黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

後ろの山は登って大丈夫ですか?(迦葉山紀行 3 )

2020-07-10 22:41:29 | 北毛紀行

ひめちゃんは動物病院で処方されたお薬を飲みきりました

角切り肉が入った犬用缶詰のお肉に押し込んで、食べきりました。

今朝は、堀之内を西に出て、諏訪神社を廻ってきます

帰り道、紫陽花と甘草の咲いているところで道草です。

大分元気になりました

もう少ししたら、小次郎パパや獅子丸とのお散歩も再開できるでしょう

 

 

行く手に、さっき逢ったような仁王像があります

またまた、こんにちは

右の仁王像です。

左の仁王像です。

後ろが総合受付とあります。

御朱印をお願いしてみましょう。

天狗の迦葉山(かしょうさん)バージョンの自販機です

 

「こんにちは。御朱印をお願いします

「はい、お待ちください。」

いただいた御朱印です

 

おじさんは、御朱印よりも、さっき見た石造仁王像の後ろが気になっていたようです。

「後ろの山は、登って大丈夫ですか?」

「やめた方がいいですよ今朝も熊がでました。毎日出ていますよ。」

「奥に行かないで、そこらへんだけなら大丈夫かな?」

「まあ、バッタリ出会わなければ大丈夫でしょう。」

 

おじさんは、仁王像の後ろ、地下通路の向こうが気になっていたのです。

地上を行けないという事は、ここから聖域になるのでしょう。

 

おじさんは、地下道をくぐって、さっさと登って行きます。

うわあ、いったい何段あるのだろう

「熊に注意」があります。

この上は迦葉堂(かしょうどう)です。

ゼイハア、ゼイハア

 

やっと登りきります。

静寂な空間です。

石造物もたくさんあります。

熊が出るという空間なのに、みんなオガケをしていました

右下にお堂が見えます。

 

おじさんは、さっさと行ってしまいます。

合掌して、後を追います。

 

開山堂です。

迦葉山弥勒寺のHpによると、

開創は嘉祥元年(848年)時の上野国の太守、桓武天皇の皇子葛原一品親王が比叡山三祖円仁慈覚大師を招き、国家繁栄、民主安泰の鎮守護国寺として開かれた。唐より帰朝まもない高僧慈覚大師は、大乗経中三会の法「迦葉仏鶏足山に出現し、不生不滅を示し、弥勒下生龍華院を期す」より、遠くお釈迦様の後を継がれた迦葉尊者が第一回の経典を造られ結集の地、鶏足山と山並みが同じであるとし、初の千人供養会を開き、迦葉山龍華院弥勒護国寺となる。

迦葉(かしょう)は、お釈迦様の後を継いで第一回の経典を編集した迦葉尊者にちなむのですね

 

静かに合掌です

 

階段ではなく、坂を下ります。

あの地下通路をくぐると、俗界に戻るような雰囲気です。

お寺全体が、俗界を離れているはずですけど。

 

余談ですけど、あれだけの階段をのぼっても翌日に足が痛くなることはありません。

ひめちゃんたちと毎日歩いているからでしょう

水平の移動ですけど、垂直の移動にも、効果抜群です。

 

さて、さっきから気になっていたあのお堂に行きます。

大きな天狗の団扇が見えます

 

(つづく)

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2 コメント

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Unknown (たか)
2020-07-10 22:56:17
後ろのお山
登って来ましたよ。
岩が多くキツイ山でした。
上からご夫婦がやって来ましたが
御主人は顔が血だらけでした。
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Unknown (samanthahonami)
2020-07-10 23:22:09
こんばんは。
わー、さすがですね。
熊は大丈夫でしたか?
鈴はいつも持ち歩いた方が良さそうですね。
やはりあの地下道の上の開かずの板は、かなり意味のあるものなのでしょうね。
返信する

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