臨終目出度き人々の事 )

新田義貞が鎌倉幕府を亡ぼす50年程前に書かれた書物に、その姿が描かれています。

ただ、山上の何処なのかは書かれていません。

いずれにせよ、「なむあみだぶつ」と唱える人々が、ここら辺りにいたのです

そしてこの摩崖仏は長い年月人々を見守ってきたのです

合掌

 

石造物もいっぱいあります。

木々が茂ってきて、石造物がうまく映ってくれません。

4月の写真です。

庚申塔はたくさんすぎるほど、宇賀神(右下隅)は一基だけです。

このお二方は、よく似ています。

馬頭観音のようでもありますけど

裏に回ると、またまたたくさんの石造物と、古墳の葺き石でしょうか?

ひめちゃん達とのお散歩なので、全部数えたりはできないですけど、近郷近在にないほど多い石造物です

かつては、すごいパワースポットだったのです

 

今朝は、更に北上して上の沼(新沼)を廻って帰ります。

 

岩神様を振り返ります

建物があるあたり、もしかしたら、人々がちょっと集える空間があったかも知れません。

こんなに、人々の願いが集まっているのだから、人々も集まったはずですよね

 

このまま進みむと、突き当たりに道標があります。

南伊勢崎、つまり六道の辻からの山上道かな?

今では車のすれ違いも大変な田舎道だけど、かつては幹線道路だったのです

 

新沼も静かでした

芦原が再生しています。

そのうちにまたサギさんの姿を見られるでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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