黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

早川物語番外編・早川の起点(これが本当の早川物語第一章)

2020-08-30 21:27:36 | 早川物語番外編

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩です。

今朝は、赤城山の姿が、いつもよりはっきりしています。

桜が咲いています

この桜は確か秋にも咲く桜だったと思います。

でも、ちょっと季節を間違えたかな?

ご機嫌で帰って、朝ご飯が配られるのを待ちます。

早くしてね

 

 

 

(桐生市新里町)奥沢の山奥に、早川の起点があるとの情報を得ました。

一級河川早川は、早川貯水池から流れ出して、長い長い旅をして尾島町堀口あたりで利根川に壕注します。

でも、早川貯水池以前の早川があるはずです。

なかなかたどる機会に恵まれませんでした。

情報を得て、さっそく出掛けて見ました。

奥沢神社からさらに遡り、奥沢3沼の西の方に行きます。

 

三堤碑といわれる碑があります。

奥沢3沼は、実は人工の沼だったのです

上沼は天保年中から弘化3年(1846)、中沼は嘉永安政の頃(1850年前後)、下沼は明治31年(1898)に完成とあります。

 

この碑の前を左折します。

早川です

橋の名は、弘法橋(こうぼうばし)です。

この上流が、早川の起点らしいです

川の縁になんとか駐車して、いざ上流へ

だいぶ上ってきました。

振り返って、あの橋は弘法橋です。

すこし雰囲気が変わってきました。

 

行く手に白いポールが見えます

ちょっと川は行き止まりです。

ここが早川の起点です

川としてはここから、でも水が流れ込む水路があります。

周辺の水を集めて、ここから早川が始まるのです

 

起点の奥に、小高い山というか丘があります。

古墳か赤城山の流れ岩か?

どうも古墳ではなく、流れ岩の感じです。

 

こだわり続けた早川の起点が確認できました

ありがとう

 

故郷尾島を流れる早川と、新里の早川貯水池から流れ出す早川が、同じ一つの川だと知ってから、もうう何年経ったでしょう?

やっと早川の起点が確認できました

さて、戻りましょう。

 

早川にかかる最初の橋です。

名前はないようです。

右の林の中に墓地が見えます。

ちょっと寄ってみます。

 

失礼します

宝篋印塔等もあって、立派なお墓です。

おや、片目がえぐられた小さなお地蔵様です

意図的にえぐられています

胸が塞がるような世界です

この子は、きっと病気で片目を失ったのです。

もしかして、天然痘(疱瘡)で、片目を失い命もなくしたのかもしれません。

 

ここら辺には、常広寺の檀家が多いと言います。

そういえば、常広寺の竜骨は痘疹(天然痘)にも効くという触れ込みでした。

「竜骨伝記」には、「痘疹の流行る時には男女ともににほひを嗅してものがれ又軽し」とあります。

もしかしたら両親は必死に求めたけれど、残念ながら彼女(女子に見えました)には効なかったのかも知れません。

なんとなくそんな情景が浮かんできました。

もしそうだとすれば、なんという奇遇でしょう

さようなら、逢えて良かったです

心を込めて合掌

「竜骨伝記」番外編の物語もありそうです

 

 

 

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